見出し画像

花火を見に行かなくなった。|「楽しむ側」から「つくる側」へ。人生のステージが変わった話

2〜3年ほど前から、花火を見に行かなくなった。
行こうと思えば、すぐ近くで見れるのに。

きっと、外界から与えられる楽しみよりも
自分で作り出す世界の方に重きを置くようになったからだと思う。

楽しむ側から楽しませる側へ
生きるステージが変わったっていう話

サラリーマンをやっていたら、雇われで生活していたら
きっと知ることのなかった景色。

周りに左右されずに、自分の人生を自分で運ぶという感覚。

以前、町の一番有名な観光地でお店をやっていた。
そのころは「お金」を稼ぐことを第一優先でやっていた。

そういう生き方をしていると、周りもそういう人が多い。
大家も守銭奴のようだった。家賃を異様に値上げされた。

でも、移転後は、ガラッとステージが変わった。
お金を稼ぐことより、自分たちができることをする。

すると、生きるのが楽になってきた。

詳細は省くけど、本当にいろんなことを経験させてもらった。


ここ2〜3年、花火を見に行かなくなった。

行こうと思えば、すぐ近くで見られる。
毎年、夏になれば花火は上がる。

以前までは、せっかくだからと思って見に行っていた。
でも行かなくなってしまった。

別に、花火が嫌いになったわけではない。
むしろ、きれいだと思う。

ただ、外の世界から与えられる「楽しみ」よりも、自分たちでつくる世界のほうに、ずっと重きを置くようになった。

たぶん、人生のステージが変わったのだと思う。
「楽しむ側」から「楽しませる側」へ。

あるいは、
「与えられる側」から「つくる側」へ。

そんなふうに、少しずつ立っている場所が変わってきたのだ。

楽しみを探しに行くより、自分で楽しめるものをつくっている。

会社員をしていた頃には、知ることができなかった感覚だ。

雇われて働いて、決められた場所へ行って、決められた仕事をして、その対価としてお金をもらう。

それが悪いわけではない。
むしろ、あの頃の私には必要な生き方だった。

でも、自分たちでお店を始めてみて初めて、
「自分の人生を、自分で運ぶ」という感覚を知った。

何をするのか。
何を売るのか。
誰と付き合うのか。
どこで暮らすのか。
どこまで働くのか。
何を大切にするのか。

誰かが用意してくれたレールの上ではなく、全てを自分たちで決めなければならない。

当然、楽なことばかりではない。
むしろ、責任は増える。

でも、その代わりに、自分の人生を自分で動かしているという実感がある。

誰かが用意した航路ではなく、自分たちで選んだ方向へ進んでいく。

以前、私たちは町で一番有名な観光地でお店をやっていた。
その頃は、とにかく「お金を稼ぐこと」が最優先だった。

売上を上げる。
もっと稼ぐ。
もっと集客する。

家賃が高かったし、商売なのだから、当然といえば当然だった。

そして、不思議なことに、自分が「お金を稼ぐこと」を第一に考えていると、周りにもそういう人が集まってくる。
お金を中心に物事が動く世界にいると、人間関係まで、お金を基準にしたものになっていく。

大家との関係も、そうだった。
家賃を異様なほど値上げされたこともある。
コロナで大変になっても少ししか値下げしてもらえず、移転することになった。

あの頃は、何とかしなければと思っていた。

もっと頑張らなければ。
もっと売らなければ。
もっと稼がなければ。

そうやって、自分たちの生活を守るために必死だった。


そして、店を移転した。
そこから、本当にガラッと世界が変わった。

もちろん、場所が変わっただけではない。
私たち自身の価値観が変わったのだと思う。

「どうやってもっとお金を稼ぐか」ではなく、
「自分たちに何ができるか」。
そこへ、少しずつ意識が変わっていった。

すると、不思議なくらい、生きるのが楽になった。

もちろん、お金は必要だ。
綺麗事だけでは生活できない。

でも、お金を人生の中心に置かなくても、生きていける。

自分たちにできることをして、
誰かに喜んでもらえて、
今日をちゃんと終えられる。

それだけでも、十分に豊かなことなのだと思うようになった。


この数年、本当にいろんなことを経験させてもらった。

楽しいことばかりではない。
理不尽なこともあったし、思い通りにならないこともたくさんあった。

人間関係も、商売も、生活も、
「こんなことまで経験するのか」
と思うようなことが、いくつもあった。

でも、その一つひとつを通ってきたからこそ、今の感覚がある。

以前の私は、外の世界にある楽しみを探していた。
自分で楽しみを作るという発想はなかった。

どこへ行けば楽しいのか。
何をすれば楽しいのか。

誰かがつくった場所へ行って、
誰かが用意したものを見て、
誰かがつくったものを楽しむ。

それも、もちろん楽しい。

でも今は、自分たちで何かをつくることのほうが面白い。

店をつくる。
お菓子をつくる。
音楽をつくる。
文章を書く。

小さな世界を、自分たちの手で少しずつ形にしていく。

そうしていると、
わざわざ外へ「楽しみ」を探しに行かなくてもいいと思えてくる。

花火はきれい。でも今は、自分たちでつくるこの世界のほうが好きだ。

だから、今年も私は花火を見に行かないと思う。
近くで、大きな花火が上がっていても。

たぶんその時間、私は自分の世界の中にいる。

何かをつくっているかもしれない。
仕事をしているかもしれない。
音楽を聴いているかもしれない。
文章を書いているかもしれない。

花火より面白いのかと聞かれたら、
たぶん私たちにとっては、そうなのだ。

昔は、
「楽しい場所へ行くこと」が楽しみだった。

今は、
「自分で楽しい場所をつくること」が楽しい。

その違いは、かなり大きい。

人生のどこかで、

楽しむ側から、楽しませる側へ。
消費する側から、つくる側へ。

誰かに運ばれる人生から、
自分で人生を運ぶ側へ。

そんなふうに、ステージが変わることがある。

そして私は今のほうが、ずっと自由だと思っている。

花火を見に行かなくなった。
「楽しむ側」から「つくる側」へ。人生のステージが変わった話

✦ このnoteについて

はじめての方へ

✦ このテーマの記事

現実の岸辺 | 制作の裏側、検証、実務、思考ログ

✦ 最近の人気記事

  1. 一年分くらい泣いた話|映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』

  2. 夏になると思い出す|ツバメの成長を、最後まで見届けた。

  3. 実績がないのに、プロの相場を請求していいのか?|初心者の価格の付け方──価格は、技術だけでは決まらない

いいなと思ったら応援しよう!

凪瀬 紬 | 観測記録作家 迷ったりこじらせたりしながら、それでも生存してきた記録です。 「もう少し読んでみたいな」と思ったら、気が向いたときにチップで応援してもらえたら嬉しいです。