「自分のものではない」場所で
2026年9月5日 05時05分 (9月5日 16時25分更新)
この夏はいっぱい休んでいる、と前に書いたのですが、休みの方が忙しいことしばしば。自分の放浪癖が出てきて、突然日帰りで遠出したり(運転は母、巻き込まれてくれていつもありがとう)、仕事外の打ち合わせがあったり、人が尋ねてきてくれたり。
最近うれしかったのは、うちの敷地や建物を使って友達がイベントをしてくれたことです。一つは、香りのワークショップ。うちの庭にあるもの(花や、葉っぱ、枝、果実だけでなくセミの抜け殻などまで)なんでも採取して、そこからアロマオイル(精製油)を作るというもの。私は参加できなかったのですが、駐車場がいっぱいになるほどの参加者が、中庭で自由に歩いているのを見てほほえましくなりました。もう一つは、毎月珠洲市のスズレコードセンターで開かれている対話の場「みみをすます」の、特別バージョンをうちでもやってくれたこと。冬にも書いたかと思いますが、非暴力コミュニケーション(NVC)の考え方を元にした場で、今回はNVCの認定トレーナーをナビゲーターに迎えて行われました。これには私も参加できました。自分の住んでいる敷地、仕事場であるため、そこから切り離して考えたり、ぼーっとするようなことはできなかったけれど、初めて会う人と、前からの友達が混ざった場で「話すことはなにかを手放すこと」というのを思い出す、よい時間になりました。
二つとも、自分が企画して生まれたイベントではないけれど、おもしろそう!というものを友達が持ってきてくれました。この場所を使ってもらえるということがとてもうれしいのです。
家業を「継ぐ」ことへの重責で押し潰(つぶ)されそうになることがよくあったのですが、ある時父に言われたのは「自分の場所やと思わんこと。あくまでいっときの管理人や」。幸いにも、というか、私にとってはこの場所も建物も、生まれたときからすでにあったものであり、自分で作り上げたり、そのような気持ちで関わってできたりしたものはほとんどないため、自分の土地、建物という感覚が薄いです。もっと大きな視野で考えてみれば、自分の土地とはなんだろう、という気持ちにもなります。役所の書類上には境界線があったとしても、地球単位で考えればそれは何になるのだろう、と。その「自分のものではない」という感覚は、だから大事にしないとはならず、むしろ、立つ鳥跡を濁さぬよう、どうきれいに使うか、保つか、という気持ちになっていきます。(湯宿経営)
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