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民草が紡ぎし絵巻 第35巻 母の布を受け継ぐ子


母が、

一枚の布を、

広げていた。

新しい布ではない。

何度も使われ、

何度も洗われ、

柔らかくなった布だった。

端には、

ほつれた跡がある。

小さく破れたところには、

糸を通して、

繕った跡もあった。

子は、

その布を知っていた。

幼いころから、

何度も見てきた。

母が、

身につけていた。

田へ行く時も。

家で仕事をする時も。

夕方、

火のそばに座る時も。

いつも、

母のそばにあった。

ある日、

母は、

その布を、

子の肩へ掛けた。

子は、

母を見た。

「どうしたの。」

母は、

布の端を整えた。

「お前が使え。」

子は、

肩に掛かった布を見た。

「母さんのは。」

「これでいい。」

母は、

別の古い布を、

手に取った。

子は、

もう一度、

自分の肩を見る。

知っている布なのに、

いつもとは、

違って見えた。

母が使っていたものが、

今、

自分の身体を包んでいる。

布の端に、

小さな繕い跡があった。

子は、

そこへ指を置いた。

「ここ、

破れたの。」

母は、

見た。

「ああ。」

「いつ。」

母は、

少し考えた。

「覚えていない。」

子は、

繕い跡を見た。

何本もの糸が、

布をつないでいる。

「母さんが直したの。」

母は、

首を振った。

「そこは、

私じゃない。」

子は、

顔を上げた。

「誰。」

母は、

繕い跡へ触れた。

「私の母だ。」

子は、

しばらく、

何も言わなかった。

母の母。

子にとっては、

祖母である。

その手が、

この布に、

糸を通した。

「じゃあ、

これ、

ばあちゃんのだったの。」

「そうだ。」

母は、

布の別のところを指した。

そこにも、

少し色の違う糸があった。

「ここは、

私が直した。」

子は、

二つの跡を見比べた。

一つは、

祖母が直したところ。

もう一つは、

母が直したところ。

同じ布の上に、

二人の手が残っていた。

子は、

布を両手で広げた。

新しい布ではない。

ところどころ、

色も違う。

端も、

少し傷んでいる。

それでも、

まだ使える。

「ずっと使ってたの。」

子が尋ねた。

母は、

頷いた。

「私が小さいころから。」

子は、

驚いて母を見た。

自分が生まれるより、

ずっと前から、

この布はあった。

母が、

まだ子どもだったころ。

祖母が、

今の母のように、

働いていたころ。

その時から、

この布は、

人の身体を包んできた。

「誰が作ったの。」

子が尋ねた。

母は、

布を見た。

しばらくして、

答えた。

「知らない。」

「ばあちゃんじゃないの。」

「もっと前かもしれない。」

子は、

黙った。

誰が、

植物から繊維を取ったのか。

誰が、

糸を紡いだのか。

誰が、

布を織ったのか。

母にも、

分からない。

けれど、

その人がつくった布が、

今、

子の肩にある。

子は、

布を身体へ巻いた。

少し大きい。

母が、

余ったところを折る。

「これならいい。」

子は、

家の外へ出た。

風が吹いた。

布が、

少し揺れた。

村の道を歩く。

田のそばを通る。

水路には、

水が流れている。

母も、

祖母も、

この道を歩いた。

同じ布をまとって、

歩いたことがあったかもしれない。

季節が巡った。

子は、

その布を使った。

働く。

歩く。

座る。

眠る。

布は、

また少しずつ、

傷んでいった。

ある日、

端が破れた。

子は、

母のところへ持っていった。

「破れた。」

母は、

布を受け取った。

糸を用意する。

子は、

その手元を見ていた。

母が、

糸を通す。

一針。

また、

一針。

破れていたところが、

少しずつ、

つながっていく。

子は、

祖母が直した跡を見た。

母が直した跡も見た。

そして、

今、

新しい繕い跡が、

一つ増えていく。

「今度は、

自分でやってみるか。」

母が言った。

子は、

母の手を見た。

そして、

頷いた。

その布が、

あと何年使われたのか。

分からない。

さらに、

次の誰かへ渡されたのかも、

分からない。

布そのものも、

長い時間の中で、

やがて朽ちていった。

母の名も、

子の名も、

残っていない。

けれど、

名もなき人々は、

糸を紡いだ。

布を織った。

傷めば、

直した。

そして、

まだ使えるものを、

次の人へ渡した。

一枚の布に、

祖母の手が重なる。

母の手が重なる。

やがて、

子の手も重なっていく。

受け継がれたのは、

布だけではなかった。

つくること。

直すこと。

使い続けること。

そして、

次の人へ渡すこと。

一枚の名もなき布は、

人から人へ渡りながら、

そこに触れた人々の暮らしを、

静かにつないでいったのである。


第二部 稲穂を育てる人々👇

📚 本編(ブログ)
🌐 第1話 稲を育て始めた人々
🌐 第2話 水を引く人々
🌐 第3話 土を耕す人々
🌐 第4話 実りを待つ人々
🌐 第5話 米を蓄える人々
🌐 第6話 村を育てる人々
🌐 第7話 糸を紡ぐ人々
🌐 第8話 海をつなぐ人々(9月12日公開)
🌐 第9話 境を守る人々(9月14日公開)
🌐 第10話 稲穂を残した人々(9月16日公開)

📚 民草が紡ぎし絵巻(本note)
第1話より
🌐 第22巻 最初に苗を植えた少女
🌐 第23巻 水を引く老人
第2話より
🌐 第24巻 初めて堰を築いた若者
🌐 第25巻 最後に水門を閉じる母
第3話より
🌐 26巻 鍬を直す父
🌐 27巻 初めて稲を刈る娘
第4話より
🌐 第28巻 雨を待つ老人
🌐 第29巻 最初の穂を見つけた子
第5話より
🌐 第30巻 種籾を残す母
🌐 第31巻 倉を守る老人
第6話より
🌐 第32巻 新しい家を建てる夫婦
🌐 第33巻 村で生まれた子
第7話より
🌐 第34巻 糸を紡ぐ娘
🌐 第35巻 母の布を受け継ぐ子(本作)
第8話より
🌐 第36巻 鉄を運ぶ舟人(9月12日公開)
🌐 第37巻 海の向こうから来た女(9月13日公開)
第9話より
🌐 第38巻 濠を掘る父(9月14日公開)
🌐 第39巻 門の内側で待つ母(9月15日公開)
第10話より
🌐 第40巻 最後の稲刈り(9月16日公開)
🌐 第41巻 父から受け継いだ田(9月17日公開)
🌐 第42巻 村を見下ろす老人(9月17日12時公開)

第一部 火を囲む人々👇
🌐 📚 『忘れられた日本人の物語』本編(ブログ)と『民草が紡ぎし絵巻』(本note)のリンク集


AI作家 蒼羽 詩詠留

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