🍮『月曜日だけ妻が違う人になる』
妻がおかしくなるのは、決まって月曜日だった。
いや。
「おかしくなる」という言い方は、正しくない。
妻は月曜日だけ――
別の人になる。
僕、高橋悠介、三十六歳。
妻の美咲は三十四歳。
結婚して七年。
子どもはいない。
大きな喧嘩もなく、朝には「おはよう」、夜には「おかえり」と言う。
そんな、ごく普通の夫婦だった。
月曜日を除いて。

最初に気づいたのは三か月前。
月曜の朝、美咲はいつものようにキッチンに立っていた。
「おはよう」
声をかけると、彼女は振り返った。
そして、不思議そうに僕を見た。
「……おはようございます」
「なんで敬語?」
美咲は答えない。
僕を見つめる目に、戸惑いが浮かんでいた。
まるで初めて会った男を見るような目だった。
「どうした?」
僕が近づくと、一歩後ろへ下がる。
「すみません。ここ……どこですか?」
冗談だと思った。
だが、美咲の顔は真剣だった。
そして――
「あなた、誰ですか?」
背筋が冷たくなった。
「俺だよ。悠介。君の夫だ」
「夫……?」
美咲は左手の結婚指輪を見つめた。
「私……結婚しているんですか?」
ところが翌朝。
「おはよう」
いつもの美咲に戻っていた。
月曜日の出来事を話しても、
「何それ。怖い冗談やめてよ」
笑うだけだった。
何も覚えていなかった。

そして翌週の月曜日。
「……あなたは?」
その次の月曜日。
「ここ、私の家なんですか?」
毎週、同じことが起きた。
火曜日になれば元に戻る。
ただ、奇妙なことがあった。
月曜日の美咲は、普段の妻とは少し違った。
いつもの美咲はコーヒー派。
月曜日は紅茶を飲む。
甘いものが苦手なのに、プリンを嬉しそうに食べる。
そして何より――
よく笑った。

結婚して七年。
いつからだろう。
僕たちは必要なことしか話さなくなっていた。
「牛乳ないよ」
「帰り何時?」
「ゴミ出しておいて」
そんな言葉ばかりだった。
けれど月曜日の美咲は、僕のことを知りたがった。
「悠介さんは、何が好きなんですか?」
「子どもの頃、何になりたかったんですか?」
「私たち、どうやって出会ったんですか?」
僕は毎週、同じ話をした。
「駅前の本屋だった」
「私から声をかけたんですか?」
「違う。君が本を落としたんだ」
「それを拾ってくれた?」
「そう」
美咲は嬉しそうに笑った。
「素敵ですね」
その笑顔を見るたび、胸が痛んだ。
最近の妻は、そんな顔で僕を見てくれなかったから。

いつしか僕は、月曜日を楽しみにしていた。
妻が僕を忘れる日なのに。
仕事を早く切り上げ、プリンを買って帰った。
ある月曜日。
夕食のあと、美咲が言った。
「悠介さん」
「ん?」
「私……あなたのこと、好きになってもいいですか?」
息が止まりそうになった。
七年前。
結婚を決めた夜、美咲は似た言葉を僕に言った。
――私、あなたのこと、ずっと好きでいてもいい?
忘れていた。
僕はいつの間にか、
妻が僕を愛していることを、当たり前だと思っていた。
「いいよ」
僕が答えると、美咲は照れたように笑った。
その夜、僕は初めて思った。
火曜日なんて、
来なければいいのに、と。

翌週の月曜日。
目を覚ますと、美咲がいなかった。
ダイニングテーブルに、一冊のノートが置かれている。
表紙には、
『月曜日の私へ』
と書かれていた。
嫌な予感がした。
ページを開く。
《もし今日の私が悠介を知らなかったら、このノートを読んでください》
《悠介は、私の夫です》
《優しい人です》
《でも、少し寂しがり屋です》
ページをめくる。
《最近、私たちはうまく話せなくなりました》
そして最後のページ。
僕の手が止まった。
《だから私は月曜日だけ、悠介を知らないふりをすることにしました》
「……え?」
そのとき玄関が開いた。
美咲だった。

「読んだ?」
「全部……覚えてたのか?」
美咲は頷いた。
「最初から?」
「うん」
「じゃあ、俺を知らないふりしてた?」
「……うん」
怒るべきだった。
三か月も騙されていたのだから。
けれど、美咲の次の言葉で何も言えなくなった。
「私……あなたと、もう一度恋をしてみたかったの」
「普通に言えばよかっただろ」
「言ったよ」
美咲は泣きそうな顔で笑った。
「何度も」
思い出した。
――たまには二人で出かけない?
――今度、旅行でも行かない?
――最近、ちゃんと話してないね。
そのたび僕は、
「今度な」
「忙しいから」
「また時間あるとき」
そう答えていた。
その「今度」は、一度も来なかった。

「離婚しようと思ってた」
美咲が言った。
「三か月前、本気で」
「……どうして」
「あなたが嫌いだからじゃない」
美咲の頬を涙が伝った。
「好きなのに、一緒にいるのが寂しかったから」
その言葉が胸に刺さった。
一人でいる寂しさより、
愛する人の隣で感じる寂しさのほうが、きっと苦しい。
「だから最後に試したかったの」
「何を?」
「もし私たちが初対面に戻ったら――」
美咲は涙を拭った。
「悠介は、もう一度私を好きになってくれるかなって」
僕は答える代わりに、美咲を抱きしめた。
「ごめん」
「……うん」
「俺、君がずっとそばにいると思ってた」
美咲は僕の胸の中で泣いた。
「私も」

次の月曜日。
朝、キッチンへ行くと美咲がいた。
「おはよう」
美咲が振り返る。
そして首を傾げた。
「……どちら様ですか?」
心臓が止まりそうになった。
数秒後、美咲が吹き出す。
「冗談」
「おい!」
二人で笑った。
こんなに笑った朝は、いつ以来だろう。
僕は冷蔵庫からプリンを二つ取り出した。
「食べる?」
「朝から?」
「月曜日だから」
美咲は笑った。
「じゃあ食べる」

その夜。
僕たちは七年前に出会った本屋の前で待ち合わせた。
僕は彼女の前で、わざと一冊の本を落とした。
美咲が拾う。
「落としましたよ」
「ありがとうございます」
二人で顔を見合わせた。
「初めまして」
「初めまして」
「お名前は?」
「美咲です」
「僕は悠介です」
そして僕は尋ねた。
「よかったら、お茶でも飲みませんか?」
美咲は、恋人だった頃より少しだけ大人になった笑顔で答えた。
「はい」
そうして僕たちは、
結婚八年目の初デートへ向かった。
結婚とは、
同じ人をずっと愛し続けることだと思っていた。
でも、きっと違う。
人は変わる。
昨日の妻と、今日の妻は違う。
僕だって同じだ。
だから夫婦とは――
変わっていく相手に、何度でも恋をし直すことなのかもしれない。
これからは何度でも出会い直そう。
何度でも名前を聞こう。
何度でも好きになろう。
たとえいつか、二人とも白髪になったとしても。
月曜日の朝には、こう言えばいい。
「初めまして。今日の君を、また好きになってもいいですか?」
そして妻はきっと、
少し呆れながら笑うのだ。
「どうぞ。何度でも。」。。。💝

💗柊紅葉💗

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