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日経COMEMO

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「なんでや? ほんまか? こうちゃうの?」が、AI時代の日本を救うかも

日本の高度経済成長を支えたのは、有名な経営者や天才技術者だけではない。現場で働く、無数の名も知られていない人々だった。その一人ひとりが、いまの日本をつくってきた。 小さな異変に気づき、仲間と話し合い、「なぜ、なぜ、なぜ」と問いを重ねる。工夫し、試し、仕事を日に日によりよくする。その日々の積み重ねが、日本産業の強さを育んできた。 やがて、現場に情報システムをはじめとする「効率化」の波が押し寄せた。業務を見直し、システムを導入し、少ない人数・コストで仕事を回す。その努力を重ねるなかで、いつの間にか、人の知恵を育て、次の人へと伝える対話まで、薄くなっていった。 そこに登場したのがAI。何十時間もかかっていた仕事が、1分、2分、3分で形になる。けれども、答えを早く得られるようになったからといって、現場で気づき、考え、判断する力まで育つわけではない。 どうなっていくのか?どうなっていくのか?AI時代をどう生きるか? AIの答えをきっかけに、もう一度、問いを交わしたい。現場の経験に照らして確かめ、お互いの話を聴き、一緒に工夫する。その対話の中で、言葉になっていなかった知恵・アイデアも見えてくるのではないか? 「なんでや?」「ほんまか?」「こうちゃうの?」 この身近な言葉に宿る「問うチカラ」から、AI時代の日本を拓く手がかりを探りたい 1.日本を支えた、名もなき人々の暗黙知 機械の音が、いつもと少し違うー「何か違う」。手順どおりに進めているのに、今日は作業が滞るー「どうして?」。お客さまは「大丈夫」と言っているが、どこか納得していないように見えるー「なにを気にされているんやろか?」 現場には、こうした小さな変化に気づく人がいる。 長い経験があるから分かることもあれば、仕事を始めたばかりだからこそ気づくこともある。その気づきを持ち寄り、みんな一緒に考える。日本の現場の強さは、そんな営みの中にあった。 高度成長期に広がったQCサークルなどの小集団改善活動も、その一つである。第一線で働く人々が、自分たちの仕事を観察し、問題を見つけ、改善する。「なぜ、この不具合が起きたのか?」「その原因は、なぜ生まれたのか?」と、理由を深く深く掘り下げていった。 そこで交わされていたのは、マニュアルに書かれた知識だけではない。この作業は、こう少し手を添えるとうまくいく。このお客さまには、説明する前に、もう一度、話を聴いたほうがよい。この音がしたら、作業を止めて点検したほうがよい。 本人にとっては当たり前でも、明快に説明できないことがある。日々の経験の中で身についた、こうした知恵を「暗黙知」と呼んだ。 日本の産業を支えていたのは 無数の人々の暗黙知と、それを組織知にして仕事に生かす「対話」だった 国富論250年、アダム・スミスから野中郁次郎へつなぐ共感の経済 - 日本経済新聞18世紀啓蒙主義の中心地、英国スコットランドは、企業経営や資本主義の未来を再考する格好の場だ。6月9日から10日にかけて、www.nikkei.com 2.効率化の中で、見えなくなったもの この30年、企業で繰り返し語られてきた言葉の一つが「効率化」であろう。 システムを導入し、業務を効率化する。コストを下げ、少ない人数で仕事を回す。省コスト化、省エネ化、省力化、省人化。その努力によって、便利になり、負担が軽くなった仕事は多い。 気がつけば、現場の風景が大きく変わった。 人が減り、立ち止まって、話す余裕がなくなった。分からないことはネットで調べ、連絡はメッセージで済ます。会議では、目標の進捗と数字の報告が中心になった。 システム上では仕事がつながっていても、人と人の間では、互いの仕事が見えにくくなっている。前の工程で何が起き、次の工程で誰が困っているのか。その間を埋めていた会話が減れば、数字だけでは分からない事情がこぼれ落ちる。 なぜ、その手順なのか?どんな失敗を経て、いまの方法になったのか?例外が起きたとき、何を観て判断するのか? 判断に至る道筋までは伝わらない。 「何となく気になる」という違和感も、理由・根拠を説明できなければ、口にしにくくなる。しかし、その違和感が、不具合の予兆や、新しい需要の芽であることもある。 現場に知恵がなくなったというより、人の中にある知恵を引き出し、確かめ、育てる機会が薄くなっているのではないか。 3.AIで得た時間を、何に使う そこに、AIが登場した。 大量の資料を整理する。複数の案を比較する。文章や企画のたたき台をつくる。仕事によっては、何十時間もかけていた作業の一部が、1分2分3分で形になる。 できなかったことが、できるようになる。綺麗に整う。手が回らなかったことにも取り組める。この変化の意味は大きい。この仕事革命は劇的。 ただ、作業を大きく短くしたとき、一緒に省かれたモノがある。 自分で調べる途中に、予想と違う事実に出会うことがある。文章を書き直す中で、考えの弱さに気づくことがある。先輩に質問したついでに、思いがけない失敗談を聴くこともある。 AIの答えをそのまま採用すれば そうした学びの機会まで省いてしまう。 AIを使って成果物をつくる。その過程で、人の気づく力、考える力、判断する力は、どう育つのか? ここを考えずに、効率化だけを進めると 目の前の仕事は速くなっても 次の仕事を生み出す力が弱くなるのでは? だからこそ、AIで生まれた時間をどう使うか大切。 現場を観る時間、人の話を聴く時間、自分たちで試す時間に振り向けるか否か? 米アメックス、従業員3500人削減 AI活用加速へ「人員スリム化」 - 日本経済新聞【ニューヨーク=佐藤璃子】米クレジットカード大手のアメリカン・エキスプレス(アメックス)は23日、全世界の従業員の5%、約www.nikkei.com 4.江戸時代の商人たちが創造したクリティカルシンキング その問う言葉は、おそらく江戸時代の商人たちが生み出しただろう。商いの切磋琢磨のなか、創意工夫して、進化した3つの大阪言葉がある。 「なんでや?」 背景や理由を探る問い。なぜその方法なのか?なぜそう考えたのか?何のために取り組むのか?「前からそうしている」という説明を、もう一歩掘り下げる。 「ほんまか?」 事実や根拠を確かめる問いである。出てきた数字は、何を示しているのか?現場で起きていることと、それは合っているのか?自分の経験にも、なにかの思い込み、バイアスが混じっていないか? 「こうちゃうの?」 別の見方を持ち寄る問い。順番をこう変えたらどうか?お客さまの立場なら、こう見えるんとちゃうか?こんな原因も考えられるのと違うか? そして、話し合いで見えてきたことを、「そうか、こういうこっちゃな」と考え直す。互いの理解を確かめ、次の行動へつなげる。 理由を探り、根拠を確かめ、別の可能性を考える。現代のMBAなどで学ぶ「クリティカルシンキング」に通じる思考の作法が、この短いやりとりには込められている。 その基本を、200年も300年も前の江戸時代の大阪商人たちもは、日々の商いの中で実践していたのではないだろうか。品物や相場の話を聴けば確かめ、背景を考え、自分の商いを判断する。生活と商いの必要から育った知恵として捉えると、現代の経営教育につながる考え方が、ぐっと身近になる。 「なんでや?」「ほんまか?」「こうちゃうの?」は、漫才の中だけの言葉ではない。問いながら現実をつかむ、暮らしの言葉でもある。江戸時代の井原西鶴、近松門左衛門の本にも、そのやり取りが残っている。 5.本音と、未完成の考えを持ち寄る この大阪言葉での対話の強みは、問いの内容に加え、考えを口にするまでの敷居が低いことにもある。 「その提案には問題があります」と言うには 理由を整理しなければならないが、 「それ、ちょっとしんどない?」 と言われたら、言いにくい負担感を話せる。 「何がしんどいん?」 そう聴いてもらえれば、説明しながら考えられる。 手間が増えるのか、時間が足りないのか、誰かに無理が集中するのか。曖昧、ぼんやりしていた感覚が、具体的な課題になっていく。   本音を話せることは、新しい需要を知ることにもつながる。 「便利やけど、毎日は使わへんな」 この一言には、利用者の暮らしがある。 便利さだけでは選ばれない理由がある。 それを聴かずに機能を増やしても、本当に欲しいものには近づけない。 もう一つ大切なのは、最初から意味を決めすぎないこと。 「もうちょっと、ええ感じにならへんか」 これだけでは、設計も発注もできない。 しかし、発想の出発点にはなる。 「ええ感じ」を、ある人は使いやすさと受け止め、別の人は居心地、別の人は見た目と受け止める。その違いを話し合うことで、考えが拡がっていく。 言葉の意味のずれも、確かめ合えば、新しい発想の材料になる。 「そんなん、できたらおもろいな」 という遊び心もある。 ちょっと変わったことを言ってみる。相手の意外な返しを面白がる。そのやり取り、その余地が、いつもの考え方から一歩出るきっかけになる。 仕事を実行するときには、条件や責任を明確にする必要がある。一方、何をつくるか考え始めるときには、言い直せる余白がほしい 会話を通じて、全体の構想を育てていく。 もちろん、問い詰める口調では本音は出ない。 自分の考えも変わるかもしれないと思いながら、相手の話を聴く。その姿勢とともに、この対話の作法をAI時代に活かす。 6.AIで暗黙知を引き出し、現場で育て直す では、この対話を、AIとどう組み合わせるか? ベテランが「今日は、この作業を後にしよう」と判断したとする。 「なんでなん?」 「湿気が多い日は、材料の状態が少し違うからや。前に、この順番で失敗したことがある」 そのやり取りで、何が違うのか、どこを観て気づいたのか、いつも同じ判断をするのかと、具体的な場面をたどっていく。 こうした対話を記録し、AIに整理してもらう。判断の条件や、まだ説明が足りない点をまとめてもらえば、次に何を尋ねればよいかも見えてくる。 その整理を本人と相手で読み、 「ここはちょっと違うんとちゃう」 「こういうやり方もあるんとちゃうか」 と直す。そして、現物を一緒に観て、触れ、作業してみる。 言葉で理解したことと、現場で感じたことを比べる。 うまくいかなければ、また話す。 暗黙知には、文章にしきれない感覚や動作がある。 すでに失われた経験を、AIだけで取り戻せるわけでもない。 それでも、AIを使うと、人の中に眠っている知恵を引き出し、学ぶ入口をつくることはできる。 人の経験を人が問いで引き出す。AIで整理する。現場で確かめる。次の人が、自分の経験として身につける。 この循環こそ、AI時代の新たな学び。 英会話学習者、人間の先生「必要」8割超 生成AI利用者ほど高く - 日本経済新聞英会話学習者の8割超が人間の先生と学ぶ機会が必要と考えていることが日本経済新聞の調査で分かった。英会話各社は生成AI(人工www.nikkei.com 7.日本の知恵を、次の価値へつなぐ 問いの力は、目の前の作業の改善にとどまらない。 「なんで、この仕事をしているんやろか?」 「お客さまが欲しいのは、ほんまにこれなんやろか?」 「全体を見たら、こうちゃうの?」 問いを拡げることで、一つの工程の改善が、商品やサービス全体を新たに考え直すことにつながる。 お客さまがためらった瞬間。使いにくそうにした動作。説明を聴いて表情が変わった場面。 それを知っているのは、日々接している人々。 現場・現物・現実での経験を持ち寄り、AIの力も借りて、整理し、比較し、可能性を拡げる。そして、人が現実に照らして確かめ、決め、実行する。 日本の産業を支えてきた、無数の人々の知恵。 その知恵が生まれ、つながる場を、AI時代に創り直す。 大阪言葉が、日本を救うかもしれない。 その言葉に息づく、本音を交わし、常識を問い、違う見方を面白がり、仲間と知恵・アイデアを育ててきた方法論には、これからの日本を支える力がある。 「なんでや?」「ほんまか?」「こうちゃうの?」 AIが学ぶや仕事の場を目に見えて変え、効率化が進もうとするなか、目に見えないが弱くなっていく大切な思考力がある。それを、AI時代のいま、起動させる。 「なんでや?」「ほんまか?」「こうちゃうの?」ーこの問いから、まだ言葉になっていない知恵・アイデアが浮かび、動き始め、日本は動き出せるのではないだろうか

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感染症情報を的確に解釈するー早期のインフルエンザ流行とこれからの予測ー

メディアで話題になる感染症情報について、真実の情報なのかを現場の状況と疫学情報の分析から感染症専門医の知見と経験から的確に解釈すべく都度記事にしてきました。今季のインフルエンザは異例の早期流行という報道振りであったことを理解されていると思います。確かに今季は東京都、全国共に第 34週(8 月 17日~23日)に定点当たり患者報告数が「流行入りの目安」となる定点当たり1.00 人を超えていました。さらに第38週には都内31保健所管 内のうち、新宿区、中央区、西多摩及び島しょの4保健所を除く27保健所で「流行注意報基準」である10.00人を上回りました。 インフルエンザ今季初「注意報」 2025年同期比7倍に - 日本経済新聞厚生労働省は9日、全国約3千の定点医療機関から9月28日〜10月4日に報告されたインフルエンザの感染者数は1機関当たり11www.nikkei.com  この事実を多くのメディアは「2025年同期比7倍」というタイトルで取り上げました。インフル感染者“去年の約7倍” 肺炎・脳症・心筋炎…『インフルエンザ合併症』の注意点は【ひるおび】 | TBS NEWS DIG (1ページ) 7倍というインパクトのある数値は「これまでにない大流行」という不安感を抱いた方も少なくはないでしょう。しかも上記メディアでは比較的稀である死に至る合併症まで大きく取り上げていますが、実際に今季の流行が大きな問題でそれほどの大流行になったのでしょうか?    以下は東京都における過去5年間のインフルエンザ流行状況を示したものです。昨年比で7倍と報じられた横軸39週の赤線(2026年)を見ると2025年(青線)と比べればおよそ7倍近くになっているので相違ありません。  しかし2023年(桃線)と比べればほぼ同一です。ところが42週(10月下旬時点)でみるとどうでしょうか。 「現在の状況は昨年のおよそ0.8倍程度、2023年の2分の1以下」 となっています。またこれからのシーズンを見た時に昨年(青線)に比べれば今季の流行はかなり緩やかであることも一目瞭然です。多くの人たちは先行する報道が今も継続していると理解しています。正確な現状を把握するためにも続報を伝えるべきであり、ワクチン接種時期など冷静な判断ができるような配慮も必要なのではないでしょうか。 ではこれからの流行はどのようになるのでしょうか?  最近の流行状況の背景から考えますと、昨年9月から流行したのはA型H3N2(サブグレードK)で青線(2025/ 42-50週)にあたり、今年の1月以降に流行したのはB型で赤線(2026/ 3-9週)となります。またもうひとつ大きな波である緑線ですが、これは2年前(2024年)の年末に大流行したA型H1N1であり現在の流行株と同じものです。いずれも過去5年の発生状況でもかなり大きな流行であったことから多くの人たちがA型H1, H3, B型のいずれかまたはすべてにかかったはずです。インフルエンザは終生免疫ではありませんので何度も罹患はしますが、ある程度の免疫は残存しますので、現在でも一定の集団免疫は獲得されていると推測されます。したがって今季は昨年、一昨年のような大きな流行にはならないのではないかと考えています(あくまで予測です)。  このように感染症流行状況は同時期だけの比較ではなく、例年の流行状況と流行期全体のトレンドを鑑みた上で判断しなくては正しい情報にはなりません。注意喚起は重要なことですが、不安を煽るための注意喚起は好ましくないと考えます。 東京都感染症情報センターWEB感染症発生動向調査 https://survey.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/epidinfo/weeklychart.do今季は何故暑い時期からインフルエンザの流行が始まったのでしょうか?  これまでも夏季にインフルエンザの発生がまったくなかった訳ではありません。沖縄県では20年ほど前から7月に県内での流行が例年みられるようになっています。明確な原因は不明ですが、地理的観点からインバウンドの影響が示唆されています。 沖縄で季節外れのインフルエンザが流行中、患者数は600人超える:日経メディカル 2016/17シーズン夏季に注意報が発令されたインフルエンザウイルスの流行―沖縄県|国立健康危機管理研究機構 感染症情報提供サイト  今季全国的にインフルエンザの流行が早まった要因としても同様のことが考えられています。一般的にインフルエンザは気温が低くなる冬季に大きな流行が見られると理解されていますが、東南アジアなどの熱帯・亜熱帯地域では常時気温が高いにもかかわらず一年中散発的な発生がみられると言われています。原因は不明確ですが、雨期などに密閉された空間に多くの人が集まることも一つの要因と考えられています。 筆者学術講演会プレゼンテーションより これに加えて今季の流行が始まる前の7月時点での人の行き来について分析してみると、インバウンド・アウトバウンドともに韓国が最多、米国を除き多くがアジア諸国であることがわかります。現在はアウトバウンドよりもインバウンドが有意であることを踏まえれば、韓国、台湾、中国、香港などからの外国人旅行者が目立っています。 筆者学術講演会プレゼンテーションより しかも台湾、香港では7月時点で流行報道が散見されており、韓国でも9月に入って流行報道がみられています。 台湾でコロナ感染拡大 7月中旬にピーク突入の見通し インフルも流行期に - フォーカス台湾 夏のインフルエンザ流行期入り、当局が宣言 - NNA ASIA・香港・社会 例年より早いインフルエンザ流行 新型コロナと同時に拡大 | 東亜日報  WHOのFluNet; Influenza virus detection chartsによれば、先行して香港で流行していた株はH1N1で現在国内で流行している型と同じものであり、以下の比較でも香港での流行に追随するように日本や韓国での流行曲線が立ち上げっている様子がうかがえます。 https://www.who.int/tools/flunet 一方で南半球の地域からのインバウンドはアジア地域からに比べてごくわずかであり、さらに今季のオーストラリアでの流行は昨年に比べて低水準であり、先行する7月頃の流行はアジア地域で流行しているH1N1ではなくH3N2の流行であること(オーストラリアは、インフルエンザの流行に関して油断しないよう国民に警告している)からも 一部の有識者が発言している「南半球からの旅行者を通じて感染が拡がった」というのは明らかに異なる見解である ことがおわかりいただけるでしょう。この現実を報道メディアはわかっているのでしょうか? 【解説】「真夏にインフルエンザ」感染増なぜ? 「南半球からの旅行者」「換気不足」...対策は【みんなのギモン】(2026年8月24日掲載)|日テレNEWS NNN 【解説】インフルエンザ流行入り…過去2番目の早さ 流行理由“3つの可能性” ワクチン接種は?(2026年9月10日掲載)|日テレNEWS NNN  時期によって変化する感染症情報は知見や経験だけではなく、リアルタイムな情報の入手とグローバルな視点から冷静に解析することが必要であると考えています。これまでも報道振りが疑問に感じるごとに「輸入感染症の有識者」として自分なりの分析を記事を都度公開していますが、正しい情報を伝えるためには毎度くどいようですが、単なる肩書だけで意見を取り挙げるのではなく、国民のためにもさらなる専門性をもった分析をお願いしたいものです。 #日経COMEMO #NIKKEI

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IPについて考える③ 〜クールなジャパンの「正客」と「派生的創作」

オッス!おらメタバースクリエイターズwaka00! 前回に引き続き「IPについてかんげえる」の連載3回目として、今日は日本的なIP文化のお話をすっぞ。 キーワードは「正客(しょうきゃく)」と「派生的創作」。みんないっぺえ読んでくれよな! 「ハイ・アート」より「ロウ・アート」が強ぇぞジャパン前回は「クリエイティブソースとしてのIP」について書きました。 IPというのはつくられた時点で全て規定されているかというと実はそうではなくて、後から設定が足されたり、二次創作で世界観が広がり徐々に豊かになっていくもの。なので「原液の濃さ」とともに「余白」も大事で、うなぎ屋の秘伝のタレみたいに継ぎ足されて美味しくなっていく、みたいな話でした。 国民的アニメの『サザエさん』や『ドラえもん』も、よく考えるとすでに原作者が亡くなっているのにずっと続いているわけで、これもある種の二次創作と言えなくもない。長く愛されるIPは、作品単体で愛されるというだけではなく、「クリエイティブ・ソース」として創作を触発し、その連鎖によって増殖し、受け継がれていくのです。 今日は「クリエイティブ・ソース」の延長で、とくに日本のクリエーションのユニークさにフォーカスして考えてみます。 今、日本のIPは世界で本当に人気になっています。サンリオ、ポケモン、ガンダム。そしてa16zが「Anime is eating the world」と言ったように、日本のアニメはまさに世界を席巻しています。 「クールジャパン」は失敗したと言われますが、日本のコンテンツは過去最大級に世界で人気になっている。ここで改めて注目したいのは、過去も含めて日本が世界で勝っているのは「ハイアート」ではなくて大衆的なエンタメ(ロウ・アート)の方だ、という点です。 僕はアートが好きですが、日本のアートは残念ながら世界ではあまりプレゼンスがありません。そして、そもそも日本の「アート」に関する政策はだいぶ前から躓いているところもあります。 明治期に西洋画が入ってきたとき、日本はそれに対抗するべく「日本画」という概念を後付けで作りました。掛け軸を額縁に入れたりして、世界に広めようと海外の博覧会とかに出品したりしたのですが、これはあんまりウケなかった。そもそも掛け軸や屏風のような、日本固有の文化や生活のしぐさのうちで味わわれるべきものを「額縁」に入れて切り離しては、矮小化にしかならなかったのでしょう。 政策的に売り出そうとした「日本画」ではなく、世界中で人気になったのは包み紙に使われて海外に渡った浮世絵でした。浮世絵や漫画、そしてアニメ。「ハイ・アート」よりも、今「エンタメ」と呼ばれているような「ロウ・アート」や「サブカルチャー」のほうが圧倒的に海外に人気だった。 世界に知られている日本の美術家というと村上隆や奈良美智が思い浮かびますが、彼らもハイ・アートというよりはサブカルチャー文脈の上で(村上隆は特に戦略的に)人気を得たと言えるでしょう。(そんな奈良さんもいまや紫綬褒章ですが) 「一神教」ではなく「八百万の神」のクリエーション近代西洋的な作者中心主義の「ハイ・アート」は、「上」から下へ、トップダウンの構造を持つアートだと言えます。それに対して日本は「下」から派生していく感じがします。宗教が精神構造を象徴していると考えれば、欧米と日本では「一神教」と「八百万の神」の違いがある。 中にいるとあまり気づきませんが、改めて相対化して捉え直すと日本のコンテンツの「育ち方」はやっぱりユニークで、その特徴に「正客」と「派生的創作」があるのではないかという気がしています。 きっかけは「神話の会」というpodcastの収録でした。 「神話の会」は、もともとおじさん4人で不定期で集まって飲む単なる飲み友なのですが、 インターネット、スマートフォンの黎明期から数々の事業に携わってきた新城健一氏、EDGEofをはじめ日本と世界をつなぐスタートアップエコシステム牽引してきた小田嶋Alex太輔氏、脳波で動くネコミミ「necomimi」を始め、デジタル・テクノロジーの新たなコミュニケーションを生み出してきた加賀谷知典氏、と、ジャンル横断で話せる濃いメンツです。 そんな仲間でひょんなことからpodcastを始めることになりまして、 文化、テクノロジー、アート、エンタメ、言語、宗教……と、ものすごい速さで話題が飛びながら、どこかで繋がってくる感じが面白いのでぜひ聴いてみていただきたいのですが、その3回目で「正客」と「派生的創作」の話が出まして、ちょうど考えていた日本的IPとつながる話だなと思ったんですね。 ↑この記事を読んだら3回目だけでもぜひ! ①「正客」 「正客」というのは茶道の言葉で、茶の席ではホストの「亭主」と、ゲスト側も「正客」「次客」「末客」みたいな役割があるんですね。 「正客」は一番最初にお手前を受け、器を見て「これはもしかして〇〇の…」というように亭主To問答します。茶の席はとてもハイコンテキストなので、文化的背景を知らない初心者は楽しみきれないところがあるのですが正客と亭主の問答を聞くことで、「ああ、そんなにすごい名物で飲めるんだ」とコンテクストをインストールされお茶を文化ごと味わうことができるわけです。 で、「正客」の何がイケてるかというと、これをホストではなくユーザー側がやっているところだと思うんですね。 コンテキストの解説でいうと美術展や歌舞伎で音声ガイドみたいなのもあります。僕は、藝術というのは無心に感覚だけで向き合うべき、とは思っておらず、文化的背景を知った方が想像力が働いて体験のプラスになると考えている派です。 ただ、「主催側が用意するガイド」には少し野暮ったさというか、無粋さも感じます。茶の席でいえば、亭主が自ら「これはどこどこの名品でして…」みたいにうんちくを説明しだしたらちょっと押しつけがましいし興が冷めるなあと。茶の湯のすごいのは、それを「正客」というユーザー側がやる設計になっているところです。 「正客」は現代の感覚でいうとゲーム実況者に近いかもしれません。ゲームの面白さをそれぞれに引き出して伝える役割を、ユーザー側でやっているのがゲーム実況ではないでしょうか。HIKAKINさんは別にゲームがめちゃくちゃうまいわけじゃないかもしれませんが、面白さの引き出し方が上手だから人気なのでしょう。 「神話の会」podcastでも出たのですが、茶の席では亭主の良し悪しだけでなく、「この人が正客のときに行くとめっちゃいい」という感じで「正客のファン」も生まれるらしいんですね。これはゲーム実況者や二次創作のサークルにファンができるのと似ています。 ②「派生的増殖」 もう一つ、「神話の会」の第3回の最後に出てきた話で面白かったのが「派生的創作」です。(呼び方は僕の後付け暫定) これは「同質性」と「多様性」の話でもあるのですが、まず、Alexから「日本って同質性が高くてみんな同じ行動をとるよね」という話が出ました。 その時例に出たのが昔のガラケーのストラップ。日本では携帯にストラップを付けるとなったら本当にクラス全員が付けていて、つけていない人はいない。これはかなり特殊で、海外だとつけるつけないは個人の好みでみんなが全部同じ行動をとることがあまりない。 日本は同質性が高い、島国で単一民族、単一原語だから、とよく言われます。ただ僕は、一方で二次創作とか「多様性」があるというのも日本の特徴だと思うのです。弊社のアバター事業でも「改変」でいろんなパターンができていく。この「同質性」と「多様性」はどういうバランスなんだろう、という議論になりました。 Alex曰く、日本は「ストラップを付ける」のは一律なんだけど、その種類がめちゃくちゃ多様、誰も同じものをしていない。たしかにジャラジャラ拓さん付けている人もいれば、かわいいマスコットの人もいれば、クロムハーツみたいなハードな人もいます。 「つける」のは同質なんだけど「何をつけるか」で個性を出す。この二段構えが日本っぽい、という話がすごく腑に落ちました。 日本は海外から輸入したものを「魔改造」するのもすごく得意です。ラーメンは中国から入ってきたわけですが日本に来てから「二次創作」がめちゃくちゃ進んで、こんなにラーメンの種類がある国は世界に日本しかない。 日本的なクリエーションというのは、全く新しく発明するというより、枠の中で「改変」していくという心性にあるのではないか。「バリエーション」は「元」があるからこそ生まれますが、日本は「元」をつくるより「バリエーション」を生み出す力が強い。 日本ではなかなかイノベーションが起きない、とよく言われます。たしかに「1.0を2.0に上げるようなメジャーアップデート」や、全く新しい概念を生み出すのは苦手かもしれません。それよりもver.1.1.14、1.1.15みたいに、大枠の中に派生で大量のバリエーションを「増殖」させるのこそが得意なんじゃないかと。 加算的に全く新しいものを足すより、1から2までの間を無限に割り算して、そこに無限の多様性を生み出していく。こういう「派生的創作」が日本的なクリエーションだという気がしています。 日本的IPの育ち方「IP」観点でいうと、日本のIPは二次、三次、N次と創作が派生的に連鎖し、ユーザーがコンテンツに関与することで豊かになっていくのが特徴だと言えるかもしれません。 「原液」の味を引き継ぎながら、ユーザーである「正客」としてそれぞれのアスペクトからオリジナルの良さを引き出し、「正客」にもファンがつく。そこから生まれる「バリエーション」によってラーメンが文化になったように、IPは豊かな文化になっていく。 アニメも、一次コンテンツ単体の輸出というより、コミケやコスプレのような派生的創作も含め、エコシステムまるごとが日本らしいカルチャーとして世界から楽しんでもらえている気がしています。 コミケ50年、IP生む土壌健在 多様な表現拒まず受け入れ - 日本経済新聞日本最大級の同人誌即売会「コミックマーケット(コミケ)」が50周年を迎えた。2025年12月末、会場には2日間で累計30万www.nikkei.com そこが海外IPとのちがいで、ディズニーやマーベルは「原液」をそのままに楽しむトップダウンな感じですが、日本のIPは提供者側が創るというよりみんなに「育てられていく」ものという感じがします。 中にいると当たり前すぎて気づかない「正客」や「派生的創作」、それこそがジャパンのクールさなのではないか。日本のIPをますます盛り上げていくために、日本的クリエーションのユニークさを改めて意識し、武器にしていけるといいなと思っています。

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お金を一番長く集め続けられる者が勝つ——アンソロピック上場でAI競争はどう変わるか(第1回)

アンソロピックの上場を、AIの賢さを競う勝負の決着と読む人は多い。私はそう読まない。上場は、AI競争の物差しを変える号砲だ。これから問われるのは、誰が一番賢いAIをつくるかだけではない。誰が一番長く、お金を集め続けられるかである。 アンソロピックの上場で、AI競争はどう変わるのか。この連載では、それを3つの切り口で見る。今回はその第1回、「お金を一番長く集め続けられる者が勝つ」だ。 (金額は1ドル158円で換算する) 上場は決着ではなく、AI競争激化への号砲だ目論見書で、何が公開されたのか 2026年10月26日、アンソロピックは米証券取引委員会(SEC)に上場の申請書類を提出し、目論見書を公開した。上場先はナスダック、銘柄の記号は「ANT」である。売り出す株の数と値段の幅はまだ空欄で、投資家への説明会は早くても11月の第2週からになると報じられている。日経ビジネスは、この目論見書を「インフラ投資の重し」と「ビッグテックとの依存関係」という切り口で報じた。見出しの126兆円は、今後の支払いの約束を広く足し合わせた集計で、本稿で使う約66兆円(2026年以降に結んだ契約の最低支払額)とは範囲が違う。 アンソロピック上場へ インフラ投資126兆円の重し、ビッグテックと依存関係(日経ビジネス電子版) https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00845/102700021/ 目論見書が明かした数字は、どれも桁が大きい。2026年4〜6月の売上は115億5,500万ドル、日本円にして約1兆8,300億円で、前年同期の約15倍になった。この3か月で、営業損益が初めて黒字になった。AIを動かす計算の費用は、1年前には売上の177%だったが、この4〜6月には48%まで下がった。年に10万ドル以上を払う顧客は、9月末で1万1,900社を超えた。6月末の現金と短期の運用資産は合わせて1,317億ドル、約20兆8,000億円ある。 一方で、2026年に入ってから新たに結んだり結び直したりした、データセンターや半導体を借りる契約とクラウドを買う契約だけで、最低支払額は約4,170億ドル、約66兆円にのぼる。期間は長いもので20年だ。 売上の伸びと、設備投資の重さ。この二つが同じ書類に並んだことに、今回の上場の意味がある。 これまでの上場と何が違うのか アンソロピックは、公益目的の会社という形をとっている。株主の利益だけでなく、定款に書いた公益の目的も合わせて追うと約束する会社の形だ。この形での上場には前例がある。靴のオールバーズは、2021年に同じ形でナスダックに上場した。しかし株価は長く低迷し、2024年には、株価が1ドルを下回り続けたとして、ナスダックから上場の基準を満たしていないとの通知を受けるまでになった。公益目的の会社という形は、それだけでは株価を支えない。 では、なぜアンソロピックはこの形のまま公開市場へ出るのか。理由は、この形が誰に向けた約束なのかにある。オールバーズにとって公益の目的は、買い物をする消費者に向けた約束だった。アンソロピックにとっては、AIの安全を最優先にするという、社員と社会に向けた約束であり、その約束を守る仕組みが会社の決め方に組み込まれている。この決め方については第3回で詳しく扱う。 もう一つの違いは、規模と、お金の使い道である。これまでの大型の上場では、集めたお金の多くが、工場や店舗、人の採用といった、会社が自分で持つものに向かった。アンソロピックのお金の多くは、他社から借りる設備の代金に向かう。上場で集めるお金は、すでに結んだ契約の支払いを続けるためのお金でもある。 お金・手の内・人・決める人の4つの流れで読む 上場で動くのは、お金だけではない。私は今回の上場を、4つの流れで見る。 一つ目は、お金が入ってくる流れである。これまで限られた出し手から集めていたお金が、公開市場から入るようになる。二つ目は、手の内が見える流れだ。何で儲けているかが、競争相手にも投資家にも数字で見えるようになった。三つ目は、人が出ていく流れである。株を売れるようになった社員が、次の会社をつくり、次の会社にお金を出す。四つ目は、決める人の流れである。お金は外から入っても、取締役の過半数を選ぶ権利は、創業者たちが設けた「長期利益信託」という仕組みが握り続ける。 この4つは、別々の話ではない。お金を集め続けるには、儲けの中身を見せなければならない。見せれば、競争相手も同じ場所に集まる。上場で生まれたお金と人は、その競争相手を育てる。そして、どれだけお金が入っても、決める人は変わらない。この連載では、第1回でお金、第2回で手の内と人、第3回で決める人とこれからの競争を扱う。 お金を一番長く集め続けられる者が勝つ66兆円の支払いを続けられるのは誰か まず、支払いの重さを年あたりに直してみる。重いのはグーグルとアマゾンへの支払いだ。グーグルへの最低支払額は約1,145億ドルで、期間は2026〜2033年。アマゾンへは最低1,100億ドルで、2026〜2036年である。どちらの契約にも、使わなくても払うと明記されている。 これに、ブロードコムからの5年間の半導体の借り受け約1,612億ドルと、マイクロソフトへの最低449億ドルが加わる。4社を足すと約4,300億ドルになり、先の約4,170億ドルを上回る。先の数字は2026年以降に結んだ契約に限った額で、2025年11月に結んだマイクロソフトとの契約などが入っていないためだ。毎年同じ額を払うと仮定した粗い試算だが、この4社分だけで、最低でも年620億ドル前後、約10兆円になる。4〜6月の計算費用を4倍すると、年220億ドルほどのペースだ。 手元の約20兆8,000億円は、多く見える。しかし、年10兆円の支払いの前では、2年分ほどにしかならない。売上が伸びて計算費用の比率が下がれば、支払いの多くは稼いだお金でまかなえる。それでも、伸びが一時的に鈍る年はありうる。そのとき、支払いを滞らせずに次のAIの開発を続けるには、外からお金を集め直す必要がある。 ここで、私が投資家として目論見書を読むときの問いが変わる。スタートアップの決算を見るとき、私はまず、手元の現金が何か月もつかを確かめる。しかしアンソロピックの場合、問うべきは手元の現金の量ではない。必要になったときに、何度でもお金を集め直せるかどうかである。年10兆円規模の支払いを何年も続けるには、一度の大きな調達では足りない。何度でも集め直せる場所が要る。その場所が、公開市場だ。 オープンAIもまた、2030年までに計算資源へ約7,500億ドルを投じる計画だと、米ウォール・ストリート・ジャーナルが2026年7月に報じている(会社は公表していない)。各社が同じ半導体、同じ電力、同じデータセンターを取り合い、契約の額を積み上げている。契約が大きくなるほど、勝負を分けるのは、払い続けられるかどうかになる。AI競争は、誰が一番長くお金を集め続けられるかの勝負に変わりつつある。 私募から公開市場へ、そして積立のお金へ これまでアンソロピックにお金を出してきたのは、限られた出し手だった。グーグルやアマゾンのような大手のIT企業と、投資会社である。上場によって、ここに公開市場のお金が加わる。年金や投資信託、そして個人のお金である。 日本の個人にとって気になるのは、少額投資非課税制度、いわゆるNISAで積み立てているお金が、アンソロピックの株に流れ込むかどうかだろう。答えは、どの株価指数に連動する投資信託を積み立てているかで分かれる。 アンソロピックが、米国の代表的な株価指数であるS&P500に組み入れられるのは、しばらく先になる。S&P500は、組み入れの条件として、上場から12か月の経過と、直近の四半期と過去1年の黒字を求めている。指数を算出するS&Pダウ・ジョーンズ・インデックスは今年6月、巨大な新規上場の企業を早めに組み入れる案を見送った。アンソロピックは本業では黒字になったが、最終損益はまだ大きな赤字である。S&P500に連動する投資信託を積み立てているお金が、すぐにアンソロピックへ向かうことはない。 一方、ハイテク株の多いナスダック100には、上場から間もなく組み入れられる可能性がある。ナスダック100には、上場から15営業日で組み入れる特例があるからだ。時価総額が指数の上位40社に入ることなど、ほかの条件を満たす必要はあるが、イーロン・マスク氏のスペースXはこの特例を使い、7月に組み入れられた。アンソロピックが同じ道をたどれば、ナスダック100に連動するQQQなどの上場投資信託(ETF)も、日本の個人が積み立てる投資信託も、組み入れの日に合わせて、自動的にアンソロピックの株を買うことになる。 ここまでをまとめると、S&P500を通じたお金はしばらく来ないが、ナスダック100を通じたお金は上場から間もなく来うる。ただし、指数に連動する投資信託が買うのは、市場で売りに出された株である。そのお金は株を売った既存の株主に渡り、アンソロピックの口座に直接入るわけではない。 では、年10兆円の支払いにどう効くのか。効き方は間接的だが、大きい。指数に組み入れられると、連動する投資信託は、積み立てのお金が入るたびに、その一部でその株を買い続ける。株を買う手が途切れずにいることは、株価を支える力になり、売り買いも厚くなる。そうなれば、アンソロピックは支払いのお金が足りなくなった年に、新しい株を発行して売り出し、まとまったお金を集め直しやすくなる。社員への報酬の一部を現金ではなく株で払えば、手元の現金を支払いに回せる。株価が安定していれば、借り入れや社債でお金を集める条件もよくなる。 これが、上場の持つ本当の意味である。一度の調達で終わらず、必要になるたびに集め直せる。年10兆円の支払いを続けたい会社にとって、ナスダック100への組み入れは、その集め直しの土台になる。 グーグルとアマゾンは、株主であり取引先でもある 公開市場のお金には、もう一つ意味がある。出資と設備の代金が行き来する流れの外から、まとまって入ってくるお金だという点だ。 グーグルは今年3月に100億ドルを出資し、2030年までに最大300億ドルの融資と出資の枠を設けた。アマゾンは4月に50億ドルを出資し、最大200億ドルの枠を設けた。この二社は、株主であると同時に、設備を貸す取引先でもある。2026年1〜6月の売上の48%は、グーグルやアマゾン、マイクロソフトのクラウドを通して入ってきた。出資したお金が、設備の代金として同じ相手に戻っていく。 この循環は、平時には安全網として働く。株主でもある取引先は、アンソロピックが困れば支える動機を持つ。しかし、網全体は同じ方向に揺れる。株主を兼ねる取引先が自らの設備投資を見直せば、出資の枠も、設備の値段も、同時に動きうる。 公開市場のお金は、この循環の外にある。年金や個人のお金は、設備の代金として戻ってくることを期待して出されるお金ではない。アンソロピックにとって上場は、出資と代金が行き来する閉じた循環の外に、新しいお金の入り口をつくることを意味する。 では、循環の外のお金は、どれだけ安いのか。お金を出す人が求める利回り、つまり資本コストで試算してみる。上場前の大型の出資では、投資会社は売るに売れない株を持つ代わりに、年20〜30%ほどの利回りを求めるのが通例だ。グーグルやアマゾンの出資は、設備の代金として戻ってくることを前提にしている。目に見える利回りは低くても、その分、設備の値段と使い先が縛られる。一方、上場した株の資本コストは、米国の10年国債の利回りに、株を持つことへの上乗せ分を足して求める。国債の利回りを約5%、株式市場全体の上乗せ分を約4.5%、アンソロピックの株価の振れを市場の1.5倍と置くと、約12%になる。 差は、少なくとも年8ポイントある。仮に1年分の支払いにあたる10兆円を株で集めるとすれば、出し手が期待する見返りは、年20%なら2兆円、12%なら1.2兆円で、年8,000億円ほど小さくなる。アンソロピックにとっては、同じ額を集めるのに渡す株が少なくて済むということでもある。(試算の前提:10年国債の利回りは2026年10月下旬の約5.0%、株の上乗せ分はニューヨーク大学のアスワス・ダモダラン教授の推計(2026年1月時点で約4.2%)を参考に、やや高めの4.5%、株価の振れは成長期のハイテク株の水準を参考に1.5倍と置いた。上場前の利回りは、ベンチャー投資で上場直前の段階に一般に求められる水準である。) 私が今回の上場を号砲と呼ぶのは、この入り口が開いたからである。後に続くオープンAIも、同じ入り口を求めることになる。 お金を呼ぶ根拠は「賢さ」と「使い続けられること」 では、公開市場はなぜ、アンソロピックにお金を出し続けるのか。公開市場の投資家は、3か月ごとに決算を見る。お金を出し続けてもらうには、そのたびに根拠を示さなければならない。 根拠は二つある。一つは、一番賢いAIを持っていることだ。目論見書によれば、7〜9月の売上の8割以上は、4〜9月の半年に出した新しいAIから来ている。新しいAIを出すたびに、売上の中身が入れ替わっている。賢さで先頭を走り続けることが、そのまま売上の条件になっている。 もう一つは、一番使い続けられるAIを持っていることだ。会社向けの契約では、7〜9月、プログラミング用の「クロード・コード」を使う人の上位5%が、使わない人(月平均75ドル未満)の約20倍を払っている。仕事の中に組み込まれ、手放せなくなった利用者がいる。年に10万ドル以上を払う顧客は、1年前の950社超から1万1,900社超へ増えた。これだけの額を払うのは、仕事に組み込んだ顧客である。 賢さは、新しい客と新しい売上を呼ぶ。使い続けられることは、一度得た客と売上が逃げないことを示す。ただし、売上の多くは使った分だけ払う形で、長い契約に縛られていない。客がやめないことは、数字で示し続けるしかない。新しい売上が加わり、すでにある売上が逃げない。この二つがそろったとき、公開市場はお金を出し続ける。逆に言えば、どちらかが崩れたとき、お金を集め続ける力は弱まる。 目論見書が出たことで、投資家はこの二つを初めて数字で確かめられるようになった。これは、アンソロピックにとって強みであると同時に、競争相手にとっての地図でもある。何で儲けているかが見えれば、競争相手も同じ場所に集まる。この話は、次回に詳しく扱う。 物差しは、賢さから「集め続ける力」へアンソロピックの上場は、AI競争の決着ではない。約66兆円の設備の支払いを続けるために、何度でもお金を集め直せる場所を手に入れることである。 上場によって、出資と代金が行き来する閉じた循環の外に、公開市場という新しいお金の入り口が開いた。ナスダック100に組み入れられれば、日本の個人が積み立てるお金も、上場から間もなく、その株を買う手に加わりうる。そして、そのお金を呼び続ける根拠は、一番賢いAIと、一番使い続けられるAIを持っていることだ。 AI競争の物差しは、賢さそのものから、賢さを根拠にお金を集め続ける力へと移る。 補足として、目論見書への市場の評価をまとめた日経の記事も挙げておく。 アンソロピック目論見書「市場を活性」「直近の業績非公表に違和感」(日本経済新聞) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB2711V0X21C26A0000000/ 次回は「9兆円の兄妹と、億万長者になりうる940人」。目論見書で見えた儲けの中身と、上場で生まれるお金と人の行き先を考える。 編集後記目論見書を読みながら、私が考えていたのは、この会社がいくら稼ぐかではなく、この会社にお金を出し続けるのは誰かということだった。AIの賢さは、ニュースになりやすい。しかし、賢さを競い続けるには、お金を集め続けなければならない。上場は、その仕組みが表に出てくる瞬間である。次回は、少し下世話な話から始めたい。 感想や異論はコメント欄でお待ちしております。 あなたのビジネスが「悩みを集めて、値段をつける」設計になっているか、一度確かめてほしい。事業の悩みを話しかけると、私のマネタイズ思想を学習したAIが答えを返します。 https://monetization-consult.kawasakikikaku.co.jp/ #アンソロピック #AI経営 #スタートアップ投資

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Letters from Nowhere

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Made in Japanを支える生活風景へ

今週、日本の企業経営者の方々にミラノのデザイン、文化、マネジメントに接していただく機会がありました。 いろいろな場所にお連れしたなかのひとつに、認知症の人たちが住むシェアハウスやケアセンターがあります。認知症はご自分の両親、ご自分、あるいは従業員の方がリアルに直面する問題ですが、何故、このような場をあえて案内したかの理由を書いておきたいと思います。 これがタイトルの「Made in Japanを支える生活風景へ」に繋がっていきます。 症状の中間にいる人たち 認知症は生活の自立にまったく障害のない初期から完全に記憶を失うまでの年数が20数年と言われます。しかし、往々にして自宅で普通の生活と病院や完全介護の施設でのそれの両極端がイメージされます。 実際に多くの人の症状は中間の段階にあり、あることは一人ででき、あることは人の助けを必要とし、ただし、それらのひとつひとつの項目が明確にわかっているわけではない。または、ある日はできても、ある日はできないというものです。 あるいは、夫婦の場合、伴侶の片方だけ自立が難しく、他方はさほど問題ないとのケースでは、2人で介護施設に入るのが良いか?別々の生活にするとよいのか?との迷いがでます。 今回、みなさんをお連れしたのは、ひとつはシェアハウスです。普通の建物の一部を改装して何部屋もある広いアパートに何人かのカップルなり個人が住む空間です。そこにヘルパーがいる、というわけです。 もうひとつは、郊外にあるケアセンターとそれに近接した介護施設です。こちらは新しい町(冒頭の写真)のなかにあり、まわりは若い世代も住む住宅になっています。特徴としては、認知症の人たちが町のなかに出られ、若い人とも出会う確率が増えるように工夫されています。例えば、認知症とは何か?の理解を若い人が深めるようなフェスタが行われます。 若い世代と認知症の高齢者の間に「交流があるべき」ということではなく、「交流が生まれやすい環境」がデザインされているのです。 もちろん、背景にはミラノ市内の不動産価格が高騰し、若い世代は郊外に住むしかないケースが多い、との事情があります。すなわち、逆に、その事情を良い方向に活用したいとの発想を肯定的に捉えようとの意思が窺えます。 隔離した精神病棟の廃止から約半世紀 認知症の人たちと健常者が共に住む社会のあり方を探る様子を見ていると、1978年のバザーリア法を想起します。バザーリア法では隔離された精神病棟の廃止を決め、精神障がい者が社会に出て生きていく道をつくりました。彼らがレストランやホテルで仕事をしているのです。 1970年代、ほぼ同じ時期に学校教育における特殊学級も廃止されており、人を「障がい」区別の対象にしないのが当たり前になったのです。 それから半世紀を経て、100%正しい選択だったと言えるか?との声がないわけではないです。だが、多くの人がどのような状況の人に対してもフェアに接する文化が推進されたのは確かです。 この延長線上に認知症の人たちとの共生への試みがあるのです。ことは認知症に限らない認識が前提になっています。 Made in Italyにはライフスタイルの評価が重なっている イタリアでの生活には外国人からみても一定の憧れを伴うところがあり、それは日常生活の豊かさや質の高さにあります。今だ、「イタリアでは昼寝は当たり前なのか?」との質問がありますが、昼寝をするかどうかではなく、余裕ある時間の使い方であるかを確かめているのです。 時間の使い方、家族を含めての人間関係、何を重視するかの価値観、これらについてイタリア社会は成熟した考え方が定着していると外国人に思われ、そのなかにある労働観や仕事観がMade in Italy評価の根底にあります。すなわち、認知症との付き合い方も、意図とは関係なく、Made in Italyの質向上にも結果的に貢献しています。 商品開発の独創性やフレキシブルな生産体制が注目されやすい一方、それらを可能にする土壌としてのライフスタイルがMade in Italyを支えているとの認識があるため、イタリア人は外国人とビジネスを進めるにあたり比較的ライフスタイルとバランスを図りやすい—少なくとも、ライフスタイルを全面に出してビジネスの条件交渉をしやすいのです。 過重労働を基準とした生産を期待するのは、注文側の倫理に問題がある― Made in Japanにはライフスタイルがない 他方、Made in Japanの見られ方としては、極言すれば、生産現場の運営評価に限定されがちです。生産効率や品質管理の良さであり、3分ごとに走る新幹線の運行に遅れが少なくー1分でも遅れれば謝る―のは、緻密な管理方法のおかげであり絶賛すべきだが、自らがそのなかの一員として働くには躊躇するのが多くの外国人の本音でしょう。 街の通りにゴミが落ちておらず、食事が美味しく、職人文化などがまだ見られる、と外国人が日本に好んで観光に訪れます。しかし、日常生活にあるライフスタイルが羨望の的になっているわけではない。山手線の電車にぎゅうぎゅうに乗せられるのは嫌だ、と思うのも自然です。 サブカルチャーや食をコアにした日本文化もMade in Japanも外国人から高い評価を得ながら、そこには日常のライフスタイルがすぽっと抜けているから、自然体が評価されるMade in Italyと比べると損な立ち回りにならざるを得ないのです。 文化に生きる 日本の経営者たちをケアセンターに案内しながら、ぼくが説明したのは、認知症の人たちとの共生に取り組むことそのものが、インクルーシブというお決まりの語彙で評価されるだけではなく、Made in Italyを支えるライフスタイルとして評価されているとの点です。 「文化で稼ぐ」とのロジックが言われる際、文化資産をビジネスの素材として活用することが多いです。つまり文化が日常生活の外にあるかのような見方が強いですが、そうすると、どうしても肩肘はった文化論に没入しがちです。 したがって、このポイントが分岐点となり、「文化でビジネス」と「文化とは関係ないビジネス」という選択肢の話になってしまいます。これは弱い。文化に生きる、との視点があるのが強いのです。 意味のイノベーション さて、文化に生きる、とした場合、実際にどうすればいいのか?です。参考になるのが、意味のイノベーションです。 この10年ほど、ストックホルム経済大学で経営学を教えるロベルト•ベルガンティの『突破するデザイン』を監修して以来、意味のイノベーションのエバンジェリスト的活動を続けてきました。 問題解決もさることながら、センスメイキングにこそ注力すべきタイミングであるとの認識に基づいています。 彼が意味のイノベーションとして出す事例は、ろうそく、任天堂のWii、フィアットの500など多数ありますが、戦略的に日常生活の意味を変える例としては、調理器具メーカーのアレッシにあるワインオープナーです。 機能としてはまったく普通のワインオープナーです。しかし、デザイナーのアレッサンドロ•メンディーニは、ヘッドの部分を女性ダンサーの顔に、レバーを腕に見立てたのです。それにより、ワインのコルクを開けるプロセスが、女性ダンサーが踊っているかのように見えます。これはAnna G.という商品名で1990年代前半にデビューしましたが、ロングセラー商品になっています。 Anna G.Scopri Anna G.: Cavatappi del designer Alessandro Mendini. Alalessi.com 単純作業がエンターテイメントになったわけです。このように日常生活の風景の一瞬の風景の意味を変える、これが文化に生きる実践なのです。 更に言うなら、これが新しいラグジュアリーの基本になります。今月後半に開講する下記オンラインプログラムでは、子どもをベビーシッターに預けて夫婦だけがおしゃれなレストランに行くのではなく、子どもも一緒にレストランに出かける習慣がラグジュアリーの新しい姿として望まれているのを前提としています。 認知症の人との関係も、当然同じです。 Letters from Nowhere |「創造的再生」新ラグジュアリーオンラインプログラム#7こんにちは。Letters from Nowhere(LFN)です🕊️ 私たちはこれまで、「新しいラグジュアリー」という潮peatix.com ーーーーーーーーーーーーーー 会社に言えず7年間「隠れ介護」 ワーキングケアラーの孤立救うには - 日本経済新聞親の介護は突然始まる。いつ終わるか分からない。働きながら介護を担うワーキングケアラーは、民間調査によれば経験者の半数超でそwww.nikkei.com ライターの最相葉月さんがこの記事に、介護の世界で得られたものは仕事にも生かされ、高齢化最先端をいく日本が誇れる力になると信じる、とコメントしている。それも確かだが、それ以上の意味があるだろうと考えている。

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多数とは違ったアプローチをとる ー Kyōto YouMe Triennale (4)

Kyōto YouMe Triennaleは3つのカテゴリーの会場から構成されました。東本願寺の飛び地である渉成園、近くにある仏教を学ぶ学生たちのかつて寮である重信会館、市内数か所のギャラリーで独自に開催されるYouMe Openです。 この実験ともいうべきマニフェスト版におけるYouMe Openに、佐藤喜代松商店も参加いただきました。このシリーズ1回目に紹介しましたが、佐藤さんは皮革のバッグにドット化したリバティ柄を漆で表現され、その開発プロセスでリバティはドットでリバティ柄を表現するとの循環をつくりました。冒頭の写真は、普段は漆の工房を数々の作品の展示に変えた姿です。 渉成園と鴨川の間に高瀬川が流れていますが、ちょうど渉成園の裏手にあたり高瀬川沿いに9月にオープンしたばかりのPAO Makers Gallery があります。大人気でいつも人が絶えないクラフトビールパブの隣です。 このPAO Makers Gallery もYouMe Openに参加してくれました。デザイナー、長澤一樹さんと河端亞弥の2人がこの場所を使い作品を展示したのです。下記、河端さんのインスタですが、彼女は壁にあるテキスタイル、長澤さんは二種類の素材をもとにした作品です。 このお2人がYouMe Openに参加するに至った経緯から話しましょう。 View this post on Instagram 昨年4月のミラノサローネのサテリテは「新しいクラフツマンシップ」がテーマでした。ぼくは参加者の選考委員の一人だったので、実際のサテリテの展示では多くのデザイナーに作品の意図を聞いてまわりました。 そこで出逢ったのが長澤さんの、縄やタワシに使われるシュロという樹木の樹皮を器に適用させ、伝統的な染色技法「柿渋染め」と、廃棄される鉄屑から抽出した「鉄媒染液」を掛け合わせて開発した作品群です(上の写真でテーブルの上の展示されているもの)。 昨年、日経新聞COMEMOに書いた記事を下記引用します。 ぼくも会場で話しを聞いたのですが、既に評価が定着した文化ヘリテージを要素分解して再構成する手法とは異なり、また既存の工業製品廃棄物の再利用とも異なり、素材のまったく新しい価値あるいは意味の転回をはかっています。 意味のイノベーションの一例とも言えるでしょう。日本の多くの他のデザイナーとは別の路線をいっているのです。 新・クラフツマンシップを考えながら、ミラノデザインウィークを探索する彼はアワードの1位をとりました。アワードの選考委員長をつとめるMoMAのキュレーター、パオラ・アントネッリさんからは、長澤さんのデザインが存在していること自体に意味がある、といったコメントをもらったようです。 ぼくもそう思います。彼のアプローチはクラフト分野で定番の「伝統と革新」などという言葉とは違った方向を目指しています。 だからKyōto YouMe Triennaleに出てくれると良いと思うデザイナーの一人だと考えていたのですが、彼がこのイベントの計画をぼくの日経新聞COMEMOの記事を通じて知り、直接連絡をもらいました。参加したい、と。 大歓迎です。 そこで、ぼくは一つの提案をしました。今年のサテリテに参加していた河端亞弥さんと一緒にどうですか?と。長澤さんが河端さんのことを知っているかどうかは知らず、です。 河端さんのデザインについては「曖昧なデザインは音楽に学んだークラフツマンシップ考」との記事を書き、今年のサテリテで出逢った「気になるデザイナー」の一人だったのです。 そうしたら、長澤さんは河端さんの作品を以前から見ており、お互いに話したこともあると判明しました。そして、2人ともエットレ・ソットサスのデザインが好き、という共通点がありました。 その後、紆余曲折ありながらも、最終的にお2人の作品が高瀬川の近くで見られることになったのです。長澤さんは、あらたに国産石の価値を捉え直す新作群も加えています。 2人とも「クラフト」や「産地」といったキーワードに敏感ながら、およそ世間で流布しているアプローチに惹かれていないーーぼくが2人のデザインを魅力に思う理由の一つです。 「アート、デザイン、クラフトを横断」というのは、それぞれを融合させようということではないです、それぞれの間にある曖昧な領域を「つくる」を鍵にどう直視し再考するか?です。 異文化の理解 - Kyōto YouMe Triennale (1)上記は、このシリーズ1回目の冒頭に書いた文章です。誰もが自分の内から何かをつくりたい、と強く思うところに起点があります。しかし、同時に「カテゴリーなんか関係ない」とカテゴリー分けにあまりにナイーブになるのも違います。 大切なのは、リアルな異文化経験をベースに「つくる」を問うとの姿勢です。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 河端さんはバイオリニストでもあり、10月8日の渉成園でのオープニングにおいて皆さんが歓談しているなか、仲間のチェリストの長谷川寧々さん、バイオリニストの星野大吾さんと一緒に演奏してくれました。 写真は、会場準備中にリハーサルをする3人です。 ーーーーーーーーーーーーーーーー マウント女王にだまされる心理 人は思っているほど考えていない - 日本経済新聞私たちの脳は自分たちで思っているほど性能の良いものではありません。人間は、自分が思っているほど、頭が良くないのです。考えてwww.nikkei.com

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ハイパーローカルのクラフト ー Kyōto YouMe Triennale (3)

Kyōto YouMe Triennaleは東本願寺の渉成園の近くにある重信会館も展示会場でした。およそ1世紀前に建てられた仏教を学ぶ学舎および学生寮であった建物に蔦が絡み、風情があります。 窓を通して入り込む光も蔦によりとても柔らかく、室内に展示されているアート作品も、この環境を待っていたかのような錯覚を覚えるほどです。 窓に情緒があるこの建物の地下一階でプロジェクトブルーの展示が行われました。冒頭の写真をご覧いただけば想像できるように朽ちた空間です。 ここに展示されたアフガニスタンの写真の数々が場に力を与えてくれました。さまざまな方々を渉成園と重信会館に案内し、もっとも多くの人が「印象的」と評したのは、実はこの地下一階だったのです。 「今までアフガニスタンに行きたいと思ったことなど一度もなかったけど、これらの写真をみて、アフガニスタンをぜひ訪ねたいと思いました」と語ってくれた人が何人かいます。 ある日、初めての飲食店さんでYouMeを料理人に紹介したら、翌日、何時間も会場をまわってくれ、最後に「このアフガニスタンの風景を撮影した写真を買いたい」と話してくれました。 それほどに、風景とストーリーが見る者の心を捉えたのです。 プロジェクトブルーYouMeのサイトで案内したプロジェクトブルーの説明を下記に掲載します。 Project Blue は、芸術の力によってアフガニスタンの文化遺産を守る取り組みに資金を届けています。 最初の画家たちが洞窟の壁に絵を描いたとき、そこに青という色は存在していませんでした。古代の人々は、その色を物語や神話の中で表現する言葉さえ持っていなかったのです。9,000年前、アフガニスタン北部の山岳地帯でラピスラズリが掘り出され、そこから最初の真の青、ウルトラマリンが生まれました。この青は、シュメール人、エジプト人を経て、そしてルネサンスの画家たちによって歴史に受け継がれてきました。 何千年ものあいだ、類まれなこの色は人々の想像力をとらえ、神聖な美の象徴となってきました。西洋では聖母マリアの衣に、東洋では仏を崇めるために用いられました。その希少性と高価さから、かつては金よりも貴重とされていました。 2025年9月、タヴォロッツァ財団の支援を受けた Project Blue は、アフガニスタン・バダフシャン州の高地にある人里離れたラピスラズリ鉱山、サーレサングを訪ねました。そこで採れたラピスラズリから絵具をつくり、現代を代表するアーティストたちに提供しました。アーティストたちが生み出す新たな作品はオークションにかけられ、その収益がアフガニスタンの文化遺産を守る事業の資金となります。この地の若い世代に、仕事と希望を届けるために。 写真家サイモン・バクストンは、Project Blueのプロジェクトの一員としてアフガニスタンのラピスラズリ鉱山を訪れました。重信会館では、その写真から厳選した作品を展示します。バクストンの写真が捉えているのは、アフガニスタンの息をのむような美しさと、そこに生きる人々の姿。そして何よりも、これらの作品は、この旅に鑑賞者を誘う招待状となっています。 プロジェクトブルーパドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂の壁面にある14世紀初頭のジョットによる壁画は、アフガニスタンのラピスラズリからもたらされたブルーによって描かれたものでした。 スクロヴェーニ礼拝堂のジョットの作品また、17世紀、オランダのヨハネス・フェルメールは、ラピスラズリのウルトラブルーを多用したがために経済的な困窮に陥ったとも言われます。 しかし、現在、アフガニスタンは紛争地帯であり、女性の教育は禁じられ、ラピスラズリを産出する文化遺産も危機的状況にあります。そこでプロジェクトブルーが始まったわけです。 [FT]小国が超大国を食う時代 世界から消えた「真の巨人」 - 日本経済新聞サウジアラビアの空港がイエメンの親イラン武装勢力フーシに攻撃され、多数の死傷者が出た。それでも当地で10月下旬に開催されるwww.nikkei.com 上記のFTの記事では、「どんなに小さな存在でも、ほぼすべてが何らかの強みを持っていることがある」と述べていますが、アフガニスタンのラピスラズリも例外ではないです。西洋美術史に大きな影響を与えた経緯を思うに、ひとつのことを想起します。 それは、9月にヴェネツィアのホモファーベルを訪ねて得た感想です。「積極的に評価すべきは、ユニバーサルな価値向上に貢献するものとしてのクラフトとの認識がより増している点ではないか」と考えた点です。 ここでいうユニバーサルは少し概念的に聞こえるかもしれません。 次のようなことです。 物理的距離とは関係なく、AというローカルのクラフトとBというローカルのクラフトがなんらかの協力関係をもつとのレベルから新しい道を探るタイミングに今、世界はある ーー Aのローカルにある素材がBのローカルにある技術や表現力と結びつき、その逆の可能性も同様に探る、という具合です。 ウルトラブルーがもつ歴史のように、このようなA+Bのコラボレーションが人類に明るい光をともすことを我々は考えるべきと思うのです。 Aというローカル、Bというローカルのローカル自慢や経済的利益だけに執着するのではなく、次の一歩を積極的に図る環境に我々はおかれています。それには、ソーシャルイノベーションとデザインを専門とするエツィオ・マンズィーニが『日々の政治』の冒頭でも示した表現「ハイパーローカル」を再考するのが良いです。 彼は自分の身のまわりを重視する「ローカルにどっぷり」という意味の「ハイパー」と、「境界の少ない」という意味の「ハイパー」の2つをかけて「ハイパーローカル」という表現を使っています。 その際、つまりハイパーローカルを戦略としてとるとき、「異文化の理解 - Kyōto YouMe Triennale (1)」で述べていることが重要になってくるのです。大上段に構えた文化論はA+Bを生みにくく、リアルな異文化理解こそがA+Bを生むと確信しています。 「アフガニスタンに行きたい」という言葉に潜むかもしれないハイパーローカルの可能性に期待したいです。 ーーーーーーーーーーー 新・ラグジュアリーの講座のサブタイトルにある「創造的再生」も、異文化理解が根底にくると考えています。 Letters from Nowhere |「創造的再生」新ラグジュアリーオンラインプログラム#7こんにちは。Letters from Nowhere(LFN)です🕊️ 私たちはこれまで、「新しいラグジュアリー」という潮peatix.com

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新しい通訳の姿 — Kyōto YouMe Triennale (2)

前回、「異文化の理解 - Kyōto YouMe Triennale (1)」のなかで、文化を大上段に構えて語らない方向を目指すべき、と示唆しました。異文化経験が豊富であればあるほどに、時々に応じて文化を適正なサイズで捉えていけるようになります。 YouMe会期中の10月11日、京都リサーチパークで「つくることの意味」をテーマとしたカンファレンスを開催しました。サイトの以下の文章は、企画者として、ぼくが書いたものです。 Kyōto YouMe Triennaleは、「つくることの意味(Meaning of Making)」をテーマとした国際プラットフォームです。AIの隆盛によって「考える」ことそのものの位置が揺らいでいます。それにもかかわらず、人にとって「つくる」とはどのような意味をもつのかという問いは深められないまま、アート、デザイン、クラフトはそれぞれ個別に語られがちです。英語でも「メイク」「クリエイト」「プロデュース」「クラフト」「デザイン」といった言葉が、それぞれ恣意的に使われています。 本カンファレンスでは、これらを再考するための筋道をつくります。プログラムは4つのディスカッションと4つのプレゼンテーションで構成されます。 序章は、ナザニン・ザガリ=ラトクリフとエスター・コーエンによる静かな対話です。ナザニンは、2016年にイランで不当に拘束されて以来、人質外交の象徴として世界的な注目を集めてきました。エスターは、20世紀アヴァンギャルド美術を専門とする美術史家・キュレーターです。 <後略> カンファレンス「つくることの意味」およそ20人が4時間のうちに登壇するカンファレンスで、およそ3分の2の登壇者が日本語を解しません。一方、想定される聴衆はほとんどが日本人です。アカデミックな場であればいざしらず、そうではない場合、日本のこうした場で通訳は必須です。 さて、どうするか?です。中山慶さんに提案したことが、ことの発端になります。 AI時代の新しい通訳の姿を探りませんか? これまで何度も通訳を必要とするイベントを主宰してきて、いつも通訳の選択には細心の注意を払うようにしてきました。会議通訳で良いパーフォーマンスを出される方が、パーティの場で良い通訳を演じてくれるわけではないです。 また、同時通訳はブースを構えデバイスなどのコストがかかり、4時間であれば複数の人に通訳を依頼せなばなりません。そうしたコストのわりに、聴衆の通訳に対する評価が低いことが多いです。特に日本の聴衆は厳しい -- どこにミスがあったとか。 そこで、今回、新しい通訳のあり方を探りたいと中山さんにもちかけたのです。AI字幕とサマリー通訳 ー 逐語通訳は複数フーレズの後に訳しますが、中山さんにはセッションごとにサマリーをお願いしたのです。 聴衆が上から目線でAI字幕のミスを見つけることで満足度があがると、ぼくは踏みました。AI字幕のミスを中山さんが指摘すると「そうだろう、そう思ったよ」と思うような展開にもっていこうと。 一方、このAI字幕を着実に職人的(!)に実現して欲しいとお願いした方が、立命館大学デザイン・アート学部の井登友一さんです。井登さんはGoogle meetを使って字幕を投影できると準備を進めてくれました。 YouMeでは、AIへの姿勢を大きな声であえて語っていませんが、このカンファレンスではもろにAIを問う運営をすることにしたのです。 アナウンサーではなくキャスターを! 通信状況や機器に問題がなければいけそうと楽観視していたのが、もろくも崩れたのが前日です。 中山さんから、実際にGoogle Meet有料版で字幕のテストをしたら、自己紹介のような簡単なものはいいが、哲学的会話は8割程度しか訳されず、しかも、残りの2割こそが肝の部分だと指摘されました。 そのいい加減な字幕を長い時間見続けるのが目に辛いとも言うのです。 肝心な部分の訳が甘いのは聴衆に不満をもたらし、聴衆がスマホなどで他のことに関心が移る契機にもなります。 急遽、ぼくが中山さんにお願いしたのは2点です。 一つ目はアナウンサーではなく、ニュースキャスターになって欲しいということです。通常、話す人間が通訳へふるタイミングを決めますが、今回、通訳の出番を通訳本人の判断で決めてもらうのです。 二つ目は異例ながら、カンファレンスの冒頭で通訳の自己紹介と通訳の方針を自ら語って欲しいということです。 当日、中山さんと井登さんの二人にはフルに活躍していただき、その間をMCをつとめていただいたJTのD-LABのアンジェラ・ウーさんがうまくつないでくれました。また、神戸大学国際人間科学学部3年生の小林さんはタイムキーパーとしてこまめに動き回ってくれ助かりました。 こうしたカンファレンスの締めで感激したのは、通訳への盛大な熱い拍手が長く続いたことです。 通訳の中山さんは人類を代表してAIと共に通訳 中山さんは、その翌日、Facebookに次の投稿をされました。ご本人了承のもとほぼ全文をそのまま掲載しています。 人類を代表して、AIと共に通訳をした。 ミッションは、京都・YouMeトリエンナーレのカンファレンス。 始まりはミラノの安西洋之さんからの深夜の一本の電話だった。中山さん、今度大事なシンポジウムがあります。イラン、カタール、インド、またイタリアやイギリスと世界各国のアーティストがこのトリエンナーレに集まるので通訳をお願いしたい。でもこの時代に普通の通訳では面白くない。AIの通訳と共にやらないかと。 つまり、機械翻訳を同時的に流す。これで多くのアーティストたちが話せる時間的な余裕を確保する。しかし機械は時に間違う。それを人間の通訳がモニターし、適宜修正をし、要約を加えるような、この時代ならではのハイブリッドをやれないかと。全くやったことないスタイルだが、とても挑戦的に思った。 そして翻訳者の大半が急速に仕事を失い、さらに音声認識がはるかに発達し、同時通訳者にも失職の嵐が迫ってる中、古来からあった異文化交信の最前線の仕事を、どう現代に引き受けるか。もうやるしかない、という思いでYesと伝えた。 進め方についてはいろんな議論を重ねた上で、今回の役割はいわゆるアナウンサーとしての役割というよりも、キャスターであること。通訳者自体が、字幕翻訳を見ながら、あここは違う、と思ったら場に介入する。20分30分、あの平板な点滅して生成する機械通訳の字幕だけを見るなどとてももたない。 なので、権限として場を仕切り、その場が生まれることに責任を負うことをチームから了解を得て、今日の冒頭でも日英で、この実験的なルールについて伝えた。そもそもこのYouMeトリエンナーレ・マニフェストエディション自体が、非常に実験的でカオスの中から新たなムーブメントを作ろうとしている。 しかし結果として、AIの得意分野と人間がやるべきことの差異がよく見えた。機械は、早口のロジックやイギリス人ネイティブ英語はまあまだ拾える。しかしイタリア人の情熱英語や、固有名詞はぼろぼろ。本丸の「ユメトリエンナーレ」や「河井寛次郎」とかでも毎回大混乱。ミスり方も何か20万光年先くらいの語彙が突然出てやばい。 そんな状況を見ながら、適宜訂正し要約し、人が入るリズムが生まれることによって、チラチラするなんとなく翻訳ではなく、議論に楔が打たれ霧が晴れる感じがあった。同時に、デジタルで平面的な、奥行きのない言葉の羅列から離れ、その会場に居合わせる意味を確認するような、ライブ感が生まれた。 人間だからこそできる、身体と声と多元的な視点を持つがゆえの場づくり。皆が、ホクホクしながら、1日を終え、いやーよかった、と言う反面、同時通訳以上に全方位に複雑に、脳を5時間酷使したこちらは、スルメのようにひからびている。笑 Bravo! Hero! と言ってもらえた言葉が、どこか遠くでこだましてるようだった。 今回のカンファレンスは、「つくることの意味 Meaning of making」 として、いろんな素材や技法やコンセプトの話が出る中、自分としては、場をつくる・場がつくられるとは何か、ということも問いたかった。 この時代における、自分の専門性を極限まで突き詰めた挑戦。その場と問いを、そこに居合わせた皆と、納得のゆく深いものにできて心底嬉しい。 中山慶さんの投稿同時通訳以上に疲れたとの感想には恐縮するしかないですが、通訳の場においても「つくる」の実践が多くの視座を提供してくれています。 ここでも言えることは、経験すべきは大雑把な文化論のなかを泳ぐことではなく、リアル感溢れる実践的文化経験である、ということです。 カンファレンス後の打ち上げー前列右から2番目が中山慶さんーーーーーーーーーーーーーー 減りゆく法廷通訳人、外国人被告は10年で倍増 採用や報酬の基準曖昧 - 日本経済新聞裁判で外国人被告らにつく「法廷通訳人」が減っている。10年間で16%減少する一方、通訳人のついた刑事裁判の被告は倍増した。www.nikkei.com

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デザイン文化について語ろう!

デザイン文化とは何か?というところから、デザイン文化の作り方、その定着のさせ方まで考え語っていきます。

Made in Japanを支える生活風景へ

今週、日本の企業経営者の方々にミラノのデザイン、文化、マネジメントに接していただく機会がありました。 いろいろな場所にお連れしたなかのひとつに、認知症の人たちが住むシェアハウスやケアセンターがあります。認知症はご自分の両親、ご自分、あるいは従業員の方がリアルに直面する問題ですが、何故、このような場をあえて案内したかの理由を書いておきたいと思います。 これがタイトルの「Made in Japanを支える生活風景へ」に繋がっていきます。 症状の中間にいる人たち 認知症は生活の自立にまったく障害のない初期から完全に記憶を失うまでの年数が20数年と言われます。しかし、往々にして自宅で普通の生活と病院や完全介護の施設でのそれの両極端がイメージされます。 実際に多くの人の症状は中間の段階にあり、あることは一人ででき、あることは人の助けを必要とし、ただし、それらのひとつひとつの項目が明確にわかっているわけではない。または、ある日はできても、ある日はできないというものです。 あるいは、夫婦の場合、伴侶の片方だけ自立が難しく、他方はさほど問題ないとのケースでは、2人で介護施設に入るのが良いか?別々の生活にするとよいのか?との迷いがでます。 今回、みなさんをお連れしたのは、ひとつはシェアハウスです。普通の建物の一部を改装して何部屋もある広いアパートに何人かのカップルなり個人が住む空間です。そこにヘルパーがいる、というわけです。 もうひとつは、郊外にあるケアセンターとそれに近接した介護施設です。こちらは新しい町(冒頭の写真)のなかにあり、まわりは若い世代も住む住宅になっています。特徴としては、認知症の人たちが町のなかに出られ、若い人とも出会う確率が増えるように工夫されています。例えば、認知症とは何か?の理解を若い人が深めるようなフェスタが行われます。 若い世代と認知症の高齢者の間に「交流があるべき」ということではなく、「交流が生まれやすい環境」がデザインされているのです。 もちろん、背景にはミラノ市内の不動産価格が高騰し、若い世代は郊外に住むしかないケースが多い、との事情があります。すなわち、逆に、その事情を良い方向に活用したいとの発想を肯定的に捉えようとの意思が窺えます。 隔離した精神病棟の廃止から約半世紀 認知症の人たちと健常者が共に住む社会のあり方を探る様子を見ていると、1978年のバザーリア法を想起します。バザーリア法では隔離された精神病棟の廃止を決め、精神障がい者が社会に出て生きていく道をつくりました。彼らがレストランやホテルで仕事をしているのです。 1970年代、ほぼ同じ時期に学校教育における特殊学級も廃止されており、人を「障がい」区別の対象にしないのが当たり前になったのです。 それから半世紀を経て、100%正しい選択だったと言えるか?との声がないわけではないです。だが、多くの人がどのような状況の人に対してもフェアに接する文化が推進されたのは確かです。 この延長線上に認知症の人たちとの共生への試みがあるのです。ことは認知症に限らない認識が前提になっています。 Made in Italyにはライフスタイルの評価が重なっている イタリアでの生活には外国人からみても一定の憧れを伴うところがあり、それは日常生活の豊かさや質の高さにあります。今だ、「イタリアでは昼寝は当たり前なのか?」との質問がありますが、昼寝をするかどうかではなく、余裕ある時間の使い方であるかを確かめているのです。 時間の使い方、家族を含めての人間関係、何を重視するかの価値観、これらについてイタリア社会は成熟した考え方が定着していると外国人に思われ、そのなかにある労働観や仕事観がMade in Italy評価の根底にあります。すなわち、認知症との付き合い方も、意図とは関係なく、Made in Italyの質向上にも結果的に貢献しています。 商品開発の独創性やフレキシブルな生産体制が注目されやすい一方、それらを可能にする土壌としてのライフスタイルがMade in Italyを支えているとの認識があるため、イタリア人は外国人とビジネスを進めるにあたり比較的ライフスタイルとバランスを図りやすい—少なくとも、ライフスタイルを全面に出してビジネスの条件交渉をしやすいのです。 過重労働を基準とした生産を期待するのは、注文側の倫理に問題がある― Made in Japanにはライフスタイルがない 他方、Made in Japanの見られ方としては、極言すれば、生産現場の運営評価に限定されがちです。生産効率や品質管理の良さであり、3分ごとに走る新幹線の運行に遅れが少なくー1分でも遅れれば謝る―のは、緻密な管理方法のおかげであり絶賛すべきだが、自らがそのなかの一員として働くには躊躇するのが多くの外国人の本音でしょう。 街の通りにゴミが落ちておらず、食事が美味しく、職人文化などがまだ見られる、と外国人が日本に好んで観光に訪れます。しかし、日常生活にあるライフスタイルが羨望の的になっているわけではない。山手線の電車にぎゅうぎゅうに乗せられるのは嫌だ、と思うのも自然です。 サブカルチャーや食をコアにした日本文化もMade in Japanも外国人から高い評価を得ながら、そこには日常のライフスタイルがすぽっと抜けているから、自然体が評価されるMade in Italyと比べると損な立ち回りにならざるを得ないのです。 文化に生きる 日本の経営者たちをケアセンターに案内しながら、ぼくが説明したのは、認知症の人たちとの共生に取り組むことそのものが、インクルーシブというお決まりの語彙で評価されるだけではなく、Made in Italyを支えるライフスタイルとして評価されているとの点です。 「文化で稼ぐ」とのロジックが言われる際、文化資産をビジネスの素材として活用することが多いです。つまり文化が日常生活の外にあるかのような見方が強いですが、そうすると、どうしても肩肘はった文化論に没入しがちです。 したがって、このポイントが分岐点となり、「文化でビジネス」と「文化とは関係ないビジネス」という選択肢の話になってしまいます。これは弱い。文化に生きる、との視点があるのが強いのです。 意味のイノベーション さて、文化に生きる、とした場合、実際にどうすればいいのか?です。参考になるのが、意味のイノベーションです。 この10年ほど、ストックホルム経済大学で経営学を教えるロベルト•ベルガンティの『突破するデザイン』を監修して以来、意味のイノベーションのエバンジェリスト的活動を続けてきました。 問題解決もさることながら、センスメイキングにこそ注力すべきタイミングであるとの認識に基づいています。 彼が意味のイノベーションとして出す事例は、ろうそく、任天堂のWii、フィアットの500など多数ありますが、戦略的に日常生活の意味を変える例としては、調理器具メーカーのアレッシにあるワインオープナーです。 機能としてはまったく普通のワインオープナーです。しかし、デザイナーのアレッサンドロ•メンディーニは、ヘッドの部分を女性ダンサーの顔に、レバーを腕に見立てたのです。それにより、ワインのコルクを開けるプロセスが、女性ダンサーが踊っているかのように見えます。これはAnna G.という商品名で1990年代前半にデビューしましたが、ロングセラー商品になっています。 Anna G.Scopri Anna G.: Cavatappi del designer Alessandro Mendini. Alalessi.com 単純作業がエンターテイメントになったわけです。このように日常生活の風景の一瞬の風景の意味を変える、これが文化に生きる実践なのです。 更に言うなら、これが新しいラグジュアリーの基本になります。今月後半に開講する下記オンラインプログラムでは、子どもをベビーシッターに預けて夫婦だけがおしゃれなレストランに行くのではなく、子どもも一緒にレストランに出かける習慣がラグジュアリーの新しい姿として望まれているのを前提としています。 認知症の人との関係も、当然同じです。 Letters from Nowhere |「創造的再生」新ラグジュアリーオンラインプログラム#7こんにちは。Letters from Nowhere(LFN)です🕊️ 私たちはこれまで、「新しいラグジュアリー」という潮peatix.com ーーーーーーーーーーーーーー 会社に言えず7年間「隠れ介護」 ワーキングケアラーの孤立救うには - 日本経済新聞親の介護は突然始まる。いつ終わるか分からない。働きながら介護を担うワーキングケアラーは、民間調査によれば経験者の半数超でそwww.nikkei.com ライターの最相葉月さんがこの記事に、介護の世界で得られたものは仕事にも生かされ、高齢化最先端をいく日本が誇れる力になると信じる、とコメントしている。それも確かだが、それ以上の意味があるだろうと考えている。

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多数とは違ったアプローチをとる ー Kyōto YouMe Triennale (4)

Kyōto YouMe Triennaleは3つのカテゴリーの会場から構成されました。東本願寺の飛び地である渉成園、近くにある仏教を学ぶ学生たちのかつて寮である重信会館、市内数か所のギャラリーで独自に開催されるYouMe Openです。 この実験ともいうべきマニフェスト版におけるYouMe Openに、佐藤喜代松商店も参加いただきました。このシリーズ1回目に紹介しましたが、佐藤さんは皮革のバッグにドット化したリバティ柄を漆で表現され、その開発プロセスでリバティはドットでリバティ柄を表現するとの循環をつくりました。冒頭の写真は、普段は漆の工房を数々の作品の展示に変えた姿です。 渉成園と鴨川の間に高瀬川が流れていますが、ちょうど渉成園の裏手にあたり高瀬川沿いに9月にオープンしたばかりのPAO Makers Gallery があります。大人気でいつも人が絶えないクラフトビールパブの隣です。 このPAO Makers Gallery もYouMe Openに参加してくれました。デザイナー、長澤一樹さんと河端亞弥の2人がこの場所を使い作品を展示したのです。下記、河端さんのインスタですが、彼女は壁にあるテキスタイル、長澤さんは二種類の素材をもとにした作品です。 このお2人がYouMe Openに参加するに至った経緯から話しましょう。 View this post on Instagram 昨年4月のミラノサローネのサテリテは「新しいクラフツマンシップ」がテーマでした。ぼくは参加者の選考委員の一人だったので、実際のサテリテの展示では多くのデザイナーに作品の意図を聞いてまわりました。 そこで出逢ったのが長澤さんの、縄やタワシに使われるシュロという樹木の樹皮を器に適用させ、伝統的な染色技法「柿渋染め」と、廃棄される鉄屑から抽出した「鉄媒染液」を掛け合わせて開発した作品群です(上の写真でテーブルの上の展示されているもの)。 昨年、日経新聞COMEMOに書いた記事を下記引用します。 ぼくも会場で話しを聞いたのですが、既に評価が定着した文化ヘリテージを要素分解して再構成する手法とは異なり、また既存の工業製品廃棄物の再利用とも異なり、素材のまったく新しい価値あるいは意味の転回をはかっています。 意味のイノベーションの一例とも言えるでしょう。日本の多くの他のデザイナーとは別の路線をいっているのです。 新・クラフツマンシップを考えながら、ミラノデザインウィークを探索する彼はアワードの1位をとりました。アワードの選考委員長をつとめるMoMAのキュレーター、パオラ・アントネッリさんからは、長澤さんのデザインが存在していること自体に意味がある、といったコメントをもらったようです。 ぼくもそう思います。彼のアプローチはクラフト分野で定番の「伝統と革新」などという言葉とは違った方向を目指しています。 だからKyōto YouMe Triennaleに出てくれると良いと思うデザイナーの一人だと考えていたのですが、彼がこのイベントの計画をぼくの日経新聞COMEMOの記事を通じて知り、直接連絡をもらいました。参加したい、と。 大歓迎です。 そこで、ぼくは一つの提案をしました。今年のサテリテに参加していた河端亞弥さんと一緒にどうですか?と。長澤さんが河端さんのことを知っているかどうかは知らず、です。 河端さんのデザインについては「曖昧なデザインは音楽に学んだークラフツマンシップ考」との記事を書き、今年のサテリテで出逢った「気になるデザイナー」の一人だったのです。 そうしたら、長澤さんは河端さんの作品を以前から見ており、お互いに話したこともあると判明しました。そして、2人ともエットレ・ソットサスのデザインが好き、という共通点がありました。 その後、紆余曲折ありながらも、最終的にお2人の作品が高瀬川の近くで見られることになったのです。長澤さんは、あらたに国産石の価値を捉え直す新作群も加えています。 2人とも「クラフト」や「産地」といったキーワードに敏感ながら、およそ世間で流布しているアプローチに惹かれていないーーぼくが2人のデザインを魅力に思う理由の一つです。 「アート、デザイン、クラフトを横断」というのは、それぞれを融合させようということではないです、それぞれの間にある曖昧な領域を「つくる」を鍵にどう直視し再考するか?です。 異文化の理解 - Kyōto YouMe Triennale (1)上記は、このシリーズ1回目の冒頭に書いた文章です。誰もが自分の内から何かをつくりたい、と強く思うところに起点があります。しかし、同時に「カテゴリーなんか関係ない」とカテゴリー分けにあまりにナイーブになるのも違います。 大切なのは、リアルな異文化経験をベースに「つくる」を問うとの姿勢です。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 河端さんはバイオリニストでもあり、10月8日の渉成園でのオープニングにおいて皆さんが歓談しているなか、仲間のチェリストの長谷川寧々さん、バイオリニストの星野大吾さんと一緒に演奏してくれました。 写真は、会場準備中にリハーサルをする3人です。 ーーーーーーーーーーーーーーーー マウント女王にだまされる心理 人は思っているほど考えていない - 日本経済新聞私たちの脳は自分たちで思っているほど性能の良いものではありません。人間は、自分が思っているほど、頭が良くないのです。考えてwww.nikkei.com

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ハイパーローカルのクラフト ー Kyōto YouMe Triennale (3)

Kyōto YouMe Triennaleは東本願寺の渉成園の近くにある重信会館も展示会場でした。およそ1世紀前に建てられた仏教を学ぶ学舎および学生寮であった建物に蔦が絡み、風情があります。 窓を通して入り込む光も蔦によりとても柔らかく、室内に展示されているアート作品も、この環境を待っていたかのような錯覚を覚えるほどです。 窓に情緒があるこの建物の地下一階でプロジェクトブルーの展示が行われました。冒頭の写真をご覧いただけば想像できるように朽ちた空間です。 ここに展示されたアフガニスタンの写真の数々が場に力を与えてくれました。さまざまな方々を渉成園と重信会館に案内し、もっとも多くの人が「印象的」と評したのは、実はこの地下一階だったのです。 「今までアフガニスタンに行きたいと思ったことなど一度もなかったけど、これらの写真をみて、アフガニスタンをぜひ訪ねたいと思いました」と語ってくれた人が何人かいます。 ある日、初めての飲食店さんでYouMeを料理人に紹介したら、翌日、何時間も会場をまわってくれ、最後に「このアフガニスタンの風景を撮影した写真を買いたい」と話してくれました。 それほどに、風景とストーリーが見る者の心を捉えたのです。 プロジェクトブルーYouMeのサイトで案内したプロジェクトブルーの説明を下記に掲載します。 Project Blue は、芸術の力によってアフガニスタンの文化遺産を守る取り組みに資金を届けています。 最初の画家たちが洞窟の壁に絵を描いたとき、そこに青という色は存在していませんでした。古代の人々は、その色を物語や神話の中で表現する言葉さえ持っていなかったのです。9,000年前、アフガニスタン北部の山岳地帯でラピスラズリが掘り出され、そこから最初の真の青、ウルトラマリンが生まれました。この青は、シュメール人、エジプト人を経て、そしてルネサンスの画家たちによって歴史に受け継がれてきました。 何千年ものあいだ、類まれなこの色は人々の想像力をとらえ、神聖な美の象徴となってきました。西洋では聖母マリアの衣に、東洋では仏を崇めるために用いられました。その希少性と高価さから、かつては金よりも貴重とされていました。 2025年9月、タヴォロッツァ財団の支援を受けた Project Blue は、アフガニスタン・バダフシャン州の高地にある人里離れたラピスラズリ鉱山、サーレサングを訪ねました。そこで採れたラピスラズリから絵具をつくり、現代を代表するアーティストたちに提供しました。アーティストたちが生み出す新たな作品はオークションにかけられ、その収益がアフガニスタンの文化遺産を守る事業の資金となります。この地の若い世代に、仕事と希望を届けるために。 写真家サイモン・バクストンは、Project Blueのプロジェクトの一員としてアフガニスタンのラピスラズリ鉱山を訪れました。重信会館では、その写真から厳選した作品を展示します。バクストンの写真が捉えているのは、アフガニスタンの息をのむような美しさと、そこに生きる人々の姿。そして何よりも、これらの作品は、この旅に鑑賞者を誘う招待状となっています。 プロジェクトブルーパドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂の壁面にある14世紀初頭のジョットによる壁画は、アフガニスタンのラピスラズリからもたらされたブルーによって描かれたものでした。 スクロヴェーニ礼拝堂のジョットの作品また、17世紀、オランダのヨハネス・フェルメールは、ラピスラズリのウルトラブルーを多用したがために経済的な困窮に陥ったとも言われます。 しかし、現在、アフガニスタンは紛争地帯であり、女性の教育は禁じられ、ラピスラズリを産出する文化遺産も危機的状況にあります。そこでプロジェクトブルーが始まったわけです。 [FT]小国が超大国を食う時代 世界から消えた「真の巨人」 - 日本経済新聞サウジアラビアの空港がイエメンの親イラン武装勢力フーシに攻撃され、多数の死傷者が出た。それでも当地で10月下旬に開催されるwww.nikkei.com 上記のFTの記事では、「どんなに小さな存在でも、ほぼすべてが何らかの強みを持っていることがある」と述べていますが、アフガニスタンのラピスラズリも例外ではないです。西洋美術史に大きな影響を与えた経緯を思うに、ひとつのことを想起します。 それは、9月にヴェネツィアのホモファーベルを訪ねて得た感想です。「積極的に評価すべきは、ユニバーサルな価値向上に貢献するものとしてのクラフトとの認識がより増している点ではないか」と考えた点です。 ここでいうユニバーサルは少し概念的に聞こえるかもしれません。 次のようなことです。 物理的距離とは関係なく、AというローカルのクラフトとBというローカルのクラフトがなんらかの協力関係をもつとのレベルから新しい道を探るタイミングに今、世界はある ーー Aのローカルにある素材がBのローカルにある技術や表現力と結びつき、その逆の可能性も同様に探る、という具合です。 ウルトラブルーがもつ歴史のように、このようなA+Bのコラボレーションが人類に明るい光をともすことを我々は考えるべきと思うのです。 Aというローカル、Bというローカルのローカル自慢や経済的利益だけに執着するのではなく、次の一歩を積極的に図る環境に我々はおかれています。それには、ソーシャルイノベーションとデザインを専門とするエツィオ・マンズィーニが『日々の政治』の冒頭でも示した表現「ハイパーローカル」を再考するのが良いです。 彼は自分の身のまわりを重視する「ローカルにどっぷり」という意味の「ハイパー」と、「境界の少ない」という意味の「ハイパー」の2つをかけて「ハイパーローカル」という表現を使っています。 その際、つまりハイパーローカルを戦略としてとるとき、「異文化の理解 - Kyōto YouMe Triennale (1)」で述べていることが重要になってくるのです。大上段に構えた文化論はA+Bを生みにくく、リアルな異文化理解こそがA+Bを生むと確信しています。 「アフガニスタンに行きたい」という言葉に潜むかもしれないハイパーローカルの可能性に期待したいです。 ーーーーーーーーーーー 新・ラグジュアリーの講座のサブタイトルにある「創造的再生」も、異文化理解が根底にくると考えています。 Letters from Nowhere |「創造的再生」新ラグジュアリーオンラインプログラム#7こんにちは。Letters from Nowhere(LFN)です🕊️ 私たちはこれまで、「新しいラグジュアリー」という潮peatix.com

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新しい通訳の姿 — Kyōto YouMe Triennale (2)

前回、「異文化の理解 - Kyōto YouMe Triennale (1)」のなかで、文化を大上段に構えて語らない方向を目指すべき、と示唆しました。異文化経験が豊富であればあるほどに、時々に応じて文化を適正なサイズで捉えていけるようになります。 YouMe会期中の10月11日、京都リサーチパークで「つくることの意味」をテーマとしたカンファレンスを開催しました。サイトの以下の文章は、企画者として、ぼくが書いたものです。 Kyōto YouMe Triennaleは、「つくることの意味(Meaning of Making)」をテーマとした国際プラットフォームです。AIの隆盛によって「考える」ことそのものの位置が揺らいでいます。それにもかかわらず、人にとって「つくる」とはどのような意味をもつのかという問いは深められないまま、アート、デザイン、クラフトはそれぞれ個別に語られがちです。英語でも「メイク」「クリエイト」「プロデュース」「クラフト」「デザイン」といった言葉が、それぞれ恣意的に使われています。 本カンファレンスでは、これらを再考するための筋道をつくります。プログラムは4つのディスカッションと4つのプレゼンテーションで構成されます。 序章は、ナザニン・ザガリ=ラトクリフとエスター・コーエンによる静かな対話です。ナザニンは、2016年にイランで不当に拘束されて以来、人質外交の象徴として世界的な注目を集めてきました。エスターは、20世紀アヴァンギャルド美術を専門とする美術史家・キュレーターです。 <後略> カンファレンス「つくることの意味」およそ20人が4時間のうちに登壇するカンファレンスで、およそ3分の2の登壇者が日本語を解しません。一方、想定される聴衆はほとんどが日本人です。アカデミックな場であればいざしらず、そうではない場合、日本のこうした場で通訳は必須です。 さて、どうするか?です。中山慶さんに提案したことが、ことの発端になります。 AI時代の新しい通訳の姿を探りませんか? これまで何度も通訳を必要とするイベントを主宰してきて、いつも通訳の選択には細心の注意を払うようにしてきました。会議通訳で良いパーフォーマンスを出される方が、パーティの場で良い通訳を演じてくれるわけではないです。 また、同時通訳はブースを構えデバイスなどのコストがかかり、4時間であれば複数の人に通訳を依頼せなばなりません。そうしたコストのわりに、聴衆の通訳に対する評価が低いことが多いです。特に日本の聴衆は厳しい -- どこにミスがあったとか。 そこで、今回、新しい通訳のあり方を探りたいと中山さんにもちかけたのです。AI字幕とサマリー通訳 ー 逐語通訳は複数フーレズの後に訳しますが、中山さんにはセッションごとにサマリーをお願いしたのです。 聴衆が上から目線でAI字幕のミスを見つけることで満足度があがると、ぼくは踏みました。AI字幕のミスを中山さんが指摘すると「そうだろう、そう思ったよ」と思うような展開にもっていこうと。 一方、このAI字幕を着実に職人的(!)に実現して欲しいとお願いした方が、立命館大学デザイン・アート学部の井登友一さんです。井登さんはGoogle meetを使って字幕を投影できると準備を進めてくれました。 YouMeでは、AIへの姿勢を大きな声であえて語っていませんが、このカンファレンスではもろにAIを問う運営をすることにしたのです。 アナウンサーではなくキャスターを! 通信状況や機器に問題がなければいけそうと楽観視していたのが、もろくも崩れたのが前日です。 中山さんから、実際にGoogle Meet有料版で字幕のテストをしたら、自己紹介のような簡単なものはいいが、哲学的会話は8割程度しか訳されず、しかも、残りの2割こそが肝の部分だと指摘されました。 そのいい加減な字幕を長い時間見続けるのが目に辛いとも言うのです。 肝心な部分の訳が甘いのは聴衆に不満をもたらし、聴衆がスマホなどで他のことに関心が移る契機にもなります。 急遽、ぼくが中山さんにお願いしたのは2点です。 一つ目はアナウンサーではなく、ニュースキャスターになって欲しいということです。通常、話す人間が通訳へふるタイミングを決めますが、今回、通訳の出番を通訳本人の判断で決めてもらうのです。 二つ目は異例ながら、カンファレンスの冒頭で通訳の自己紹介と通訳の方針を自ら語って欲しいということです。 当日、中山さんと井登さんの二人にはフルに活躍していただき、その間をMCをつとめていただいたJTのD-LABのアンジェラ・ウーさんがうまくつないでくれました。また、神戸大学国際人間科学学部3年生の小林さんはタイムキーパーとしてこまめに動き回ってくれ助かりました。 こうしたカンファレンスの締めで感激したのは、通訳への盛大な熱い拍手が長く続いたことです。 通訳の中山さんは人類を代表してAIと共に通訳 中山さんは、その翌日、Facebookに次の投稿をされました。ご本人了承のもとほぼ全文をそのまま掲載しています。 人類を代表して、AIと共に通訳をした。 ミッションは、京都・YouMeトリエンナーレのカンファレンス。 始まりはミラノの安西洋之さんからの深夜の一本の電話だった。中山さん、今度大事なシンポジウムがあります。イラン、カタール、インド、またイタリアやイギリスと世界各国のアーティストがこのトリエンナーレに集まるので通訳をお願いしたい。でもこの時代に普通の通訳では面白くない。AIの通訳と共にやらないかと。 つまり、機械翻訳を同時的に流す。これで多くのアーティストたちが話せる時間的な余裕を確保する。しかし機械は時に間違う。それを人間の通訳がモニターし、適宜修正をし、要約を加えるような、この時代ならではのハイブリッドをやれないかと。全くやったことないスタイルだが、とても挑戦的に思った。 そして翻訳者の大半が急速に仕事を失い、さらに音声認識がはるかに発達し、同時通訳者にも失職の嵐が迫ってる中、古来からあった異文化交信の最前線の仕事を、どう現代に引き受けるか。もうやるしかない、という思いでYesと伝えた。 進め方についてはいろんな議論を重ねた上で、今回の役割はいわゆるアナウンサーとしての役割というよりも、キャスターであること。通訳者自体が、字幕翻訳を見ながら、あここは違う、と思ったら場に介入する。20分30分、あの平板な点滅して生成する機械通訳の字幕だけを見るなどとてももたない。 なので、権限として場を仕切り、その場が生まれることに責任を負うことをチームから了解を得て、今日の冒頭でも日英で、この実験的なルールについて伝えた。そもそもこのYouMeトリエンナーレ・マニフェストエディション自体が、非常に実験的でカオスの中から新たなムーブメントを作ろうとしている。 しかし結果として、AIの得意分野と人間がやるべきことの差異がよく見えた。機械は、早口のロジックやイギリス人ネイティブ英語はまあまだ拾える。しかしイタリア人の情熱英語や、固有名詞はぼろぼろ。本丸の「ユメトリエンナーレ」や「河井寛次郎」とかでも毎回大混乱。ミスり方も何か20万光年先くらいの語彙が突然出てやばい。 そんな状況を見ながら、適宜訂正し要約し、人が入るリズムが生まれることによって、チラチラするなんとなく翻訳ではなく、議論に楔が打たれ霧が晴れる感じがあった。同時に、デジタルで平面的な、奥行きのない言葉の羅列から離れ、その会場に居合わせる意味を確認するような、ライブ感が生まれた。 人間だからこそできる、身体と声と多元的な視点を持つがゆえの場づくり。皆が、ホクホクしながら、1日を終え、いやーよかった、と言う反面、同時通訳以上に全方位に複雑に、脳を5時間酷使したこちらは、スルメのようにひからびている。笑 Bravo! Hero! と言ってもらえた言葉が、どこか遠くでこだましてるようだった。 今回のカンファレンスは、「つくることの意味 Meaning of making」 として、いろんな素材や技法やコンセプトの話が出る中、自分としては、場をつくる・場がつくられるとは何か、ということも問いたかった。 この時代における、自分の専門性を極限まで突き詰めた挑戦。その場と問いを、そこに居合わせた皆と、納得のゆく深いものにできて心底嬉しい。 中山慶さんの投稿同時通訳以上に疲れたとの感想には恐縮するしかないですが、通訳の場においても「つくる」の実践が多くの視座を提供してくれています。 ここでも言えることは、経験すべきは大雑把な文化論のなかを泳ぐことではなく、リアル感溢れる実践的文化経験である、ということです。 カンファレンス後の打ち上げー前列右から2番目が中山慶さんーーーーーーーーーーーーーー 減りゆく法廷通訳人、外国人被告は10年で倍増 採用や報酬の基準曖昧 - 日本経済新聞裁判で外国人被告らにつく「法廷通訳人」が減っている。10年間で16%減少する一方、通訳人のついた刑事裁判の被告は倍増した。www.nikkei.com

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文化とビジネスの不穏な関係にちゃちゃ(!)を入れる

文化をどう定義するかはさまざまですが、基本的に人が生きるための工夫です。そうなんですが、なんか本末転倒みたいな話って多いのです。例えば、はっきり言うかどうかは別にして「ビジネスのための文化」とでも言いたげな論が目につきます。それ、いいの?という文章を書いていきます。

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Made in Japanを支える生活風景へ

今週、日本の企業経営者の方々にミラノのデザイン、文化、マネジメントに接していただく機会がありました。 いろいろな場所にお連れしたなかのひとつに、認知症の人たちが住むシェアハウスやケアセンターがあります。認知症はご自分の両親、ご自分、あるいは従業員の方がリアルに直面する問題ですが、何故、このような場をあえて案内したかの理由を書いておきたいと思います。 これがタイトルの「Made in Japanを支える生活風景へ」に繋がっていきます。 症状の中間にいる人たち 認知症は生活の自立にまったく障害のない初期から完全に記憶を失うまでの年数が20数年と言われます。しかし、往々にして自宅で普通の生活と病院や完全介護の施設でのそれの両極端がイメージされます。 実際に多くの人の症状は中間の段階にあり、あることは一人ででき、あることは人の助けを必要とし、ただし、それらのひとつひとつの項目が明確にわかっているわけではない。または、ある日はできても、ある日はできないというものです。 あるいは、夫婦の場合、伴侶の片方だけ自立が難しく、他方はさほど問題ないとのケースでは、2人で介護施設に入るのが良いか?別々の生活にするとよいのか?との迷いがでます。 今回、みなさんをお連れしたのは、ひとつはシェアハウスです。普通の建物の一部を改装して何部屋もある広いアパートに何人かのカップルなり個人が住む空間です。そこにヘルパーがいる、というわけです。 もうひとつは、郊外にあるケアセンターとそれに近接した介護施設です。こちらは新しい町(冒頭の写真)のなかにあり、まわりは若い世代も住む住宅になっています。特徴としては、認知症の人たちが町のなかに出られ、若い人とも出会う確率が増えるように工夫されています。例えば、認知症とは何か?の理解を若い人が深めるようなフェスタが行われます。 若い世代と認知症の高齢者の間に「交流があるべき」ということではなく、「交流が生まれやすい環境」がデザインされているのです。 もちろん、背景にはミラノ市内の不動産価格が高騰し、若い世代は郊外に住むしかないケースが多い、との事情があります。すなわち、逆に、その事情を良い方向に活用したいとの発想を肯定的に捉えようとの意思が窺えます。 隔離した精神病棟の廃止から約半世紀 認知症の人たちと健常者が共に住む社会のあり方を探る様子を見ていると、1978年のバザーリア法を想起します。バザーリア法では隔離された精神病棟の廃止を決め、精神障がい者が社会に出て生きていく道をつくりました。彼らがレストランやホテルで仕事をしているのです。 1970年代、ほぼ同じ時期に学校教育における特殊学級も廃止されており、人を「障がい」区別の対象にしないのが当たり前になったのです。 それから半世紀を経て、100%正しい選択だったと言えるか?との声がないわけではないです。だが、多くの人がどのような状況の人に対してもフェアに接する文化が推進されたのは確かです。 この延長線上に認知症の人たちとの共生への試みがあるのです。ことは認知症に限らない認識が前提になっています。 Made in Italyにはライフスタイルの評価が重なっている イタリアでの生活には外国人からみても一定の憧れを伴うところがあり、それは日常生活の豊かさや質の高さにあります。今だ、「イタリアでは昼寝は当たり前なのか?」との質問がありますが、昼寝をするかどうかではなく、余裕ある時間の使い方であるかを確かめているのです。 時間の使い方、家族を含めての人間関係、何を重視するかの価値観、これらについてイタリア社会は成熟した考え方が定着していると外国人に思われ、そのなかにある労働観や仕事観がMade in Italy評価の根底にあります。すなわち、認知症との付き合い方も、意図とは関係なく、Made in Italyの質向上にも結果的に貢献しています。 商品開発の独創性やフレキシブルな生産体制が注目されやすい一方、それらを可能にする土壌としてのライフスタイルがMade in Italyを支えているとの認識があるため、イタリア人は外国人とビジネスを進めるにあたり比較的ライフスタイルとバランスを図りやすい—少なくとも、ライフスタイルを全面に出してビジネスの条件交渉をしやすいのです。 過重労働を基準とした生産を期待するのは、注文側の倫理に問題がある― Made in Japanにはライフスタイルがない 他方、Made in Japanの見られ方としては、極言すれば、生産現場の運営評価に限定されがちです。生産効率や品質管理の良さであり、3分ごとに走る新幹線の運行に遅れが少なくー1分でも遅れれば謝る―のは、緻密な管理方法のおかげであり絶賛すべきだが、自らがそのなかの一員として働くには躊躇するのが多くの外国人の本音でしょう。 街の通りにゴミが落ちておらず、食事が美味しく、職人文化などがまだ見られる、と外国人が日本に好んで観光に訪れます。しかし、日常生活にあるライフスタイルが羨望の的になっているわけではない。山手線の電車にぎゅうぎゅうに乗せられるのは嫌だ、と思うのも自然です。 サブカルチャーや食をコアにした日本文化もMade in Japanも外国人から高い評価を得ながら、そこには日常のライフスタイルがすぽっと抜けているから、自然体が評価されるMade in Italyと比べると損な立ち回りにならざるを得ないのです。 文化に生きる 日本の経営者たちをケアセンターに案内しながら、ぼくが説明したのは、認知症の人たちとの共生に取り組むことそのものが、インクルーシブというお決まりの語彙で評価されるだけではなく、Made in Italyを支えるライフスタイルとして評価されているとの点です。 「文化で稼ぐ」とのロジックが言われる際、文化資産をビジネスの素材として活用することが多いです。つまり文化が日常生活の外にあるかのような見方が強いですが、そうすると、どうしても肩肘はった文化論に没入しがちです。 したがって、このポイントが分岐点となり、「文化でビジネス」と「文化とは関係ないビジネス」という選択肢の話になってしまいます。これは弱い。文化に生きる、との視点があるのが強いのです。 意味のイノベーション さて、文化に生きる、とした場合、実際にどうすればいいのか?です。参考になるのが、意味のイノベーションです。 この10年ほど、ストックホルム経済大学で経営学を教えるロベルト•ベルガンティの『突破するデザイン』を監修して以来、意味のイノベーションのエバンジェリスト的活動を続けてきました。 問題解決もさることながら、センスメイキングにこそ注力すべきタイミングであるとの認識に基づいています。 彼が意味のイノベーションとして出す事例は、ろうそく、任天堂のWii、フィアットの500など多数ありますが、戦略的に日常生活の意味を変える例としては、調理器具メーカーのアレッシにあるワインオープナーです。 機能としてはまったく普通のワインオープナーです。しかし、デザイナーのアレッサンドロ•メンディーニは、ヘッドの部分を女性ダンサーの顔に、レバーを腕に見立てたのです。それにより、ワインのコルクを開けるプロセスが、女性ダンサーが踊っているかのように見えます。これはAnna G.という商品名で1990年代前半にデビューしましたが、ロングセラー商品になっています。 Anna G.Scopri Anna G.: Cavatappi del designer Alessandro Mendini. Alalessi.com 単純作業がエンターテイメントになったわけです。このように日常生活の風景の一瞬の風景の意味を変える、これが文化に生きる実践なのです。 更に言うなら、これが新しいラグジュアリーの基本になります。今月後半に開講する下記オンラインプログラムでは、子どもをベビーシッターに預けて夫婦だけがおしゃれなレストランに行くのではなく、子どもも一緒にレストランに出かける習慣がラグジュアリーの新しい姿として望まれているのを前提としています。 認知症の人との関係も、当然同じです。 Letters from Nowhere |「創造的再生」新ラグジュアリーオンラインプログラム#7こんにちは。Letters from Nowhere(LFN)です🕊️ 私たちはこれまで、「新しいラグジュアリー」という潮peatix.com ーーーーーーーーーーーーーー 会社に言えず7年間「隠れ介護」 ワーキングケアラーの孤立救うには - 日本経済新聞親の介護は突然始まる。いつ終わるか分からない。働きながら介護を担うワーキングケアラーは、民間調査によれば経験者の半数超でそwww.nikkei.com ライターの最相葉月さんがこの記事に、介護の世界で得られたものは仕事にも生かされ、高齢化最先端をいく日本が誇れる力になると信じる、とコメントしている。それも確かだが、それ以上の意味があるだろうと考えている。

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多数とは違ったアプローチをとる ー Kyōto YouMe Triennale (4)

Kyōto YouMe Triennaleは3つのカテゴリーの会場から構成されました。東本願寺の飛び地である渉成園、近くにある仏教を学ぶ学生たちのかつて寮である重信会館、市内数か所のギャラリーで独自に開催されるYouMe Openです。 この実験ともいうべきマニフェスト版におけるYouMe Openに、佐藤喜代松商店も参加いただきました。このシリーズ1回目に紹介しましたが、佐藤さんは皮革のバッグにドット化したリバティ柄を漆で表現され、その開発プロセスでリバティはドットでリバティ柄を表現するとの循環をつくりました。冒頭の写真は、普段は漆の工房を数々の作品の展示に変えた姿です。 渉成園と鴨川の間に高瀬川が流れていますが、ちょうど渉成園の裏手にあたり高瀬川沿いに9月にオープンしたばかりのPAO Makers Gallery があります。大人気でいつも人が絶えないクラフトビールパブの隣です。 このPAO Makers Gallery もYouMe Openに参加してくれました。デザイナー、長澤一樹さんと河端亞弥の2人がこの場所を使い作品を展示したのです。下記、河端さんのインスタですが、彼女は壁にあるテキスタイル、長澤さんは二種類の素材をもとにした作品です。 このお2人がYouMe Openに参加するに至った経緯から話しましょう。 View this post on Instagram 昨年4月のミラノサローネのサテリテは「新しいクラフツマンシップ」がテーマでした。ぼくは参加者の選考委員の一人だったので、実際のサテリテの展示では多くのデザイナーに作品の意図を聞いてまわりました。 そこで出逢ったのが長澤さんの、縄やタワシに使われるシュロという樹木の樹皮を器に適用させ、伝統的な染色技法「柿渋染め」と、廃棄される鉄屑から抽出した「鉄媒染液」を掛け合わせて開発した作品群です(上の写真でテーブルの上の展示されているもの)。 昨年、日経新聞COMEMOに書いた記事を下記引用します。 ぼくも会場で話しを聞いたのですが、既に評価が定着した文化ヘリテージを要素分解して再構成する手法とは異なり、また既存の工業製品廃棄物の再利用とも異なり、素材のまったく新しい価値あるいは意味の転回をはかっています。 意味のイノベーションの一例とも言えるでしょう。日本の多くの他のデザイナーとは別の路線をいっているのです。 新・クラフツマンシップを考えながら、ミラノデザインウィークを探索する彼はアワードの1位をとりました。アワードの選考委員長をつとめるMoMAのキュレーター、パオラ・アントネッリさんからは、長澤さんのデザインが存在していること自体に意味がある、といったコメントをもらったようです。 ぼくもそう思います。彼のアプローチはクラフト分野で定番の「伝統と革新」などという言葉とは違った方向を目指しています。 だからKyōto YouMe Triennaleに出てくれると良いと思うデザイナーの一人だと考えていたのですが、彼がこのイベントの計画をぼくの日経新聞COMEMOの記事を通じて知り、直接連絡をもらいました。参加したい、と。 大歓迎です。 そこで、ぼくは一つの提案をしました。今年のサテリテに参加していた河端亞弥さんと一緒にどうですか?と。長澤さんが河端さんのことを知っているかどうかは知らず、です。 河端さんのデザインについては「曖昧なデザインは音楽に学んだークラフツマンシップ考」との記事を書き、今年のサテリテで出逢った「気になるデザイナー」の一人だったのです。 そうしたら、長澤さんは河端さんの作品を以前から見ており、お互いに話したこともあると判明しました。そして、2人ともエットレ・ソットサスのデザインが好き、という共通点がありました。 その後、紆余曲折ありながらも、最終的にお2人の作品が高瀬川の近くで見られることになったのです。長澤さんは、あらたに国産石の価値を捉え直す新作群も加えています。 2人とも「クラフト」や「産地」といったキーワードに敏感ながら、およそ世間で流布しているアプローチに惹かれていないーーぼくが2人のデザインを魅力に思う理由の一つです。 「アート、デザイン、クラフトを横断」というのは、それぞれを融合させようということではないです、それぞれの間にある曖昧な領域を「つくる」を鍵にどう直視し再考するか?です。 異文化の理解 - Kyōto YouMe Triennale (1)上記は、このシリーズ1回目の冒頭に書いた文章です。誰もが自分の内から何かをつくりたい、と強く思うところに起点があります。しかし、同時に「カテゴリーなんか関係ない」とカテゴリー分けにあまりにナイーブになるのも違います。 大切なのは、リアルな異文化経験をベースに「つくる」を問うとの姿勢です。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 河端さんはバイオリニストでもあり、10月8日の渉成園でのオープニングにおいて皆さんが歓談しているなか、仲間のチェリストの長谷川寧々さん、バイオリニストの星野大吾さんと一緒に演奏してくれました。 写真は、会場準備中にリハーサルをする3人です。 ーーーーーーーーーーーーーーーー マウント女王にだまされる心理 人は思っているほど考えていない - 日本経済新聞私たちの脳は自分たちで思っているほど性能の良いものではありません。人間は、自分が思っているほど、頭が良くないのです。考えてwww.nikkei.com

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ハイパーローカルのクラフト ー Kyōto YouMe Triennale (3)

Kyōto YouMe Triennaleは東本願寺の渉成園の近くにある重信会館も展示会場でした。およそ1世紀前に建てられた仏教を学ぶ学舎および学生寮であった建物に蔦が絡み、風情があります。 窓を通して入り込む光も蔦によりとても柔らかく、室内に展示されているアート作品も、この環境を待っていたかのような錯覚を覚えるほどです。 窓に情緒があるこの建物の地下一階でプロジェクトブルーの展示が行われました。冒頭の写真をご覧いただけば想像できるように朽ちた空間です。 ここに展示されたアフガニスタンの写真の数々が場に力を与えてくれました。さまざまな方々を渉成園と重信会館に案内し、もっとも多くの人が「印象的」と評したのは、実はこの地下一階だったのです。 「今までアフガニスタンに行きたいと思ったことなど一度もなかったけど、これらの写真をみて、アフガニスタンをぜひ訪ねたいと思いました」と語ってくれた人が何人かいます。 ある日、初めての飲食店さんでYouMeを料理人に紹介したら、翌日、何時間も会場をまわってくれ、最後に「このアフガニスタンの風景を撮影した写真を買いたい」と話してくれました。 それほどに、風景とストーリーが見る者の心を捉えたのです。 プロジェクトブルーYouMeのサイトで案内したプロジェクトブルーの説明を下記に掲載します。 Project Blue は、芸術の力によってアフガニスタンの文化遺産を守る取り組みに資金を届けています。 最初の画家たちが洞窟の壁に絵を描いたとき、そこに青という色は存在していませんでした。古代の人々は、その色を物語や神話の中で表現する言葉さえ持っていなかったのです。9,000年前、アフガニスタン北部の山岳地帯でラピスラズリが掘り出され、そこから最初の真の青、ウルトラマリンが生まれました。この青は、シュメール人、エジプト人を経て、そしてルネサンスの画家たちによって歴史に受け継がれてきました。 何千年ものあいだ、類まれなこの色は人々の想像力をとらえ、神聖な美の象徴となってきました。西洋では聖母マリアの衣に、東洋では仏を崇めるために用いられました。その希少性と高価さから、かつては金よりも貴重とされていました。 2025年9月、タヴォロッツァ財団の支援を受けた Project Blue は、アフガニスタン・バダフシャン州の高地にある人里離れたラピスラズリ鉱山、サーレサングを訪ねました。そこで採れたラピスラズリから絵具をつくり、現代を代表するアーティストたちに提供しました。アーティストたちが生み出す新たな作品はオークションにかけられ、その収益がアフガニスタンの文化遺産を守る事業の資金となります。この地の若い世代に、仕事と希望を届けるために。 写真家サイモン・バクストンは、Project Blueのプロジェクトの一員としてアフガニスタンのラピスラズリ鉱山を訪れました。重信会館では、その写真から厳選した作品を展示します。バクストンの写真が捉えているのは、アフガニスタンの息をのむような美しさと、そこに生きる人々の姿。そして何よりも、これらの作品は、この旅に鑑賞者を誘う招待状となっています。 プロジェクトブルーパドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂の壁面にある14世紀初頭のジョットによる壁画は、アフガニスタンのラピスラズリからもたらされたブルーによって描かれたものでした。 スクロヴェーニ礼拝堂のジョットの作品また、17世紀、オランダのヨハネス・フェルメールは、ラピスラズリのウルトラブルーを多用したがために経済的な困窮に陥ったとも言われます。 しかし、現在、アフガニスタンは紛争地帯であり、女性の教育は禁じられ、ラピスラズリを産出する文化遺産も危機的状況にあります。そこでプロジェクトブルーが始まったわけです。 [FT]小国が超大国を食う時代 世界から消えた「真の巨人」 - 日本経済新聞サウジアラビアの空港がイエメンの親イラン武装勢力フーシに攻撃され、多数の死傷者が出た。それでも当地で10月下旬に開催されるwww.nikkei.com 上記のFTの記事では、「どんなに小さな存在でも、ほぼすべてが何らかの強みを持っていることがある」と述べていますが、アフガニスタンのラピスラズリも例外ではないです。西洋美術史に大きな影響を与えた経緯を思うに、ひとつのことを想起します。 それは、9月にヴェネツィアのホモファーベルを訪ねて得た感想です。「積極的に評価すべきは、ユニバーサルな価値向上に貢献するものとしてのクラフトとの認識がより増している点ではないか」と考えた点です。 ここでいうユニバーサルは少し概念的に聞こえるかもしれません。 次のようなことです。 物理的距離とは関係なく、AというローカルのクラフトとBというローカルのクラフトがなんらかの協力関係をもつとのレベルから新しい道を探るタイミングに今、世界はある ーー Aのローカルにある素材がBのローカルにある技術や表現力と結びつき、その逆の可能性も同様に探る、という具合です。 ウルトラブルーがもつ歴史のように、このようなA+Bのコラボレーションが人類に明るい光をともすことを我々は考えるべきと思うのです。 Aというローカル、Bというローカルのローカル自慢や経済的利益だけに執着するのではなく、次の一歩を積極的に図る環境に我々はおかれています。それには、ソーシャルイノベーションとデザインを専門とするエツィオ・マンズィーニが『日々の政治』の冒頭でも示した表現「ハイパーローカル」を再考するのが良いです。 彼は自分の身のまわりを重視する「ローカルにどっぷり」という意味の「ハイパー」と、「境界の少ない」という意味の「ハイパー」の2つをかけて「ハイパーローカル」という表現を使っています。 その際、つまりハイパーローカルを戦略としてとるとき、「異文化の理解 - Kyōto YouMe Triennale (1)」で述べていることが重要になってくるのです。大上段に構えた文化論はA+Bを生みにくく、リアルな異文化理解こそがA+Bを生むと確信しています。 「アフガニスタンに行きたい」という言葉に潜むかもしれないハイパーローカルの可能性に期待したいです。 ーーーーーーーーーーー 新・ラグジュアリーの講座のサブタイトルにある「創造的再生」も、異文化理解が根底にくると考えています。 Letters from Nowhere |「創造的再生」新ラグジュアリーオンラインプログラム#7こんにちは。Letters from Nowhere(LFN)です🕊️ 私たちはこれまで、「新しいラグジュアリー」という潮peatix.com

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新しい通訳の姿 — Kyōto YouMe Triennale (2)

前回、「異文化の理解 - Kyōto YouMe Triennale (1)」のなかで、文化を大上段に構えて語らない方向を目指すべき、と示唆しました。異文化経験が豊富であればあるほどに、時々に応じて文化を適正なサイズで捉えていけるようになります。 YouMe会期中の10月11日、京都リサーチパークで「つくることの意味」をテーマとしたカンファレンスを開催しました。サイトの以下の文章は、企画者として、ぼくが書いたものです。 Kyōto YouMe Triennaleは、「つくることの意味(Meaning of Making)」をテーマとした国際プラットフォームです。AIの隆盛によって「考える」ことそのものの位置が揺らいでいます。それにもかかわらず、人にとって「つくる」とはどのような意味をもつのかという問いは深められないまま、アート、デザイン、クラフトはそれぞれ個別に語られがちです。英語でも「メイク」「クリエイト」「プロデュース」「クラフト」「デザイン」といった言葉が、それぞれ恣意的に使われています。 本カンファレンスでは、これらを再考するための筋道をつくります。プログラムは4つのディスカッションと4つのプレゼンテーションで構成されます。 序章は、ナザニン・ザガリ=ラトクリフとエスター・コーエンによる静かな対話です。ナザニンは、2016年にイランで不当に拘束されて以来、人質外交の象徴として世界的な注目を集めてきました。エスターは、20世紀アヴァンギャルド美術を専門とする美術史家・キュレーターです。 <後略> カンファレンス「つくることの意味」およそ20人が4時間のうちに登壇するカンファレンスで、およそ3分の2の登壇者が日本語を解しません。一方、想定される聴衆はほとんどが日本人です。アカデミックな場であればいざしらず、そうではない場合、日本のこうした場で通訳は必須です。 さて、どうするか?です。中山慶さんに提案したことが、ことの発端になります。 AI時代の新しい通訳の姿を探りませんか? これまで何度も通訳を必要とするイベントを主宰してきて、いつも通訳の選択には細心の注意を払うようにしてきました。会議通訳で良いパーフォーマンスを出される方が、パーティの場で良い通訳を演じてくれるわけではないです。 また、同時通訳はブースを構えデバイスなどのコストがかかり、4時間であれば複数の人に通訳を依頼せなばなりません。そうしたコストのわりに、聴衆の通訳に対する評価が低いことが多いです。特に日本の聴衆は厳しい -- どこにミスがあったとか。 そこで、今回、新しい通訳のあり方を探りたいと中山さんにもちかけたのです。AI字幕とサマリー通訳 ー 逐語通訳は複数フーレズの後に訳しますが、中山さんにはセッションごとにサマリーをお願いしたのです。 聴衆が上から目線でAI字幕のミスを見つけることで満足度があがると、ぼくは踏みました。AI字幕のミスを中山さんが指摘すると「そうだろう、そう思ったよ」と思うような展開にもっていこうと。 一方、このAI字幕を着実に職人的(!)に実現して欲しいとお願いした方が、立命館大学デザイン・アート学部の井登友一さんです。井登さんはGoogle meetを使って字幕を投影できると準備を進めてくれました。 YouMeでは、AIへの姿勢を大きな声であえて語っていませんが、このカンファレンスではもろにAIを問う運営をすることにしたのです。 アナウンサーではなくキャスターを! 通信状況や機器に問題がなければいけそうと楽観視していたのが、もろくも崩れたのが前日です。 中山さんから、実際にGoogle Meet有料版で字幕のテストをしたら、自己紹介のような簡単なものはいいが、哲学的会話は8割程度しか訳されず、しかも、残りの2割こそが肝の部分だと指摘されました。 そのいい加減な字幕を長い時間見続けるのが目に辛いとも言うのです。 肝心な部分の訳が甘いのは聴衆に不満をもたらし、聴衆がスマホなどで他のことに関心が移る契機にもなります。 急遽、ぼくが中山さんにお願いしたのは2点です。 一つ目はアナウンサーではなく、ニュースキャスターになって欲しいということです。通常、話す人間が通訳へふるタイミングを決めますが、今回、通訳の出番を通訳本人の判断で決めてもらうのです。 二つ目は異例ながら、カンファレンスの冒頭で通訳の自己紹介と通訳の方針を自ら語って欲しいということです。 当日、中山さんと井登さんの二人にはフルに活躍していただき、その間をMCをつとめていただいたJTのD-LABのアンジェラ・ウーさんがうまくつないでくれました。また、神戸大学国際人間科学学部3年生の小林さんはタイムキーパーとしてこまめに動き回ってくれ助かりました。 こうしたカンファレンスの締めで感激したのは、通訳への盛大な熱い拍手が長く続いたことです。 通訳の中山さんは人類を代表してAIと共に通訳 中山さんは、その翌日、Facebookに次の投稿をされました。ご本人了承のもとほぼ全文をそのまま掲載しています。 人類を代表して、AIと共に通訳をした。 ミッションは、京都・YouMeトリエンナーレのカンファレンス。 始まりはミラノの安西洋之さんからの深夜の一本の電話だった。中山さん、今度大事なシンポジウムがあります。イラン、カタール、インド、またイタリアやイギリスと世界各国のアーティストがこのトリエンナーレに集まるので通訳をお願いしたい。でもこの時代に普通の通訳では面白くない。AIの通訳と共にやらないかと。 つまり、機械翻訳を同時的に流す。これで多くのアーティストたちが話せる時間的な余裕を確保する。しかし機械は時に間違う。それを人間の通訳がモニターし、適宜修正をし、要約を加えるような、この時代ならではのハイブリッドをやれないかと。全くやったことないスタイルだが、とても挑戦的に思った。 そして翻訳者の大半が急速に仕事を失い、さらに音声認識がはるかに発達し、同時通訳者にも失職の嵐が迫ってる中、古来からあった異文化交信の最前線の仕事を、どう現代に引き受けるか。もうやるしかない、という思いでYesと伝えた。 進め方についてはいろんな議論を重ねた上で、今回の役割はいわゆるアナウンサーとしての役割というよりも、キャスターであること。通訳者自体が、字幕翻訳を見ながら、あここは違う、と思ったら場に介入する。20分30分、あの平板な点滅して生成する機械通訳の字幕だけを見るなどとてももたない。 なので、権限として場を仕切り、その場が生まれることに責任を負うことをチームから了解を得て、今日の冒頭でも日英で、この実験的なルールについて伝えた。そもそもこのYouMeトリエンナーレ・マニフェストエディション自体が、非常に実験的でカオスの中から新たなムーブメントを作ろうとしている。 しかし結果として、AIの得意分野と人間がやるべきことの差異がよく見えた。機械は、早口のロジックやイギリス人ネイティブ英語はまあまだ拾える。しかしイタリア人の情熱英語や、固有名詞はぼろぼろ。本丸の「ユメトリエンナーレ」や「河井寛次郎」とかでも毎回大混乱。ミスり方も何か20万光年先くらいの語彙が突然出てやばい。 そんな状況を見ながら、適宜訂正し要約し、人が入るリズムが生まれることによって、チラチラするなんとなく翻訳ではなく、議論に楔が打たれ霧が晴れる感じがあった。同時に、デジタルで平面的な、奥行きのない言葉の羅列から離れ、その会場に居合わせる意味を確認するような、ライブ感が生まれた。 人間だからこそできる、身体と声と多元的な視点を持つがゆえの場づくり。皆が、ホクホクしながら、1日を終え、いやーよかった、と言う反面、同時通訳以上に全方位に複雑に、脳を5時間酷使したこちらは、スルメのようにひからびている。笑 Bravo! Hero! と言ってもらえた言葉が、どこか遠くでこだましてるようだった。 今回のカンファレンスは、「つくることの意味 Meaning of making」 として、いろんな素材や技法やコンセプトの話が出る中、自分としては、場をつくる・場がつくられるとは何か、ということも問いたかった。 この時代における、自分の専門性を極限まで突き詰めた挑戦。その場と問いを、そこに居合わせた皆と、納得のゆく深いものにできて心底嬉しい。 中山慶さんの投稿同時通訳以上に疲れたとの感想には恐縮するしかないですが、通訳の場においても「つくる」の実践が多くの視座を提供してくれています。 ここでも言えることは、経験すべきは大雑把な文化論のなかを泳ぐことではなく、リアル感溢れる実践的文化経験である、ということです。 カンファレンス後の打ち上げー前列右から2番目が中山慶さんーーーーーーーーーーーーーー 減りゆく法廷通訳人、外国人被告は10年で倍増 採用や報酬の基準曖昧 - 日本経済新聞裁判で外国人被告らにつく「法廷通訳人」が減っている。10年間で16%減少する一方、通訳人のついた刑事裁判の被告は倍増した。www.nikkei.com

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メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか?

最新著書『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』に関するさまざまなメモを書いていきます。

Made in Japanを支える生活風景へ

今週、日本の企業経営者の方々にミラノのデザイン、文化、マネジメントに接していただく機会がありました。 いろいろな場所にお連れしたなかのひとつに、認知症の人たちが住むシェアハウスやケアセンターがあります。認知症はご自分の両親、ご自分、あるいは従業員の方がリアルに直面する問題ですが、何故、このような場をあえて案内したかの理由を書いておきたいと思います。 これがタイトルの「Made in Japanを支える生活風景へ」に繋がっていきます。 症状の中間にいる人たち 認知症は生活の自立にまったく障害のない初期から完全に記憶を失うまでの年数が20数年と言われます。しかし、往々にして自宅で普通の生活と病院や完全介護の施設でのそれの両極端がイメージされます。 実際に多くの人の症状は中間の段階にあり、あることは一人ででき、あることは人の助けを必要とし、ただし、それらのひとつひとつの項目が明確にわかっているわけではない。または、ある日はできても、ある日はできないというものです。 あるいは、夫婦の場合、伴侶の片方だけ自立が難しく、他方はさほど問題ないとのケースでは、2人で介護施設に入るのが良いか?別々の生活にするとよいのか?との迷いがでます。 今回、みなさんをお連れしたのは、ひとつはシェアハウスです。普通の建物の一部を改装して何部屋もある広いアパートに何人かのカップルなり個人が住む空間です。そこにヘルパーがいる、というわけです。 もうひとつは、郊外にあるケアセンターとそれに近接した介護施設です。こちらは新しい町(冒頭の写真)のなかにあり、まわりは若い世代も住む住宅になっています。特徴としては、認知症の人たちが町のなかに出られ、若い人とも出会う確率が増えるように工夫されています。例えば、認知症とは何か?の理解を若い人が深めるようなフェスタが行われます。 若い世代と認知症の高齢者の間に「交流があるべき」ということではなく、「交流が生まれやすい環境」がデザインされているのです。 もちろん、背景にはミラノ市内の不動産価格が高騰し、若い世代は郊外に住むしかないケースが多い、との事情があります。すなわち、逆に、その事情を良い方向に活用したいとの発想を肯定的に捉えようとの意思が窺えます。 隔離した精神病棟の廃止から約半世紀 認知症の人たちと健常者が共に住む社会のあり方を探る様子を見ていると、1978年のバザーリア法を想起します。バザーリア法では隔離された精神病棟の廃止を決め、精神障がい者が社会に出て生きていく道をつくりました。彼らがレストランやホテルで仕事をしているのです。 1970年代、ほぼ同じ時期に学校教育における特殊学級も廃止されており、人を「障がい」区別の対象にしないのが当たり前になったのです。 それから半世紀を経て、100%正しい選択だったと言えるか?との声がないわけではないです。だが、多くの人がどのような状況の人に対してもフェアに接する文化が推進されたのは確かです。 この延長線上に認知症の人たちとの共生への試みがあるのです。ことは認知症に限らない認識が前提になっています。 Made in Italyにはライフスタイルの評価が重なっている イタリアでの生活には外国人からみても一定の憧れを伴うところがあり、それは日常生活の豊かさや質の高さにあります。今だ、「イタリアでは昼寝は当たり前なのか?」との質問がありますが、昼寝をするかどうかではなく、余裕ある時間の使い方であるかを確かめているのです。 時間の使い方、家族を含めての人間関係、何を重視するかの価値観、これらについてイタリア社会は成熟した考え方が定着していると外国人に思われ、そのなかにある労働観や仕事観がMade in Italy評価の根底にあります。すなわち、認知症との付き合い方も、意図とは関係なく、Made in Italyの質向上にも結果的に貢献しています。 商品開発の独創性やフレキシブルな生産体制が注目されやすい一方、それらを可能にする土壌としてのライフスタイルがMade in Italyを支えているとの認識があるため、イタリア人は外国人とビジネスを進めるにあたり比較的ライフスタイルとバランスを図りやすい—少なくとも、ライフスタイルを全面に出してビジネスの条件交渉をしやすいのです。 過重労働を基準とした生産を期待するのは、注文側の倫理に問題がある― Made in Japanにはライフスタイルがない 他方、Made in Japanの見られ方としては、極言すれば、生産現場の運営評価に限定されがちです。生産効率や品質管理の良さであり、3分ごとに走る新幹線の運行に遅れが少なくー1分でも遅れれば謝る―のは、緻密な管理方法のおかげであり絶賛すべきだが、自らがそのなかの一員として働くには躊躇するのが多くの外国人の本音でしょう。 街の通りにゴミが落ちておらず、食事が美味しく、職人文化などがまだ見られる、と外国人が日本に好んで観光に訪れます。しかし、日常生活にあるライフスタイルが羨望の的になっているわけではない。山手線の電車にぎゅうぎゅうに乗せられるのは嫌だ、と思うのも自然です。 サブカルチャーや食をコアにした日本文化もMade in Japanも外国人から高い評価を得ながら、そこには日常のライフスタイルがすぽっと抜けているから、自然体が評価されるMade in Italyと比べると損な立ち回りにならざるを得ないのです。 文化に生きる 日本の経営者たちをケアセンターに案内しながら、ぼくが説明したのは、認知症の人たちとの共生に取り組むことそのものが、インクルーシブというお決まりの語彙で評価されるだけではなく、Made in Italyを支えるライフスタイルとして評価されているとの点です。 「文化で稼ぐ」とのロジックが言われる際、文化資産をビジネスの素材として活用することが多いです。つまり文化が日常生活の外にあるかのような見方が強いですが、そうすると、どうしても肩肘はった文化論に没入しがちです。 したがって、このポイントが分岐点となり、「文化でビジネス」と「文化とは関係ないビジネス」という選択肢の話になってしまいます。これは弱い。文化に生きる、との視点があるのが強いのです。 意味のイノベーション さて、文化に生きる、とした場合、実際にどうすればいいのか?です。参考になるのが、意味のイノベーションです。 この10年ほど、ストックホルム経済大学で経営学を教えるロベルト•ベルガンティの『突破するデザイン』を監修して以来、意味のイノベーションのエバンジェリスト的活動を続けてきました。 問題解決もさることながら、センスメイキングにこそ注力すべきタイミングであるとの認識に基づいています。 彼が意味のイノベーションとして出す事例は、ろうそく、任天堂のWii、フィアットの500など多数ありますが、戦略的に日常生活の意味を変える例としては、調理器具メーカーのアレッシにあるワインオープナーです。 機能としてはまったく普通のワインオープナーです。しかし、デザイナーのアレッサンドロ•メンディーニは、ヘッドの部分を女性ダンサーの顔に、レバーを腕に見立てたのです。それにより、ワインのコルクを開けるプロセスが、女性ダンサーが踊っているかのように見えます。これはAnna G.という商品名で1990年代前半にデビューしましたが、ロングセラー商品になっています。 Anna G.Scopri Anna G.: Cavatappi del designer Alessandro Mendini. Alalessi.com 単純作業がエンターテイメントになったわけです。このように日常生活の風景の一瞬の風景の意味を変える、これが文化に生きる実践なのです。 更に言うなら、これが新しいラグジュアリーの基本になります。今月後半に開講する下記オンラインプログラムでは、子どもをベビーシッターに預けて夫婦だけがおしゃれなレストランに行くのではなく、子どもも一緒にレストランに出かける習慣がラグジュアリーの新しい姿として望まれているのを前提としています。 認知症の人との関係も、当然同じです。 Letters from Nowhere |「創造的再生」新ラグジュアリーオンラインプログラム#7こんにちは。Letters from Nowhere(LFN)です🕊️ 私たちはこれまで、「新しいラグジュアリー」という潮peatix.com ーーーーーーーーーーーーーー 会社に言えず7年間「隠れ介護」 ワーキングケアラーの孤立救うには - 日本経済新聞親の介護は突然始まる。いつ終わるか分からない。働きながら介護を担うワーキングケアラーは、民間調査によれば経験者の半数超でそwww.nikkei.com ライターの最相葉月さんがこの記事に、介護の世界で得られたものは仕事にも生かされ、高齢化最先端をいく日本が誇れる力になると信じる、とコメントしている。それも確かだが、それ以上の意味があるだろうと考えている。

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ソットサスが受け入れられる時代

東京のアーティゾン美術館で開催された「エットレ・ソットサス 魔法がはじまるとき、デザインは生まれる」展の最終日前日(10月3日)、会場に駆け込んできました。 この展覧会がスタートして間もなく、まだ見る前から、ソットサスやメンフィスにあれやこれやと書いてきました。 下記で書いたように、ソットサスの名前とデザインを知ってから ーしかも、実際にビジネスの対象として彼のデザインに接していたにも関わらずーおよそ25年以上を経て、2018年のトリエンナーレ美術館での回顧展ではじめてソットサスの思想が自分の身体の内に入ってくるような感覚を得られたのです。 誤解されないように説明しておきます。 ソットサスの理解には多くの年数を要すると、何も自分の経験値を根拠に言いたいわけではないです。 東京のソットサス展での鑑賞者たちの態度、顔の表情、耳に自ずと入ってくる友人や恋人との会話、これらから、2026年であるがゆえにソットサスを衒いなく受け入れられる環境が今、日本にはできつつある、とみたのです。 イタリアデザインの再発見を促す ソットサスは20世紀後半のイタリアデザイン、いや地域を問わないデザイン史の代表選手の一人であると説明されます。 ただ、少なくとも、イタリアデザイン史において他のマエストロと比較すると相当に特異な存在であったと言わざるを得ません。 2点、大きく他のデザイナーと違います。 ひとつ目はデザインだけではない知的世界での交流の広さと深さ、二つ目は独自の国際性とその実践です。これに近いイタリアでの存在は、オルセー美術館を設計したガエ•アウレンティくらいでしょう。 それがために、他のマエストロを紹介するイタリアデザイン展とは異なる層に、今回のソットサス展はリーチし得たのではないかと思えるのです。 3年前、日経新聞に「80年代イタリアデザイン「メンフィス」に光ふたたび」という記事を書きましたが、スティーブ・ジョブズがマッキントッシュコンピューターで巨人IBMと闘い始めようとしていたちょうどその頃、家具分野でメンフィスは同じ方向を見ていたのです。そして、メンフィスはほぼソットサスの思想に基づいたデザイングループでした。 この背景を知るならば、従来のイタリアデザインのファンには入っていなかった人たちも、今回の展覧会に足を運び心動かされたと想像がつきます。 実際の展覧会場での観察だけでなく、会期中、数多目にしたSNSでのソットサス展に対する感想を読んでの判断です。イタリア文化への親近感もあるでしょうが、それを超えてソットサスに「近寄っている」のです。 ロジカル思考の限界の先 世界全般にも言えますが、特に日本のなかでの推移との兼ね合いで、「ソットサスの受けの良さ」について、もうひとつ別のアングルからも語れます。 1990年代の終わりから2000年代、「デザインとは問題解決である」との前提を強く押し出したように(みえた)デザイン思考がビジネス界に普及しました。日本についていえば、ロジカル思考の普及と歩調を合わせたところがあるのが特徴的でした。 というのも、ロジカルに考えるのが基調にあった西洋文化圏においてロジカル思考とあえて呼ばないものが、日本のビジネスの世界に普及せざるを得ない事情があったのです。論理よりも論理以外の要素が判断の際の配合として大きかったのです。 その後、即ちこの10数年、デザイン思考は下火にむかい、アート思考や問そのもののを立てることに目が向いていきます。ストックホルム経済大学のロベルト・ベルガンティによる(問題解決とは別方向をみる)「意味のイノベーション」の推進をぼくが図ったのも、カテゴリーとしてはこちらの系統です。 言うまでもなく、ソットサスはオリヴェッティで問題解決のデザインに励んだのちに、意味の世界に立ち向かっていったわけです。そして、その意味を探る世界の方が圧倒的にしんどかった、とソットサスは次のように語っていました。 「オリヴェッティのためにデザインするのは大変だったに違いない、と人は言うが、メンフィスの方がすごく大変だよ、と答える」 意味のイノベーションには時間がかかる 東京でのソットサス展をみていて、「そうだようなあ」と思ったことがあります。彼の次の作品をみたときです。 1960年代前半の作品この作品の白黒の部分はラミネートを使っています。ピエモンテ州ブラ市(スローフード運動誕生の地でもあります)にあるラミネートメーカーのものです。 実は1981年からのメンフィスの作品の数々にこのメーカーのラミネートが使われており、ソットサスが新しいデザイン言語をメンフィスで実現していった際、このラミネートが大活躍したと解説されます。 他方、上記のブラのラミネート会社のミュージアムを訪ねると、企業年表にソットサスが同社を初めて訪ねて年が記してあります。正確には覚えていませんが、たしか1950年代の後半くらいだったと思います。彼がオリヴェッティのコンサルタントになるのが1960年前後です。 ソットサスは問題解決のデザインをオリヴェッティでおこない、それと並行して、米国の前衛的なアートの影響を受けながら、ポルトロノーヴァの家具やビトッシのセラミックのデザインをしていました。 ここで思うのは、ソットサスが1960年代にラミネートを使ったとき、20年後のメンフィスのような「新しいデザイン言語」というレベルでは考えていなかったのではないか、ということです。ちょうど日常生活にある素材をコンテンポラリーアートに取り入れていたタイミングなので、あくまでもアート表現への接近として考えていた ― 自身ではアーティストとの呼称を回避していましたが。 しかしながら、それらの経験を踏まえて徐々にラミネートの意味を変えていき、メンフィスでのラミネート多用に繋がったのでは、とぼくは思ったのです。意味のイノベーションは時間がかかるのです。 ひたすら「つくり続けた」ソットサス メンフィスにはひとつの使命がありました。イタリアの各地方にあるクラフツマンシップを盛り上げる、という使命です。ですから、メンフィスの作品には職人の手がはいったものが多く、今もメンフィスの商品は各地で制作されています。 そして、建築家の彼は、自然環境のなかに何らかのモノをおいて撮影した「メタファー」というシリーズも作っています。 それこそアート、デザイン、クラフトの世界を自ら「つくる」ことに一生を捧げたがゆえに、次の彼の言葉が現実感溢れるものになるのです。 「2本以上の鉄のパイプを溶接するのはとても簡単だ。2つ以上の色を一緒にするのは非常に難しい。ピカソはよく言ったものだ、3つや4つの色を一緒にするには、相当の経験がないといけない」 ソットサスの展覧会をみながら、ぼくは10月11日に京都で開催するカンファレンス「つくることの意味」の下記プログラムが、ソットサスの思考の延長線上で一致すると考えました。 Kyōto YouMe Triennale のロゴは3つのものがコアで交差しています。ロンドンの大手デザイン事務所であるペンタグラムのパートナー、ハリー・ピアースがデザインしてくれたものです。 Kyoto YouMe TriennaleKyoto YouMe Triennale Art Design Craftyou-me-kyoto.org 実に幸運な遭遇だと思いました。 ーーーーーーーーーーーーーーーー カンファレンスの沢山の登壇者のプロフィールを見てみてください。面白い人ばかりで、みなさんも知り合いになりたいと思うに違いないです。 ーーーーーーーーーーーーーーーー ソットサス、感情を揺さぶるデザイン 合理的だけではない価値 - 日本経済新聞20世紀イタリアを代表するデザイナー、エットレ・ソットサス(1917〜2007年)。機能美を追求する「モダンデザイン」と対www.nikkei.com

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外国語学習について考える

先日、イタリア語を外国人に教えるイタリア人がポッドキャストで「イタリア語を学ぶ外国人は文化に関心が深い」と話していました。 それを聞いて、「このご時世で、外国語を学ぶのに文化に興味のない人は英語くらいじゃないの?」と咄嗟に思いました。 中国語も学ぶ人にも英語と似た傾向がある場合もありますが、英語と同じようなレベルにある ー 経済性や実用性だけが猛烈に前面にでる ー 言語は他にないでしょう。 外国語を学ぶ意味が変わりつつあると言われますが、どちらかと言えば、英語以外の外国語においては、語学習得の本丸 ー 文化理解 ーに重心が移ってきていると言えるでしょう。 AIが通訳する時代、東京外国語大学の役割は 5年一貫で高度人材育成 - 日本経済新聞高い翻訳機能を備えた人工知能(AI)が言語の壁をかつてなく下げる時代に「なぜ外国語を学ぶのか」。言語教育の有数の拠点であるwww.nikkei.com 即ち、現在、語学学習の議論は英語とそれ以外を分けないと全体を把握しずらい状況にある、ということになります。 ぼく自身、中高で英語、大学の第一外国語はフランス語、それからイタリアに住んでイタリア語を学んできました。 それぞれの言語が成り立つ文化への興味の持ち方は一律ではなかった ー あえて過去形なのは、イタリア語は日常生活での言葉になっているので、当然、文化的関心の幅はものすごく多岐にわたり、いわば「鑑賞対象」としてのフランス語・文化とはかなり違うからです。 一方、中学校以来の英語は自分自身で学習対象として選択したことがない ー たとえハリウッド映画や英国のロックミュージックに親しんだとしても、どうしても学校教育のなかでの強制力が陰に陽にきいてくる。 よく英語を学ぶには、「音楽の歌詞を覚えろ」「映画の台詞を真似てみる」「自分が好きな小説を読む」等々が有効であると語られますが、そもそもにおいて、「文化に親しめ!」という台詞が英語が上手くなるためのコツとして語られるところが、動機として不純です。 多分、英語以外の語学を学ぶ人たちは、その映画が、音楽が、料理が、好きだから、関心が高いから、学ぼうとするのです。 もちろん、政治的に複雑 ーあるいは弱い国力ー な環境ゆえに多言語を使わざるえない人たちも多くいますが、そのケースを除くと、圧倒的に文化的動機があって語学学習があるのでしょう。 それを冒頭のイタリア語教師は指摘しており、英語以外の語学教師と共感しあっているところなのでしょう。 逆にいえば、語学教師といえど、同じ土壌にはなかなか立てないのではないかと想像します。 そこから、英語が支配的な語学観とは何か?とのテーマが素材として提示されます。例えば、近代、フランス語が支配的であったのと何が違うのか?です。 実は、1500年代、英国のエリザベス一世はイタリア人の賓客をイタリア語で迎えたようです。それだけイタリア語が重要な地位にあったのです。 支配言語とそれ以外の言語の関係は、時代をどれだけ隔てようとも、精神構造において差して違わないのではないかと想像します。

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「やるしかない」ー偶然と必然を見極める文化交流

今月、さまざまな役所的事務仕事をこなすために走り回りました。オンラインゆえに便利なことと、オフラインゆえに融通のきくこと、ふたつがあります。 この両方について事前にどう見通しをつけるか ― つまり、個々に実際に身体を動かした方が効率が良いかどうか。この判断の仕方が勝負所だと感じました。 それが文化を知っている、ということでもあります。 そして、ある部分については自分でやるのではなく、エキスパートにお金を払って任してしまうというのも文化理解の一つです。 そういう状況のなかで、来月9日から18日まで開催する京都YouMeトリエンナーレ(本稿最後に案内があります)の準備に追われ、その合間を縫って人と会っていく。 そこで考えたことをメモしておきます。 ブルネロ・クチネリがなぜ「savoire - faire(サヴォア・フェール)」 というフランス語の言葉を使うのか? 今週、ミラノファッションウィークだったので、ブルネロ・クチネリのプレゼンテーションに出かけてきました。 左端の男性がブルネロ•クチネリ。ミラノの古い建物に囲まれた庭にガラスで特設スペースをつくるので、周囲の建物が写し込まれている。これまでのコレクションでは、クチネリは古代ギリシャからルネサンス期あたりまでの言葉を引用することが多かったと記憶しています。 正しく表現すれば、この10年くらいのコレクションのコンセプトをちゃんと分析したわけではないのですが、圧倒的にそのような印象が残っているのです。 それが今回、フランスの高級ブランドでもよく引用されるフランス語の「savoire - faire(サヴォア・フェール)」をもってきたのです。「匠の技」「ノウハウ」「機転」など意味の範囲は広いですが、「匠の技」をフランス文化シーンのひとつとして使う場合が多いです。 実際に経験する場の一例としてはパリの装飾美術館です。 あれっ?と思うのは、ウンブリア州の田舎の風景を大切なアイデンティティとして扱い、イタリア語にも「saper fare」という同じ意味の表現があるのにフランスの言葉を使ったのです。 プレスリリースのなかに以下の説明があります。 統制と自由、非日常と日常、快適さとアイデンティティ。サヴォアフェールとは、異なる要素を調和させる芸術的な力であり、私たちのクリエーション、価値観、そして在り方の基盤となる接点なのです。 シンプルに解釈すれば、サヴォアフェールは上の写真にあるような「表現の細かさ」の極みを強調しているのかもしれませんが、ぼくはもう一つ別の方向にもつらつらと思いを馳せました。 18世紀、オーストリアのハプスブルク家からマリー・アントワネットを皇女として迎えたように、フランスは東方文化を「輸入」することでフランス文化の普遍性を向上させた経緯があります。 好き嫌いや政治的な嫌らしさは脇におくとして、否定しがたいことです。フランスの普遍性は異文化を内に入れることで質を高めたのです。 クチネリは普遍性を大事にしたいと語る人ですが、この点に力点をおいたとき、イタリア語の「saper fare」では伝えきれない ー そう、クチネリが判断したとしてもおかしくないな、と思ったのです。 あるいは、異文化への態度を示そうとクチネリは考えたー 以下の記事で書いたように、クラフトの世界において今まで強かったローカルのクラフトと文化アイデンティの関係再考が進行中です。 これをバックグラウンドにすると、クチネリが「サヴォアフェール」という言葉を使ったことに納得感が増します。 トリノのスローフードのイベントで中国人の和食に触れた理由 Terra Madre Salone del Gusto 2026というスローフードの食イベントがトリノで今日(9月27日)まで開催中です。街中の各ゾーンに出展者のテントが散らばります。冒頭の写真がその様子です。以下が案内版です。 ぼくは和食をテーマにしたイベントで行われるトークセッションで話しました。京都からきた料理人の方との対談です。 ただ、シェフはトークを聴くお客さんたちのために料理の準備をされていたので、ぼくが先行して話すことになり、以下の記事で書いた内容に言及しました。 ミラノの和食店の90%以上は中国人や南米人のシェフの手による料理が出されます。今世紀初め、多くの中華料理屋が食べ放題の寿司屋に転換した頃、正直にいって、美味しいとは言い難いものが多かったです。 日本人の客がいくと「これが和食として正しいのか?」と聞かれました。それから20年以上が経過し、かなり美味しくなっただけでなく、「イタリア人はこの味が良いと言ってくれる」と自信をもって語るようになったのです。 しかし、彼らは和食を提供する以上、日本文化についてももっと語りたいが、なかなか教えてくれる人がいない ― この状況にどう突破口を見いだせるか? ぼくがトリノでイタリア人の聴衆に強調したのは、和食を単なる鑑賞対象から当事者としてどう見るか?を考えて欲しいということです。料理人は旨味や発酵など、和食からヒントを得ています。 そこで一般のイタリア人たちはどう和食を自分たちの視点への貢献に繋げるか、が課題になります。 「日本人のつくっている和食屋はどこ?」と日本人に聞いて一歩進んだ気になっているタイミングではないのです。日本人も「中国人のつくる和食は本物ではない」と上から目線でいることを反省するタイミングなのです。 客であるイタリア人、和食をつくる中国人や南米人、そして日本人という三者がどのようにして交流を重ねるか、これを一緒に考えていかないといけないです。 というわけで、ファッションと食という2つの分野で共通に考えたのは、多数の視点をもつことが普遍に近づく、という点です。 --------------------- 京都YouMeトリエンナーレのサイトに記載してある以上のイベントがありますが、このチケットのページをご覧いただけると概要がわかると思います。 Kyoto YouMe TriennaleKyoto YouMe Triennale Art Design Craftyummy-strategy-378990--new-one-kp7o6e61y.framer.app -------------- イランでの人権侵害、国連人権理「公平な調査を」 法的追及難しく - 日本経済新聞【ジュネーブ=ムートゥ朋子】国連人権理事会は21日、イランに関する調査団がまとめた報告書について討議し、欧州をはじめ各国がwww.nikkei.com 人権は普遍的な価値の代表だろう。

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文化の読書会

読んだ本の趣旨を1章ずつ1000字以内で書いていっています。

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見えない絆に形を与える―中世の友愛とJohn Cageの沈黙―

前章は、『ヨーロッパ中世の想像界』、第3部 聖と魔から、第3章「魔術師ウェルギリウス」、第4章「魔女の先駆け」、第5章「魔女のダンスとサバトの成立」でした。今回は、『ヨーロッパ中世の想像界』、第4部 仲間と他者、現世と異界の第1章「権力と権威のイメージ」、第2章「友愛の印」です。扉の絵は、Cage, Solo for Piano, notation E. 6 Henmar Press Inc., New York. Reproduced by kind permission of Peters Edition Ltd, London.です。 中世の人間関係 『ヨーロッパ中世の想像界』の記述から見えてくるのは、中世における友愛や友情が、現代的な意味での「個人的な感情」だけでは成り立っていなかったということである。そこには、贈与、誓約、接吻、衣服、大地、樹木といった具体的な行為や物が深く関わっていた。中世の人間関係は、心の中にある感情としてではなく、見える形、交わされる物、身体の動作、儀礼によって作られ、維持されていたのである。  まず重要なのは、贈与が単なる自発的な好意ではなかったという点である。『ヨーロッパ中世の想像界』では、ゲルマン社会の贈与について、一見自発的な行為に見えても、実際には義務となる互酬性があると説明されている(p.585)。贈り物は、ただ「気持ち」を表すものではない。贈ることによって関係が始まり、受け取ることによって応答の義務が生まれ、返すことによって関係の平衡が保たれる。つまり贈与は、人と人との関係を結び、同時にその関係を安定させる社会的な仕組みであった。  未開拓民族におけるのと同じく、ゲルマン社会の贈与は一見自発的行為のように見えても、実際は義務となる互酬性があるのだという。そこにはひとまとまりの規則・義務が含まれていて、そこに従うことで贈与が開始した関係の平衡が保たれているのである。 『ヨーロッパ中世の想像界』p585 この点で、中世の友情は、現代の私たちが考えるような私的な感情関係とは異なる。『ヨーロッパ中世の想像界』は、個人的な友情関係に見えても、それは公的な次元の形式的な関係でもあると述べている(p.586)。友人であることは、単に親しいということではない。それは、互いに責任を負い、助け合い、裏切らないという、公的な意味を持つ関係でもあった。したがって中世の友愛は、私的感情と公的義務のあいだにある関係だったと言える。 個人的な友情関係に見えても、それは公的な次元の形式的な関係でもあるのである。 『ヨーロッパ中世の想像界』p586関係を結ぶもの さらに興味深いのは、その関係が物や自然を媒介にして結ばれたことである。騎士や戦士たちの友愛の絆には、「衣服」のほかに、「大地」や「樹木」の霊力を借りた誓約の固めがあったとされる(p.587)。ここでは、友情や忠誠は、言葉だけで成立するものではない。衣服を交換する、大地や樹木の前で誓うといった行為を通して、関係が目に見える形をとる。しかも大地や樹木には霊力があると考えられているため、誓いは人間同士だけの約束ではなく、自然や霊的世界を巻き込んだ約束になる。 騎士・戦士たちの間の友愛の絆となる媒介物には、「衣服」の他にもいろいろなものがあった。例えば「大地」や「樹木」の霊力を借りた誓約の固めである。 『ヨーロッパ中世の想像界』p587 このように見ると、中世の友愛は、社会的であると同時に霊的でもあった。特に12世紀以降、その法的性格に情動的な価値が加わっていく。『ヨーロッパ中世の想像界』では、「友人」や「友愛」の法的性格に、忠実、勇気、武勇だけでなく、信頼や愛着が加わる必要性が感じられるようになったと述べられている(p.589)。ここで友愛は、単なる契約でも、単なる感情でもなくなる。法的な義務に、内面からの情動が重なり、さらにキリスト教的な影響によって霊的な関係にもなっていく。  実際、12世紀になると、その法的性格が、ある情動的な価値によって強化されていく傾向がある。「友人」、「友愛」の法的性格に、忠実・勇気・武勇はもちろん、いささかの信頼と愛着が加わる必要性が痛感されるようになるのである。そして友愛は内面からの感情を誘発するとともにーおそらくキリスト教が仕掛けた虚虚実実の戦いの影響だろうーそれは霊的な関係にもなる。 『ヨーロッパ中世の想像界』p589 接吻もまた、このような関係形成の重要な行為であった。接吻はキリスト教の儀礼に早くから組み込まれており、初期キリスト教時代から、口への接吻こそが「愛の接吻」「聖なる接吻」であるという考えが広まっていた(p.596)。接吻は、現代では恋愛や親愛の表現として考えられやすい。しかし中世においては、それは信仰、和解、友愛、忠誠を表す儀礼的な行為でもあった。身体を通じた行為でありながら、そこには霊的な意味が込められていたのである。 接吻はキリスト教の儀礼に早くから組み込まれていた。初期キリスト教時代から、口への接吻こそが、愛の接吻・聖なる接吻だとの考えが広まった。 『ヨーロッパ中世の想像界』p596 一方で、ものを与え合うわけでも、血を分かち合うわけでもない関係形成の手段として、「誓約」がある。『ヨーロッパ中世の想像界』によれば、誓約による友好関係の構築と宣言は、ヨーロッパ中世において非常に普及していた(p.607)。誓約は一見すると、贈与や血の儀礼より簡単に見える。しかし実際には、厳密な定式に従うことで成立する、非常に重い行為であった。言葉によって関係を作るという点で、誓約は抽象的である。しかしその言葉は、神や共同体の前で発せられるため、単なる約束以上の拘束力を持っていた。  ものを与え合うわけではなく、ましてや血を分かつ合うわけでもない。一見より簡単だが厳密な定式化に則っていた人間関係形成の手段が、「誓約」による友好関係の構築と宣言である。これはヨーロッパ中世において非常に普及していた。 『ヨーロッパ中世の想像界』p607 以上から、中世の友愛は、内面に自然に生まれる感情ではなく、儀礼的・社会的・霊的に構築される関係だったことがわかる。贈与は互酬性を生み、衣服や大地や樹木は誓いを支え、接吻は身体によって聖なる関係を示し、誓約は言葉によって友好を制度化した。つまり、中世の人々にとって、人間関係は心の中だけにあるものではなく、物、身体、自然、神の前で形を与えられるものだったのである。  ここには、中世の想像力の特徴がよく表れている。見えない信頼や友情は、そのままでは不安定である。だからこそ、それは贈り物、衣服、接吻、誓い、大地、樹木といった具体的な媒介物を必要とした。中世の友愛とは、見えない絆を見える形にする技術だったと言える。そしてその技術は、単なる個人感情を超えて、社会秩序そのものを支える力を持っていたのである。 中世の友愛とJohn Cageの音楽実験をつなぐもの この章で扱われている中世の友愛は、単なる内面の感情ではない。友人であること、信頼すること、忠誠を誓うことは、心の中だけで成立するのではなく、贈与、接吻、誓約、衣服、大地や樹木を媒介として、具体的な形を与えられていた。つまり中世の人間関係は、見えない絆を、見える行為や物によって成立させる文化だったと言える。  この点は、John Cageの音楽実験ともつながる。Cageの《4分33秒》では、演奏者は通常の意味では音を出さない。しかし、その沈黙の時間によって、聴衆は会場の物音、自分の身体の音、周囲の気配に気づかされる。そこでは、音楽は作曲家の内面を表現するものではなく、聴くという行為を成立させる枠組みになる。何が音楽であるかは、音そのものだけでなく、それをどう囲い込み、どう聴くかによって決まる。  中世の贈与や誓約も、これと似ている。贈り物は、単なる物ではない。それは友好関係を開始し、相手に応答を求め、関係の平衡を保つための媒体である。誓約も、単なる言葉ではない。定式に従って語られることで、人間関係を公的に成立させる行為である。つまり、贈与や誓約は、すでに存在する友情を表現しているだけではない。それらは、友情そのものを作り出している。  ここに、Cageとの共通点がある。Cageは、音楽を「作曲家が作った音」から、「聴くという出来事」へとずらした。中世の友愛もまた、友情を「心の中の感情」から、「儀礼や物を通して成立する関係」へと置いていた。どちらも、意味は内面に閉じ込められているのではなく、形式、行為、場、身体を通して立ち上がるという発想を持っている。  もちろん、違いもある。中世の贈与や誓約は、関係を安定させ、社会秩序を保つための形式だった。それに対してCageの音楽実験は、音楽とは何か、聴くとは何かという既存の枠組みを揺さぶるものである。中世の形式は秩序を固定し、Cageの形式は秩序を開く。しかし、どちらも「形があるから意味が生まれる」という点では共通している。  この比較から見えてくるのは、人間は見えないものをそのまま扱うことが苦手だということである。信頼、友情、忠誠、音楽、沈黙、気配。これらは目に見えず、つかみにくい。だから人間は、それらに形を与える。中世では、それが贈与や誓約や接吻だった。Cageでは、それが沈黙の時間や演奏会という枠組みだった。  したがって、中世の友愛とCageの音楽実験は、遠く離れたものに見えて、実は同じ問いを共有している。それは、見えないものはどのように経験され、社会の中で意味を持つのか、という問いである。中世の人々は、絆を形にすることで関係を作った。Cageは、沈黙に枠を与えることで、音を発見させた。どちらも、世界にすでにあるものを、形式によって見えるもの、聴こえるものに変えているのである。

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中世貴族史にみるラグジュアリーの変遷

文化の読書会 『ヨーロッパ中世の想像界』池上俊一 第4部 仲間と他者、現世と異界 1 権力と権威のイメージ 2 友愛の印 <関心の高い部分の要旨> 教皇、皇帝、国王というトップレベルの覇権争いがあり、その下に貴族と騎士の地位変動がくる。もうひとつ、学識者も含む都市支配層の台頭がそれらと別の潮流としてやってくる。 初期中世、既に教皇と世俗君主のあるべき関係は検討されていたが、教皇の至上権がより問われたのは、教皇と神聖ローマ皇帝の争いが深刻化した11世紀以降だ。 12世紀以降は、これまでの「ペテロの代理人」は「キリストの代理人」に大きく切り替わる。神聖度合いの向上だ。14世紀末からは、教皇冠を被るキリストが描かれ、さらに神自身に教皇冠を載せることが多くなる。 その一方、教皇庁で生まれたレトリックと儀礼が皇帝のそれを模倣するとの現象がでてくる。即ち、聖俗の最高指導者の間にイメージの相互貸借があったのである。 13世紀以降のフランス王をみるように、モノとしての王冠よりも王位継承法が優越するようになったが、これは王権が抽象的実体になったことを意味する。 同時期、かつては聖職者や聖人に期待されていた美徳 --- 慈愛 -- が王に移し替えられていく。王は貧者にも慈愛の心で接すべきであり、媒介に貧しいキリストを真似て神に近づく手段とする急進的宗教運動が盛んになってきた潮流と重なっている。 (貴族と騎士のイメージ戦略に見るべきところがある)。 三身分論、祈る人ー戦う人ー働く人の第二身分にあたり、高貴性の誇示に余念がなかった。なぜなら、国王のような至上権をもたないので、平民と日常生活で区別される優位性のイメージをつくり、保持するのが必須だったのだ。 城、邸館、塔、戦争と遊興ー騎馬槍試合や狩り(特に13世紀、狩り熱が熱病のように広まる)、集会、宴会、家名、食生活、衣服・・・これらで優位性を示すのだ。 衣服の場合、アーミン(紋章学においてオコジョの毛皮を表すティンクチャー)、毛皮、絹、ヴェルベット、金糸、真珠、宝石など特別の素材が差異化に使われた。 奢侈条例もあった。非生産的なことに走らないとの経済的目的、キリスト教的美徳、謙虚さを重んじる道徳的目的、格差拡大を防ぐ社会秩序維持の目的があったと考えられる。 15世紀になると貴族に憧れる上級市民が貴族を真似、貴族は真似られないように更なる差異化を図るとのいたちごっこがおきる。 食卓では、食べ物の量と質、派手な色、珍しい香辛料が重要視され、宮廷文学には「肉とワイン」が繰り返し出てくる。そして、肉は家畜よりジビエが自慢になる。 家名がでてくるのは11世紀である。名前(洗礼名)に添え名というカタチが、添え名に替えて家名がついた。多くは地名に由来し、一族の本拠地が家族集団のアイデンティティだったと思われる。 紋章の誕生もこの時期だ。13世紀、騎士身分が軍事的職務から高貴な地位を示す13世紀後半から、貴族は紋章とのつながりを重視。15世紀には紋章保持が貴族特権になる。 以上、家名と紋章によって示される血縁関係を図にしたものが「系図」である。相続の規則、政治、社会、宗教生活全体を構図化する思考図式ともなる。 貴族と騎士には差異があったが、騎士に求められる資質が勇猛であるのに加え、忠誠や宮廷風礼節が重んじられた。謙虚、敬神、慈愛など、宗教的徳目が美徳にあり、これはキリスト教的観念の影響であった。 そして他方、都市支配者の登場に目をむけるべきだ。 初期中世で都市は虚栄の場であったが、10-13世紀の都市化が都市は自由の場との見方を強くしていく。都市貴族や新興階級は慈善施設建設にみる大度や鷹揚さ、立派な館と装飾や狩りなど従来的貴族のイメージの両方を追求した。 <分かったこと> 今回、貴族が貴族であるためのイメージ戦略にポイントをおいた。「2 友愛の印」は省いた。 「1 権力と権威のイメージ」に、ぼくのテーマであるラグジュアリー戦略、しかも、新しいラグジュアリー戦略に至るまでの道筋がはっきりと説明されているからだ。 これまでラグジュアリー史を語るに、ラグジュアリーという英語の意味変遷で「実質的機能以上の価値」にポイントをおいた現在の意味に近くなったのは17世紀と説明してきた。 そして、歴史上、王冠や近世以降の宮廷にある希少品をラグジュアリーの源泉とし、19世紀の産業革命における新しいブルジュアが貴族と似せるためにラグジュアリー品という需要ができたと語ってきた。 つまり、王政のトップや教皇庁のトップの表現にラグジュアリー起源を求めてきたが、見るべきはここではなかった。 自分では至上権のない、しかも平民の差別化に懸命な中間管理職的存在である貴族からラグジュアリーに踏み込むべきだったのだ。神聖性をどうもつか?が王に近づくために必要で、モノや貧者への鷹揚さで平民と差別化した。 19世紀以降のラグジュアリーが21世紀に限界にきて、今、公共善や精神的豊かさがテーマに新しいラグジュアリーを語っているぼくは、中世史をもっと学んでおくべきだった。 更にいえば、19世紀のラファエル前派などにある中世再評価の観点も多分、このことを突き詰めるに必要なステップかもしれない。 ちなみに、最近、教会の設計を通じて神聖性を考える機会があった。

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権力・権威と正統性、それを具現化するモノと行為。池上俊一『ヨーロッパ中世の想像界』(9)

引き続き、こちらの本を読んでいます。池上俊一『ヨーロッパ中世の想像界』(名古屋大学出版会、2020年)。参考文献などのページも入れると950頁ほど。 ヨーロッパ中世の想像界amzn.asia 9,900円(2026年07月01日 11:04時点詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 今回は第4部第1章「権力と権威のイメージ」と同第2章「友愛の印」を読みます。 タイトルバナーは以下のサイトに掲載されている絵画ファイルを拝借しました。 西洋文化において、王に聖油をそそぐのはなぜか | 中世ヨーロッパの道はじめに 2023年5月3日、イギリスにおいてチャールズ国王の戴冠式が行われました。式典において最もキリスト教色が強かったmedievaltrail.com 摘 読。権威と権力、そこからくる秩序の正統性を具現化するさまざまなイメージ(第4部第1章) 中世ヨーロッパにおいて、権力ないし権威を持ちえたのは教皇、皇帝もしくは国王、貴族と騎士、そして都市権力者であった。 教 皇 このうち、教皇が至上的な権力を持つ存在であると主張されるようになったのは、11世紀以降のことである。教皇は、4世紀ごろから「ペテロの代理人」と考えられ、それによって地位を保ってきたのだが、12世紀以降になると「キリストの代理人」、あるいは地上における「神の代理」と位置づけられるようになり、それが聖職者/王/皇帝の三重の統治権・主権を示す三重冠として象徴された。ここには、それまで宗教的権威としてのみ存立していた教皇が、かつてのローマ皇帝をモデルとするという流れがあった。これも、当時存在していた皇帝との抗争・競合のなかで生まれてきたものであり、そのプロセスで教皇の権力と権威は伸長していった。この権力と権威を示すために、即位儀礼といった制度のみならず、絵画のようなイメージなど、教皇庁によるイメージ戦略や視覚的プロパガンダが展開された。しかも、その際、教皇個人だけを権威づけるのではなく、枢機卿団という組織体こそがローマ教会の永続的な至高性を担保すると考えられていた。むしろ、教皇個人の身体は脆弱であるということさえ、強調された。これもまた制度・機関としての教皇庁と教会がキリストの身体を体現していることを示そうとするものであった。 こういったイメージ戦略は、一方で教皇に対する民衆的なファンタジーをも生んだ。『教皇聖グレゴリウス伝』や「女教皇ヨハンナ」といった伝承のほか、時代々々の政治状況に大きく左右される教皇イメージも16世紀以降になると生まれてくる。さらに、宗教運動のなかで異なった教皇像が生み出されもした。 皇帝と国王 皇帝や国王の権力・権威を正統化する際のモデルとなったのは、フランク帝国とその皇帝、とりわけカロリング朝のカール大帝であった。フランク帝国/王国は同一民族のまとまりからなるのではなく、その王に服する人民すべてを包括する概念として位置づけられていった。それは、一つの理想への共通の支持・固着によるまとまり、普遍的なフランクの支配権に服する者たちの共同体と理解されていくことになる。ゲルマンの人々にとって、フランク帝国/王国は正統性の淵源となっていったのである。その際に神格化されたのが、カール大帝であった。カール大帝は時代を経るにつれ、偉大な英雄・聖人として祭り上げられるようになり、11世紀には異教徒討伐の戦士、平和の樹立者、信仰の擁護者、立法者・審判者、偉大なる文明樹立者など、あらゆるレベルの君主・支配者のモデルとなり、ノスタルジーとしてヨーロッパ人の頭に根強く残ることになった。 このフランク帝国/王国の遺産や記憶は、王の威信を付与する成聖式、それとともにおこなわれる戴冠式を含めた式次第書 ordo や、そこで授与される標章や衣服装束、帝冠、指輪、王笏といったさまざまな象徴的なモノの体系化、さらには権力の相続の象徴となる葬送儀礼などとして具象化されていった。 加えて、王の場合、王が具えるべき資質や美徳を示す必要があった。勇猛さ、平和の守り手、正義の維持、キリスト教への敬虔さ、さらに他者に対する気前の良さや慈悲、謙譲の源泉としての慈愛などが、それである。王の権力の本質は、ローマ的な権威と権力にあった。中世ヨーロッパにおける王は、現実の統治実践という側面はもちろんのこと、指導者に相応しい道徳的価値としての政治的・社会的威信 dignitas, そして主権者としての永続的な威厳 majestas をも具えている必要があった。こうした王権は、しかし次第に脱聖化されていく。これは王の人間化を象徴している。と同時に、国家こそが謎めいた神秘的存在になっていく。 貴族と騎士 貴族は国王のような至上権を持つわけではない。それゆえ、平民と日常生活で区別される優位性のイメージをつくりあげ、保持しようとした。実際に所有すると見や財産、城や邸館、塔、活動、一族の集会や宴会、結婚などの儀礼、家名、紋章、食生活、衣服など、生活態度と外観のあらゆる局面で、社会のほかの身分に対して優越性を示しつづけた。 同時に、貴族や騎士たちにとって「遊び」もまた、その区分を明瞭に示す活動の一つであった。たとえば、狩りや騎馬槍試合などはその代表である。同時に、騎士は忠節や礼節、慈愛、寛容、謙虚などといった美徳のほかに、馬に乗り遍歴するというイメージから、前進する者というイメージを付与されることになった。騎馬槍試合のような遊び/ゲームに臨むのは、それが騎士の特権であるという意識によるところがあった。そしてまた、この騎馬槍試合のような騎士の遊び/ゲームによって、戦争という現象が捉えられるようにもなったのである。 ちなみに、騎士というのは社会階級や法的身分ではなく、職業であり、戦士たちの集団であった。ところが、徐々に騎士叙任の権利が厳しくなったり、あるいは騎士叙任式が派手になって、その出費がかさんで、貴族なのに騎士叙任を受けないケースも出てきたりした。結果的に、騎士の内実は形式化して、その称号は飾り物になっていき、名誉職化した。ただ、上述の遊び/ゲームは騎士の騎士たる象徴的イベントとして位置づけられた。 都市支配者 ヨーロッパ中世、とりわけ10~13世紀には都市化運動が起きた。そのなかで生まれたのが、農村とは異なる新たな社会的結合関係と文化が展開する地域のセンターとしてのコミューンである。当初、こういったコミューンは修道士たちによって嫌悪されたが、一方で都市を諸階級が諧和しているユートピアと捉える人たちもいた。都市の市民は、土地の隷属から自由で、人格の自由や移動の自由、財産の自由処分権もあった。さらに、都市には神話的な起源があり、守護聖人も花を添える楽土であった。こういった現実と想像の重なりによって成り立っていた中世都市は、文明や建設空間の中心、秩序の源と捉えられ、無秩序な荒野や森と対立するものと考えられたのである。 こういった都市的な価値観は、次第に農村に住む貴族や農民にも感化を与えていったのだが、一方で都市貴族という都市の支配階級をも生み出していった。都市貴族は富を持ち、かつ有力な家系や家門に属していることから発する名望に立脚していた。 都市貴族は、貴族と同様の資質や美徳を旨としたが、それだけでなく都市の公共善を実現する役割をも担おうとした。これは、美とハーモニーを備えたと知りそうに立脚していた。その際、都市におけるパトロン・クライエント関係は、都市エリート家系の当主と中小市民が疑似的な家族関係を結ぶという社会関係であった。これは、法や契約によって保証された関係ではなく、道徳的または社会的理由で結ばれたインフォーマルで複雑な主従関係であり、公的な社会システムの間隙を縫って、ポストや仕事の推薦・紹介、結婚の仲介、芸術家や文学者への後援など、多面的な目的や機能を果たした。この情緒的結合が、都市の成熟を支えたのである。 さかさまな世界 ここまで述べてきた諸階級は、秩序の支配階層にあたる。ところが、周期的な逆転儀礼とイメージによって、それが覆されることがあった。 その代表がカーニヴァルである。古いゲルマンの異教的な風習を色濃く伝えるカーニヴァルは、暗く寒い冬からの解放を悦び、明るい太陽と豊かな春の訪れを祝う祭りである。ここでは暴飲暴食と羽目を外した遊びが繰り返される。それは教会にとって忌むべきものであった。しかし、生活習俗に根づいた祭をなくすことはできず、しぶしぶ容認された祭りでもある。 ただ、さかさまな世界をあらわすのはそれだけではない。「子供司教祭」や「愚者祭」のように、通常ならば“そこ”にいない者をその地位につけることで、通常の秩序を逆転させるような祭りもあった。ただ、これらは聖職者による祭であったことも忘れられてはならない。あくまでも、キリスト教会によって容認された逆転儀礼であった。とはいえ、それがカーニヴァル的な危うさを持つことも確かであった。 このほかにも、サタンが司式する宗教儀礼がサバトでおこなわれたりすることもあった。 王をはじめとして支配的な地位にある者たちは、貧者に親切にし、慈愛の心を大切にするようにはなっていった。しかし、あくまでもそれは階層的秩序を平等化することをいっさい想定していなかった。あくまでも、階層的秩序を前提とした正義や平和、慈愛であった。だからこそ、一次的であっても秩序を逆転させる儀礼が必要だったのである。その意味で、まわりの人々を想像と驚異の世界に導き、社会の虚栄を暴き、誰も容赦せず、目覚ましく、滑稽で、いかなる人も彼を責められず、予言能力なども持っていた道化もまた、秩序の底辺層に位置づけられながら、その秩序を揺るがしうる存在でもあった。 このように、中世ヨーロッパにおいては、厳然たる階層的秩序が存在し、上位にある者は下位にある者に対して、鷹揚・謙虚で慈愛をもって接しようとすることが理想とされ、部分的にはそれも実践されたが、あくまでもその秩序が転覆されることは想定されていなかった。ただし、一次的な祭りとしての逆転だけは許容されていたのである。 友愛の印:関係性を示し、保つための表象/標章と制度(第4部第2章) ヨーロッパ中世世界は、表徴の世界であり、仲間と敵とを目に見えるようにしようとした。この「印」が重要になってくる。 まず、「友愛」についてみてみよう。友愛について考える際に重要になるのが、ゲルマン社会の贈与経済とそれがもたらす人間関係である。本書では、阿部謹哉の研究に依拠しつつ、ゲルマン社会における贈与が自発的行為に見えても、実際には義務となる互酬性があることを指摘する。ゲルマンやスカンジナヴィアの「サガ」には、北欧の贈与の慣行が描かれている。 そのゲルマンには、朋輩団 compagnonnage という慣習があった。これは、単に同世代などの平等な集団というより、自分より頑強ですでに早くから認められたほかの人々の仲間に入って、互いに朋輩となって強いきずなで結ばれるという慣行である*。 * これは、ゲルマンに限られたものではないだろう。おそらく薩摩における郷中、かなり色彩は異なるがボーイスカウトなどにもつながってくるのかもしれない。 メモここでの友情や友愛というのは、いわゆる現代的な意味での個人的な無垢の友情ではない。誓約にもとづく相互の義務が生じるものであった。中世において、現代的な意味での“個人”という存在は認識されていない。あくまでも、封建的な構造のなかの家系、人間関係の鎖の環の一つとしてしか捉えられていなかった。その前提で考えるとき、友愛誓約というのは単に友人関係、友情関係になるということではない。そこでおこなわれた衣服の交換は「その相手になる」というアルカイックな伝統に根ざす神秘的な理解があった。 友愛儀礼をへて仲間/朋輩になった騎士どうしは、全財産を共有する誓いを立てることもあった。これは、11~12世紀にフランスやカタルーニャ地方で広くおこなわれた約定 convenientiae(←現在のconventionの源流であろうか)と近いものがあった。約定においては、法的に同等とみなされる両者が、自由意志で双務的に結ぶ契約であった。 こういった契約的な性格を持つ友愛や友情も、12世紀にはいると情動的側面が色濃くなっていく。このころから、「友情」が道徳的な美徳、宗教的な情熱と結びついていったのである。 では、友愛関係樹立の縁となるしぐさや贈り物、交換物はどのようなものであったのか。 その一つとして挙げられるのが「接吻」である。接吻は、古代ギリシアや聖書にもしばしばみられるように、古くからあった。中世においても、それはすでに慣習として根づいていた。平和や和解をめぐる接吻、親密さを表象するための接吻などである。ヨーロッパ中世文学における接吻は、大半が男どうしであり、男女とか女性どうしでの接吻は珍しかったらしい。 こういった口への接吻は、アダムの顔に生命の息、聖霊の息吹を吹きかけた神の行為を想起させる。口と口との接吻は、息の交換、唾液の交換という民俗に族に溯り、血の交換を喚起させるものであった。そしてまた、同じ場所への接吻ということで、平等性をあらわすものでもあった。ただ、契約書という書面が重要な地位を占めるようになると、誓約としての接吻は姿を消す。そして、残ったのはキリスト教の儀礼においてもっとも接吻が重視された、婚約時・結婚時のそれであった。このような友愛や友情、愛情を確認するための贈り物として重視されたのが指輪である。 この他にも、血と血を混ぜるという血盟などもあった。 ここまでの身体性をともなわなくても、ヨーロッパにおいて人間関係形成の際に手段として用いられていたのが、誓約 sermentum である。もちろん、これも厳密な定式化に則っておこなわれた。宣誓をはじめとして、さまざまな契約が誓約によって固められた。誓い合った者どうしは、よきにつけ悪しきにつけ、一体化するが、その背後にはその有効性を保証する集団が控えていた。 誓約は中世社会の礎で、個々人を互いに、そして神と結びつけるものであった。その際、横の関係性をめぐる誓約としての連帯 conjuratio はしばしば弾圧された。キリスト教においてもあるべき誓約は縦の関係、垂直の関係を構築するものであった。しかし、盛期中世にさまざまな社団が増えてくると、横のつながりとしての盟約 conjuratio を容認せざるを得なくなっていった。 誓約、さらにはより秘蹟的な側面が強くなる誓願 votum などは「現在の言葉」の交換によっておこなわれた。言葉だけだからこそ、信頼と忠誠が欠かせない。それを証しだてるのが多くの聴衆の前で公然と行われることであった(現代の結婚式での誓約は、その流れにある)。 私 見。一つひとつの具象の含意と、その体系。 先日(2026年8月20日)、金沢駅前の石川県立音楽堂で開催された、以下のイベントにいってました。 ステージアートの世界|公演・イベント|石川県立音楽堂石川県立音楽堂はクラシックホール、邦楽ホール、多目的ホールを備えた音楽文化施設です。オーケストラ・アンサンブル金沢のフランongakudo.jp このなかで、バレエにおけるマイムについての小講座があって、実演も交えて(しかも、新国立劇場のバレエダンサーで、ファースト・ソリストに昇進された李明博さんと直塚美穂さんのお二人)だったのと、解説を担当された中島瑞生さん(こちらも新国立劇場バレエ団のファースト・アーティスト)のひじょうに明瞭な解説も相俟って、ひじょうに勉強になりました。ちなみに、この日の上演は、どれもひじょうに魅力的で楽しかったです。 で、その講座を聴きながら、「ヨーロッパって、アレゴリーが多いんやなあ」ということをあらためて感じたりもしてました。アレゴリーだけでなく、一つひとつに意味を持たせるというか。 もちろん、それはヨーロッパ中世に限られない可能性はあります。けれども、ヨーロッパ中世におけるアレゴリー的な思考というのは、きわめて強烈であるようにも感じます。 だからこそ、それを読み解いていく営みとして、ヨーロッパにおける人文学の基礎の一つに文献学 Philology が確りとあるわけですが。 秩序と関係性、それを保証するはたらきとしての誓約。 この誓約や誓言といった営み、もちろん日本においても起請文というのがあるので、世界的に共通する面もあるのだろう。ただ、そうはいっても、この誓約や契約という行為を重視するという点は、ヨーロッパにおける特徴であるようにも感じます。 とはいえ、「さかさまな世界」でも描かれていたように、誓約などによって構築される秩序は、時としてひっくり返されることもあるわけです。このあたり、どういったときにそれが正当化されるのかなど、秩序や関係性のダイナミズムをみていくというのも、おもしろそうだなと思ったり。 “贈与”の互酬性。 贈与の概念は、ここ数年かなり注目されているように思います。私も興味深いなと思ってます。 ただ、贈与を「見返りを期待しない」「慈愛にもとづく」「一方的な効用給付の提供」と断じてしまうのは、ちょっと違うなと思いもするのです。というのも、日本中世社会について論じた以下の文献でもそういった点が緻密に考証されているのを読んだことがあったので。 交換・権力・文化 | ひとつの日本中世社会論 | みすず書房中世日本は贈与社会が行き着くべきひとつの極限段階を示していた。日本史上最も贈答儀礼が肥大化したこの時代、贈与経済と市場経済www.msz.co.jp さらに、たまたま帰省中に古本屋(B●●K ●FF)で見かけて購入したこちらも、今回の内容につながってくる話。 ヴァイキングの経済学: 略奪・贈与・交易 (ヒストリア 13)amzn.asia 2,180円(2026年08月24日 22:51時点詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 贈与に限られませんが、中世における生活実践から出てくる諸概念って、つい近現代の個人を前提として捉えてしまいそうになりますが、今回の第4部第2章にも述べられているように、人間観そのものが異なることは踏まえておかないといけません。 でないと、ロマン主義が踏んできた轍(蹉跌といってもいい)を、ふたたび同じく踏んでしまうことになるような気がするからです。 ※時間があったら、もう少し書き足します。

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“異”なるものの悪魔化。池上俊一『ヨーロッパ中世の想像界』(8)

引き続き、こちらの本を読んでいます。池上俊一『ヨーロッパ中世の想像界』(名古屋大学出版会、2020年)。参考文献などのページも入れると950頁ほど。 ヨーロッパ中世の想像界amzn.asia 9,900円(2026年06月08日 13:56時点詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 今回は第3部第3章「魔術師ウェルギリウス」と同第4章「魔女の先駆け」、そして第5章「魔女のダンスとサバトの成立」を読みます。 タイトルバナーは以下のサイトに掲載されている作者不詳の絵画ファイルを拝借しました。 魔女の集会「サバト」の絵画11選。真夜中に行われる悪魔と怪物、魔術師の饗宴サバトは西洋で信じられていた、魔女や魔術師たちによる悪魔信仰の集会のことです。 集会は土曜日の真夜中に行われるとされ、黒魔mementmori-art.com 摘 読。偉人の魔術師化:ウェルギリウス(第3部第3章) ヨーロッパ中世において、過去の偉人たちは、その該博な自然や宇宙についての知識、あるいは実践によって、魔術をも操れる存在であるかのような、ある種の“虚像”が膨らんでいった。そのなかでも、とりわけ注目すべき存在が、古代ローマの最大の詩人であったウェルギリウスである。彼の『牧歌』『農耕詩』『アエネイス』は言語芸術と自然学の百科全書とあがめられた。ウェルギリウスは、言葉と自然と人間性の果てない知識を持つ偉人で、詩人という以上に、学者・哲学者として尊崇された。その凄さゆえに、彼は盛期中世から中世末期にかけて、人々を熱狂させる魔術師として、実に多様に描き出されることになった。しかも、それを後押ししたのは、彼が「キリストの預言者」という位置づけでもあった。 この預言者・神学者としてのウェルギリウスというのが、彼の“魔術師”としての起点であった。ウェルギリウスの牧歌に含まれている詩節をローマ皇帝・コンスタンティヌスや教父たちが、キリストの到来を予言したと捉えられたのである。 こういった偉大な知識人は、ヨーロッパ中世において魔術師とみなされる傾向があった。そして、それがヨーロッパ中世におけるファンタジーの飽くなき嗜好と相俟って、すべてが誇張され、変貌していくことになる。まずもって、そのはじめはナポリでの魔術であった。そこでは、青銅の蛙や金の蛭によって、蠅や蛭を駆除してしまったり、肉の保存を可能にしてしまったり、蛇を門に閉じ込めてしまったり、どんな馬の病気をも治してしまう青銅の馬を作ったり。さらに、ウェルギリウスが卵のうえにナポリを築いたり、ポッツォリの浴場を開いたり、ヴェスヴィオ火山を統帥したり、圧搾雨季の壁で庭を囲んだり、大気に空気の橋を架けてしまったり、世界一美しい果樹園を作ったり。これらは、中世の人々がイタリア各地を旅して取材するなかで、当地で信じられている“驚異”をウェルギリウスと結びつけていったものであった。そこには、ウェルギリウスへの敬愛の念があった。 その魔術師的な性格は、ナポリからローマにも展開されていく。それだけではない。白魔術師から黒魔術師へとも変化していった。つまり、それまでは人々を救う魔術を扱っていたのが、徐々に悪魔との関係をも持つ存在へと、その姿は変容していったのである。果ては、愛の虜囚としてのウェルギリウスである。博学な学者像と魔術師像が艶っぽいプレイボーイと合体してしまったのである。その艶っぽさゆえに、ウェルギリウスは女性の犠牲者となり、女性への復讐者というイメージまで与えられることになった。 このように、ヨーロッパ中世において、ウェルギリウスはファンタジーの格好の素材となった。そこには12世紀ごろに驚異の地平が広大に切り開かれ、それにちょうど彼がぴったり当てはまった。しかも、印刷術の進展によって、安価な本作りが可能になると、なおのこと大衆のファンタジー需要は高まった。魔術そのものは、キリスト教によって罪とされたが、15世紀末まではそこまで厳しく処断されなかった。しかも、ウェルギリウスの当初の位置づけゆえに、またそのフィクション性ゆえに、大っぴらに断罪されることなく、広く浸透したのである。 魔女の先駆け:異教/民間信仰の悪魔化(第3部第4章) 魔女とは、どのようにして生まれたのか。その起源となったのは、ディアナのようなローマ神話に登場する女神や、ヘロディアス(ヘロデヤ)といった新約聖書に登場する悪女であった。こういった古代以来の女性たちは、中世にいたって女妖怪と捉えられ、それに追随することは悪魔による夢・幻覚の犠牲者となることを意味していた。 これらの女神や架空的女性への信仰や追随は、農村における豊穣への祈りと結びついていた。ところが、キリスト教父たちにとって、そういった迷信的な行為は悪魔的空想にもとづくものでしかなかった。 ここに登場するローマ風名称をもった異教的女神=怪女像は、カルロ・ギンズブルグによればローマ的な外皮がケルト的果肉を包んでいる存在であった。というのも、ギリシア・ローマ神話においては「夜の騎行/飛行」というのは異質であったが、馬に乗るケルトの女神像の感化を受けて、馬に乗るディアナ像へと変質していったからである。恍惚状態で死者の国へ出かけるようなシャーマニズム的風習、ケルト的伝承やゲルマン的異教信仰が、第5章で論じられるサバト像へと結びついていくことになる。 闇の歴史: サバトの解読amzn.asia 4,730円(2026年07月01日 20:05時点詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する さて、このゲルマン的な淵源を持つドイツ語圏固有の女神たちは、それぞれに豊穣や死と生、さらには農作業を助けてくれたり、家畜や草花を祝福してくれたり、よい気候をもたらしてくれたり、女性を健康で多産にしてくれたりする存在であった。つまり、女性の生に寄り添ってくれていたのである。もちろん、なかにはペルヒタのように悪魔的で醜い老婆として描かれる存在もあった。しかし、そうではあっても聖十二夜にはあちこちの家を訪ねて饗応を受け、そのお返しに豊穣をもたらしもした。ここには、ゲルマンにおける生活に根ざした信仰の蹟が窺われる。一方で、子どもを食べるとされたラミアや子どもの血を吸うとされたストリガのような悪魔的形象の怪女もいた。 こういった異教の女神や怪女、死霊といった存在は中世末期から近世初頭にかけて悪魔化されていった。もともとは、悪魔的な側面だけでなく、人々の生活に寄り添う側面も併せ持っていたのだが、そういった存在を信仰すること自体が断罪の対象となっていったのである。そして、それらの女神や怪女たちは「魔女」として位置づけられていくことになる。 混淆の排除=純化から際立たされるもの:ダンスとサバト(第3部第5章) 魔女とのかかわりで浮かび上がるのが、サバトである。サバトとは、そこで神を否定して悪魔を礼拝し、さまざまな倒錯的で反キリスト教的なパロディ儀礼をおこなう魔女たちの集会のことをいう。そして、そこで悪魔を囲んで魔女たちがおこなうことのなかに「ダンス」があった。それゆえ、ダンス会場とサバトは同一視され、ダンスをしに行ったかどうかが、魔女狩り裁判における罪状の判定に用いられた。 さて、このサバト、それが現実であったかどうかは問われず、ひじょうに古い神話の層やシャーマニズム的な豊穣儀礼、ケルト的宇宙の痕跡といった民衆の着想、地域的な土俗文化や魔術的儀礼が素材となり、キリスト教における悪魔・悪霊像とが、当時の豊かな想像力によって結びつけられていた。にもかかわらず、15世紀ごろにあっては具体的なサバト像はほとんど描かれていなかった。それが詳しく論じられるようになるのは、魔女狩り・魔女裁判の最盛期である16世紀末から17世紀前半にかけてであった。こういった魔女狩りや魔女裁判においては、悪魔学者たちが妄想を膨らませたサバトに集う魔女たちの倒錯的蛮行の想起よりも、国王や領邦君主たちにとって、魔女を確実に見つけ出し、共犯者をあぶりだすことだけが重要であった。そこでじゅうしされたのが、ダンスへの参加だったのである。 実際、魔女とダンスが結びつけられて論じられるのは、16世紀後半からのことである。そういったダンスはきまって輪舞であり、不吉な方向とされる左回りに回って踊るものであった。女性と男性は入り交じるが、魔女は蹄をもった悪魔と踊ることもあった。不自然な折り曲げや、カササギのような飛び跳ね、痙攣や熱に浮かされたような激しく不自然な動作があった。ときに蠟燭を手に持って踊り、伴奏者は弦楽器や横笛、ラッパや太鼓、獣の骨や角を打ったりして囃した。そういったダンスは、大樹の周りや大きな焚火の傍らでなされた。そして、その後には凄まじい淫行や騒々しい宴会などが開かれるとされていた。 ただ、これらは悪魔学者たちが妄想したサバトのありようである。魔女として被告とされた女性たちは、必ずしもそういったイメージを共有はしていなかったであろう。被告とされた女性たちにとって、それは村の祭りや労働の合間におこなわれる「楽しいダンス」であったから。こういった民衆たちにとってのダンスは、季節ごとにおこなわれる豊穣儀礼であり、同時に娯楽であった。 ところが、キリスト教はこういったダンスに対して、ひじょうに厳しかった。異教的な伝統と強く結びつけ、非難と禁止を繰り返した。ダンスは悪魔とつながるものであり、女性に関しては淫乱と結びつくものとさえ主張された。それゆえに、ダンスをする者は天国の永遠の喜びを享受できなくなるとキリスト教父たちは繰り返し説教したのである。これは、大道芸人による芸についても同様であった。もちろん、天使の賛美の歌にともなうダンスというものもあった。けれども、ほとんどの場合、異教的伝統を内包するダンスはふしだらなものとして、魔女狩りや魔女裁判と結びついて、激しく弾圧されたのである。 こういった動きは、キリスト教と異教とが混淆する中世においては、まださまざまなところで残存していた。もちろん、キリスト教側はそれを否定するのに躍起ではあったが。それは、唯一神をいただくキリスト教にとって、神以外の存在に神性を認めることになってしまう。その神がすべてを統括する秩序において、そういった異教の神が存在することは許されなかった。 にもかかわらず、ヨーロッパ中世においては伝統的な土着の異教や習俗が根深く残っていた。それが16世紀以降になって、キリスト教の純化が強力に推し進められていった。それまで無害であると放置されてきた農村世界の習俗をあえて有害視して徹底的に除去することで、「新キリスト教世界秩序」を構築しようとしたのである。 これは、近世における国家形成の要請と軌を一にしている。中央集権の絶対主義国家の構築のためには、君主権力は異端を根絶するとともに、ひじょうに厳しい司法=計時機構をつくりあげなければならなかった。当然、神の代理人である王のもたらす神聖な秩序を脅かす魔女は、いかにしても排除されなければならなかったのである。 私 見。驚異から“魔”へ。 今回の3つの章で描かれたのは“魔”的存在である。“魔”といっても、もともとそれは必ずしも純粋悪ではなかった。むしろ、超常的な能力への驚異が起点にあった。その驚異がさまざまな現象と結びつけられていくことで、次第に奇想天外な存在となり、しまいには悪魔的な側面へと展開されていくことになる。 この“驚異”への意識というのは、別にヨーロッパに限られたものではないだろう。 例えば、修験道の開祖とされる役小角(役行者)。彼もまた、その超常的な能力ゆえに流罪の憂き目にも遭っている。また、数多くの伝承も残る。修験道の山伏という存在は、その後も多くの人々の信仰を担うと同時に、また時として胡散臭い扱いとしても描かれている。また、奈良時代の僧である行基も、これは超常的な能力というよりも、彼の知識や技術、そして求心力に対する権力側の猜疑心ともいえる。少し後の弘法大師空海になると、その功績が国家に認められたからか、魔術的な受け取られ方はほとんどみられない。 ただ、いずれにしても、常人をはるかに超えるような能力や知識を持った人間が、その超常性ゆえに“魔”としても捉えられることになるのは、そう不思議なことではない。そして、その“魔”も単なる恐怖の対象ではなく、むしろファンタジーとしての想像力(フィクション的想像力)が羽ばたくことのおもしろさに力点があったとみてよいように思う。 そういう観点から、ヨーロッパ中世の俗語文芸の世界というのをみてみるというのも、もしかすると楽しいのかもしれない。 “魔女”の近しさ。 日本において“魔女”というと、もっとも有名なのは山姥か、あるいは安達原/黒塚の鬼女だろうか。 このうち、山姥は地域ごとの伝承によってさまざまな描かれ方をしている。人を襲うような山姥もいれば、人の生活を支えるような山姥もいる。能においては、自然そのものという側面も色濃い。能『山姥』、最初に観たころはそのよさを感じ取り切れなかったのだが、いつであったか野村四郎さんの『山姥』を大阪の大槻能楽堂で観たとき以来、ものすごく好きな曲になった。 『山姥』に見る、“妄執”に囚われ続ける凄まじさ日本の伝統芸能のひとつである「能」は難解だと捉えられがちだが、実はその難解なところにこそ魅力が潜んでいるという。能を通してopeners.jp ただ、ここでおもしろいのは、能『山姥』は仏教、とりわけ禅の影響が濃厚で、山姥が自らの存在を知ってもらいたいという妄執があるという設定になっている。そこには、異形ゆえの怖さはあっても、悪魔的な側面はまったくといっていいほどない。 もしかすると、のちのち魔女にされていくことになる、ケルトなどで信仰されていた女神もこの山姥に近い存在だったのかもしれない。実際、本書でもそれに近い描き出され方があったことも述べられている(488-490頁)。 しかし、キリスト教にとってみれば、それは唯一神を頂点に置く信仰体系/体制に反する存在でしかない。中世においても、そういった“魔女”に悪魔性は付与されていったわけだが、それが近世へと進むにつれて、悪魔性だけが強調され、同時にそれに対する人々の意識も生活のなかから次第に薄れていったというのは、歴史的な移り変わりとして興味深いものがある。 “ダンス”への恐怖。 これは、以下のnoteの【追補】として書いた。 キリスト教において、神を頂点とした秩序から逸脱する存在は、等しく排除弾圧されるべきものであった。そうなると、人々が異教的な伝統や習俗のもとにある集いをおこなうことは、キリスト教の側からすると脅威あるいは恐怖でしかなかったであろう。そこには、反キリスト教的な面が生じないとは言い切れなかったわけであるから。 ことに上のnoteでも言及した、詩的活動を含む芸術作品に、人称を非人称的な次元に引きずり込んでしまうリズムの存在を認め、否定的にみるというレヴィナスの姿勢は、まさに唯一神的な信仰から逸脱する危険性、さらにそれがアンコントローラブルになる事態に対して、ひじょうに敏感であったことを示していると考えてもよさそうである。 一方、唯一神的な信仰から距離のある日本においては、例えば山崎正和の以下の文献からもみられるように、個人の計らいを超えるリズムに対して、拒否的な姿勢は薄いように思われる。 演技する精神/変身の美学【中公学芸ライブラリー】amzn.asia 4,950円(2026年07月01日 22:00時点詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 私は、どちらかというと山崎正和の議論に近いところがあるが、一方でレヴィナスの危惧も十分にわかる。人々があるリズムを共有し(あるいは、共鳴しあいながら集団的なリズムが生まれ)、それが奔流となって、舵取りもできなくなってしまう状態というのは、じつに危うさを含み持っている。 そして、そういったことがなされる場というのが想定され、そこに集うことが批判や断罪の対象となるというのは、ヨーロッパに限られない。一遍が開いた時宗の踊念仏は、その法悦的な昂奮と無秩序な状態を当時の貴族(六条[源]有房『野守鏡』)から強烈に批難されている。 得体のしれない何かが見え隠れする中世。 そう考えると、得体のしれない何かがつねに見え隠れし、人々はそこから想像力を掻き立てたり、あるいはそこへと入り込むことで憂きことの多い現世からの一次的逃避を試みたりしたのが、中世的な特徴の一つといえるのかもしれない。 WORKSIGHT[ワークサイト]30号: 新しい中世 The New Middle Agesamzn.asia 1,980円(2026年07月01日 22:09時点詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する コクヨが刊行しているWORKSIGHTの最新号(Vol.30)の特集が「新しい中世」であるのは、ひじょうに示唆的。この特集号ではエーコが一つの軸として設定されているほか、現代の魔女的活動についての紹介もある。 私は、生きている時代が中世的であってほしいとは、ただちには思わないけれども、中世的な特徴を持つ時代がどういうものであるのかを考えることには、大きな意味があると思っている。敢えてあげれば“混淆”“渾沌”といったキーワードが浮かんでこよう。ただ、それはかつての中世ではなく、近代をへたうえでの新中世であることは確かだ。そういうなかで、近代が獲得してきた考え方を捨て去ってしまうのではない、新たなありよう(秩序といってもいいのかもしれない。ただし、その秩序というのは合理的なルールだけで成り立つものではない)を模索していくことは、大事な仕事であるように思う。

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本の感想を書いてます。

本の感想をあまり長くなく、500字周辺を目安に書いたものです。

魔女狩りは絶対主義国家のために必要だった――ダンスは「不良の振る舞い?」

文化の読書会 『ヨーロッパ中世の想像界』池上俊一 第3部 聖と魔 3 魔術師ウェルギリウス 4 魔女の先駆け 5 魔女のダンスとサバトの成立 <関心の高い部分の要旨> 古代、中世の幾多の偉人が現実離れした伝説の主人公になったことをもって、中世は虚偽の時代だった、と称されることがある。しかし、知るべきは、なぜそうした「虚偽」が信じられたのか?である。 古代ローマ最大の詩人・ウェルギリウス(BC70-19)も魔術師とされた一人だ。学者、哲学者として崇められたのが、12世紀を境に魔術師と占星術師へと変貌したのだ。 魔術師と見なされる前に「キリスト誕生の預言者」と評価を受けていたことが、すべての発端であった。異教にあった彼を、教会は「真理のドアを叩く」人物にしたのである。最初に彼を予言者として公認したのは、キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝(270頃ー337)である。 このウェルギリウスのキリスト教化は、帝国の教会政策と寓意化(古代異教文学とキリスト教文学の融合化)の象徴的存在として扱われた。 さらに魔術師と見なされたのは、ギリシャや古代ラテン文学を中世の人たちが文脈を無視して、自分たちのイデアや願望に合わせて裁断して適当な衣装を着せたことによるところが大きい。 ウェルギリウスの初期魔術伝説は民衆救済の色彩が濃い。そこには彼が滞在していたナポリの守護者としてのウェルギリウスへの敬愛の念がある。 しかし、徐々に白魔術師から悪の世界に仕える黒魔術師と様相が変わっていく。14-5世紀において、黒魔術師ぶりは顕著になる。それはナポリからローマに移り、さらにイタリア外で伝説が広がるにつれて局地的・地域的モチーフを共有しない人にとって、話は欲望の線に沿って変貌する。 そして、次にはウェルギリウスは「愛の虜囚」にさえなる。印刷術による安価な本づくりは大衆のファンタジー需要は増すばかりだったのだ。 「魔女」も、もともとは女神として人々の豊穣を願い、病気治療を祈願をする相手だったが、15世紀に悪魔化され、異端審問官や悪魔学者らにより認定され、「火刑」という刑罰を与えられるようになる。 司教法典が何世紀にも渡り、女神のもつ超自然的存在を新たに解釈し直すなかで分析する枠組みが狭められ、それらが一気に統一化したサバト(魔女たちの集会)と魔女像に流れ込んだ。 サバトのイマジネールにあったダンスが魔女狩り最盛期に主要行為として論じられるようになる。ダンス会場とサバトが同一視され、サバトに行ったことが罪状を決するに至る。 16世紀後半から17世紀前半において、それは明らかな現象だった。魔女関連の論考では、ダンスについての言及が16世紀後半からしかないのだ。 サバトの最初期は15世紀前半、特に西部アルプス周辺の山がちで人が集中していないところに限定されていた。 古い神話的な層、シャーマニズム的豊穣儀礼、ケルト的宇宙の痕跡(夜間飛行や動物への変身)を含む民衆の着想、地域的な土俗文化や魔術儀礼、これらが民衆にも知られていたキリスト教の悪魔・悪霊像との調合がサバトの成立をもたらし、調合の案配は司法エリートだった。 ダンスは輪舞であり、背中を中心に向け、左回り。 そこから熱に浮かされたような踊りに展開し、淫行にまで発展するのがダンスであると悪魔学者たちは考えたのである。しかし、ダンスに参加した当人たちは、そのようなことのない「ふつうの経験」として考えている。 そもそも、中世からルネサンスにおいて身分を問わず、手軽にできる娯楽の一つだった。 農民のダンスは、キリスト教以前からあった豊穣儀礼や葬送儀礼などを伴うなものが主流で、キリスト教以降も生き残る。集団で歩を進める輪舞である。 村の広場、野原、道端、教会前、墓地、これらがダンス会場だ。 これとは別に宮廷文化の成果として、城、宮殿、庭園で行う舞踊が12世紀以降に誕生する。輪舞からはじまったが、農民のそれと異なり、先導者がおり、その先導者の歌に合わせ、他の者が歌ったり、手足を動かす。 男女のカップルダンスが、貴族のダンスの特徴である。14世紀初頭にスタートし、15世紀以降は、これが「社交ダンス」として定着する。 これが農民世界にも流入するが、市民に受容されるにはかなりの年数を要した。というのも、カップルダンスは性的トラブルを引き起こすと托鉢修道士らによる説教が浸透したからだ。 キリスト教はダンスを異教的伝統と結びつけ、非難と禁令をくり返した。即ち、ダンスをやめさせることは難しかったのだ。実際、教会も条件つきでダンスを許可していた。また、天使の舞もある。 異教的な田舎の文化をキリスト教化を強化方針を決定したのがトレント公会議(1545-63)であったが、それまで無害であると放置・無視していた文化を有害視することで「新キリスト教世界秩序」を目指した。 異教祭祀の悪魔化は近世において著しい。これには絶対主義国家形成の要請と絡んでいる。神の代理人としての王の正統化に基づく、司法制度の確立に異教的要素を徹底排除する必要があったのだ。 <わかったこと> 中世といえば魔女狩りと連想し、それはキリスト教教会権力の維持を目的としていた大雑把におさえていたが、大きく理解が違っていた。 中世よりも近世の国家形成の文脈で、魔女狩りを語るべきだったのだ。下記にあるようなステレオタイプを自身で覆す機会をもってこなかったということになる。 魔女狩り - Wikipediaja.wikipedia.org かつて「魔女狩り」といえば、「中世ヨーロッパにおいて12世紀のカタリ派の弾圧やテンプル騎士団への迫害以降にローマ教皇庁の主導によって異端審問が活発化し、それに伴って教会の主導による魔女狩りが盛んに行われるようになり、数百万人が犠牲になった」などと語られることが多かった。しかし1970年代以降、様々な研究によってこのようなステレオタイプな見方は覆されることになった。 (中略) 魔女狩りの犠牲者に関しての最も極端な説は、18世紀の歴史家ゴットフリート・クリスティアン・フォイクト(英語版)の用いた算出方法に基づく900万人である。これはあまりに極端であるとしても、かつて魔女狩りについて(客観的な根拠がないまま)犠牲者数が数十万人から数百万人と見積もられていた時代もあった。しかし近年行われている一次史料からの推計に基づいた1428年から1782年までの魔女裁判による全ヨーロッパの処刑者数は、ヴォルフガング・ベーリンガー(英語版)、ロビン・ブリッグス (Robin Briggs)、ロナルド・ハットン(英語版)といった研究者らが各々提示している推定値を共約すると最大4万人となる[17]。なお、地域共同体内での私刑にあった者の数を知ることは全く不可能なため、この犠牲者の数には含まれない[17]。 中世には夢想的な要素がたくさんあるがゆえに、非科学的非合理性が一方的に支配していたと考えやすいが、どちらかといえば、絶対主義に比べれば、人間のバランスのとれた考え方が重視されていた時代であるとさえ言える。 こうなるとルネサンス期のヒューマニズムの歪みが浮上してくる。 「人間復活」の後に人間的な要素が異教的という理由で排除される矛盾があったのだ。 当然ながら、これを批判として発するべきではない。こうしたルートを選択せざるを得ない人の苦しみがあったと想像するのが適当だろう。 それにしても、高校生のとき、「ディスコは不良の行くところ」とさえ一部で見られていたことを、サバトの話を読みながら思い出した! 国家にせよ、小さな組織にせよ、異物排除に懸命になるとき、その排除ロジックに何を見るか?が大切だ。 ーーーーーーーーーーーーーーー 冒頭の写真は、先週撮影した。サレルノ近郊のルネサンス期から続くテラコッタの工房でのパーフォーマンス。古代ギリシャのプロメテウスを題材にしている。プロメテウスは天界に火をもたらした。

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地中海世界としてのイタリア

最近、日経新聞電子版で「陣内秀信さん 旅のエッセーまとめ読み」との連載に気づき、一気に読んだ。 昨年5月に掲載された「ベネチア、都市の楽しみ」を初回に、その後、毎月、地中海周辺の旅の記憶を辿る。 舞台はイタリア南部プーリア州の田舎町チステルニーノ、モロッコ、トルコ、サルデーニャ、シリアのダマスクス、イタリアのヴェネト地方、スペインのアンダルシア州、イタリアのアマルフィと続き、最後がトスカーナ州にあるオルチャ渓谷だった。 陣内秀信さん 旅のエッセーまとめ読み - 日本経済新聞各界の著名人が自身の旅の思い出や忘れられぬエピソードを語る旅のエッセーは、NIKKEI The STYLEの名物コラムのひwww.nikkei.com 俄然、面白かった。 そして、ぼく自身がイタリアに長く生活しながらつかみきれていないことの一つは、アフリカや中東も含めた地中海世界の視点であると再認識させられた。 建築史・都市史の専門家である陣内さんはシリアで、キリスト教社会では廃れた古代ローマの文化をイスラームの都市が継いでいるのに気づく。「都心の公的・商業的空間と居住空間が分かれているのも一例」である、と。 建築や都市についてよく知らない人間でも、シリアで古代ローマの文化の跡に気づけるか?と問えば、否だろう。 多分、誰かの解説が必要だ。 だからこそ、建築史・都市史の専門家がとても羨ましい存在になる。 ぼく自身は、もともと新しいビジネスコンセプトを企画するにあたり、イタリアに住むことを決めた人間である。 そうすると企業が主要な相手になった。 トリノに住み始めた1990年代、イタリアの中部以南の会社とつきあうのは、かなりリスクが高かった。 何らかの取引に品質やデリバリーの問題が生じる確率を目安に、ぼくにとっての南限はトスカーナ州だった。 もちろん、素晴らしい素材が南にあるのは分かっていたが、ぼくのカバーするデザインなどの分野では地域を絞ざるをえない。 今世紀、インターネットの普及とともに、商材もモノではないことが多くなるが、そうするとますます北部イタリアやヨーロッパの他国の企業とのつきあいが増える。 それは今更どうしようもない、致し方ない結果なのだが、このような陣内さんのエッセーを読むと、ぼく自身の弱点だなあと思う。 しかも、シリアなど今や足を運びようのない地域が多くなってしまった。 自分の欲求や必要に合うよう、時の事情は用意されていない。 だから、パンデミック期にはじめた文化の読書会がもう6年も続いているのかもしれない。ブローデルや古代ギリシャ哲学の本を読み、現在は中世史に嵌っている。 しかし、本では不足していることがある。 陣内さんが大学の研究室で調査地を選ぶ際の三条件を挙げているが、「都市空間や建物、風景が面白いことは当然として、残りの2つはホスピタリティーとおいしい食事」である。 ある場所に長い期間滞在し、個人宅にお邪魔することも多い。そうすると「ホスピタリティとおいしい食事」が必須条件になるのだが、トルコはこの条件がそろっている代表格だと言う。 もちろん、イタリアも筆頭にあがってくるのだろうが。 本では、これらの3つを体験できないのだ。 ぼくはイタリアで生活を始めた頃、陣内さんの『イタリア都市再生の論理』を読み、陣内さんの考え方や想いの持ち方に関心をいだき、お会い頂いた。 その翌年、陣内さんは大学のサバティカルでヴェネツィアに1年間、滞在された。 当時、ぼくが関与していたトスカーナの日伊文化センターのためにご協力いただいたり、ヴェネツィアのお宅にお邪魔した。 それから20年以上の間、おつきあいが途絶えていたが、数年前に陣内さんと法政大学の同僚、経営学の木村純子さんが共同ではじめたテリトーリオの研究を「面白い!」と思い、再度、交信がはじまった。 この4月、陣内さんと木村純さんが編集された『イタリア流テリトーリオの底力: デザイン・ファッションから農業・食文化まで』が出版された。 そのなかの一章として、ぼくもピエモンテ州ランゲ地方について書いた。 定期的な共著者ミーティングがあり各々の作業進捗確認を進めるなか、ぼくは陣内さんの視野の広さやものごとを前に進めるための寛容さと緻密さのバランスに感銘をうけた。 また、過去の話をノスタルジックにまとめない点も学びたいと感じた。言ってみれば、安易な人生訓につなげない。 30年以上前は、ぼくはイタリアに来たばかりだった。陣内さんの話を十分に理解していないとの自覚があった。 理解できるように早く経験を積みたいと思った。 しかしながら、30年以上を経ても見えていなかったのだ。 冒頭の日経新聞の連続エッセーを読んで、それは時間の問題ではなく、「前提とする活動範囲」の広さであったと気づく。 地中海世界としてのイタリアにさらに目を向けようと心に決めた。 教会の祭壇が沢山のパンに囲まれている写真。 ミラノのFabbrica del Vaporeで開催中の写真展「神聖なパン」で見た一枚。フォトグラファーのStefano Torrione が中東、アフリカ、イタリア(プーリア、シチリア、サルデーニャ)でパンをテーマに撮り歩いた。

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中世後期は頭(知性)から心臓(感性)への移行期

文化の読書会 『ヨーロッパ中世の想像界』池上俊一 第3部 聖と魔 1 天使の訪れ 2 聖心崇拝 <関心の高い部分の要旨> 天使は古代から中世末まで常に学識者の関心の対象であったが、中世後期に聖人崇敬が増すと、神と人々のつなぎ役としての天使の存在感は希薄になっていく。 ひとつは、天使は感謝を求めないとの一方的にみえる性格が、逆に信者との間を弱体化させる。聖堂への供物・寄進と実質的恩恵が対になってこそ、信者は能動的になるのだ。 二つ目は、12世紀以降に自然の世界が客観視された独自のメカニズムをもつと考え始める(科学的関心の下地か?)と、聖人の肉体や教会との物質的関係にリアリティがもててきた。 ただ、注意書きが必要だ。 「戦う天使」や死の瞬間に死後の運命を決めるとき天使は重要な役割を期待される。このコンテクストでは盛期中世以降に天使が活躍する。 この背景をさらに考えると、ローマ・カトリック教会がヨーロッパ全地に権威を広げるにあたり、土地との関連がない天使をフル活用したことと関連してくる。 即ち、三位一体の「聖霊」が中世後期に具体性をもってきた。これは天使の活用の結果とも推測できる。 そしてルネサンスから宗教改革期、人間への関心が高まりとともに、天使は単なる可愛いお飾りになっていくのである。 中世後半のもう一つの変化は、心臓のイメージに重きがおかれるようになったことだ。身体が知性の座から感性の座ー美徳、悪徳を含めーとして見なされる。 12世紀、宮廷文化におこった恋愛ブームー愛の時代ーが、キリスト教の霊性に影響を与えた。感性の座としての心臓である。 抒情詩人が理性との対置で心臓をとらえたが、この対立関係の設定は宮廷抒情詩の発明であり、神学者たちの考えの及ぶ点ではなかった。 さほどに多くの文学作品に恋愛関係における心臓は重要な地位を占めながら、宗教美術における心臓は15世紀のドイツで一般的になるなど時差が大きい。 並行して、心臓のステイタスを巡る別のディスクールがある。12世紀までローマ教皇を頭として、政治的ディスクールでは頭がトップにあった。 しかし、13世紀以降、医学、政治、文学、宗教の分野で心臓が価値を高めることになる。 (12世紀ではアリストテレスを支持する人たちが、こう考え、プラトン主義者は頭=知性を唱え続けたが、トマス・アクィナスは心臓に傾いた) フランスのフィリップ4世(1285 - 1314)はローマ教皇ボニファティウス8世と激しく衝突しながら、中央集権化と絶対王政の第一歩を築いたとされるが、彼は「頭は神経を司り、教会は信徒をまとめている。心臓は血管を体中に行き渡せるが、これが王の役割であり、心臓の方が頭より大切」と説いた。 14世紀にいたると、ドイツとフランスでは王=心臓のイメージが強くなる。その証のひとつとして、国王や親王が心臓を別葬し、特別の葬儀をするようになったことだー10世紀末のドイツ、12世紀のイングランドではじまり、13世紀のプランタジネット朝(1154ー1399)で心臓の別葬が一般化していく。 この方法は領地内に複数の記念碑や教会のブランドをあげるに貢献もしたが、16世紀半ばまでフランスの王と家族の心臓別葬という儀礼が維持された。 聖心にも触れよう。 聖書にイエスキリストの心臓は出てこないが、神学者と宗教者によって、イエスの心臓が特別な信心対象になってきた。盛期中世で一気に高揚する。 12世紀、聖ベルナルドゥスがその立役者の一人だ。 その流れをくみ、イエスの脇腹の傷が特に修道女の間で興味の対象になってくる。彼女たちは、その傷口から聖体の血を飲むのを夢見た。 つまり、傷口から心臓イメージに広がっていった。 特に13世紀後半以降のドイツやネーデルランドにおける修道女の間で顕著だ。 イエスの傷つけられた心臓を描いた聖心図像は数多くあり、崇敬の対象となったが、一般信者はこれに接することで、聖職者や秘蹟を仲介することなしに神と直接触れ合えるとの考えを生んだ。 信心の個人主義化や内面化という中世末の信仰心と適合した。 宗教改革後、イエスの傷口への信仰は薄れたが、聖なる心臓はますます重要性をました。旧約聖書と新約聖書を結びつけるに貢献した。 1800年には、イエスの心臓を無限の愛の象徴として目指す女子修道会(聖心会)が、フランスのマドレーヌ・ソフィー・バラによってパリに設立され、世界中に普及した(日本の財団法人私立聖心女子学院は1908年の設立)。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 心臓や聖心崇敬や事例がイタリア以外で多く紹介されている。 ドイツやネーデルランドの動きに注目すべきものがあった。 カトリックとプロテスタントを分ける一つの指標になったのか?と一瞬思った。 もちろん、フランスはカトリックの地域であるから、フランスは例外的な発展を遂げたと考えるべきなのか、それとも聖心図像の普及と宗教改革の影響の関連性はある程度限定的なのか、とも考えなおした。 要は、個人の信仰心の強さや教会を必ずも必要としないルートの確立の起点としての聖心図像が、宗教改革にどれほど繋がったのか――ここは勉強不足で、これから追わないといけない。 それにしても、心臓である。 宮廷文学から生まれたコンセプトをもって、フランス国王と教皇の間で心臓とのステイタスを巡る衝突が生じたとの推移は面白い。 ーーーーーーーーーー 調べたところ、十字架のペンダントを首にかけるのが人気を博したのは、17世紀のフランスの修道女、マルグリット・マリー・アラコクの幻視が契機らしい。 聖心のメダイ(心臓の上に十字架が立っている). ソース: Crissy1982 / Getty Images

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宇宙観から人間社会観に至るまで、人の身体がメタファーの基本だった

文化の読書会 『ヨーロッパ中世の想像界』池上俊一 第2部 四大から宇宙へ 4 風ー翼に乗って 5 宇宙と世界の形 <関心の高い部分の要旨> キリスト教において風はまず神の息吹、創造の息吹であり、風とそれを可視化する象徴の推移が中世にあった。 天使と風の関係もそうだ。 天使はじょじょに風のようになっていき、逆に風を天使の体躯を備えて描かれる。そして風の翼も天使の翼も、イメージの出所は鳥だ。 鳥が自由や迅速さを表し、他の動物と比べて高い宗教性の特権的な印だが、鳥は鳥という動物であるよりも、翼の付属物との見方がされた。 スクロヴェーニ礼拝堂にジョットーが描いた、両手を上に差し伸べる翼になる姿は「希望」の擬人化である。 このように風が翼の母胎となり、翼はさまざまな領域の表現に利用されたのだ。 ーーーーーーーー 中世初期、ヨーロッパは殆どが森におおわれ、その間に沼沢地や湿原があり、ゲルマン人の世界は自然のなかに埋没していた。土地が宇宙システムの中心にあり、人は土地に対して具体的・感覚的な関係を結んでいた。 したがって世界とは「屋敷の総体」と認識された。 原始社会と異なり、自然と人間を一体化させることもないが、敵対ばかりでもない。自分自身のスケールで自然を測ろうとした――歩数、肘、指尺、指一本幅。 しかし、ヨーロッパにおいて古代(ギリシャやローマ時代)の科学知識が途絶えていたわけではない。エリートの間でそれらの知識は引き継がれていた。 マクロビウスやマルティアヌス・カペッラの著書が、その役割を果たしていた。宇宙論の輪郭は800年頃にほぼ定まったのである。 12世紀、プラトニズムの影響のもと「自然」が創造者の道具になる。身体をはじめとする有機体を比喩に用いた宇宙論・世界論が多数出てくる。 In the Heart of God: Liber Divinorum Operum: The Lucca Miniaturesヒルデカルト『神の業の書』では、宇宙は「火の車輪」だ。三位一体の愛のエネルギーに包まれ、王冠が表す聖霊で結び付けられる。中心の地球は7重のエレメンタルな車輪で囲まれる。宇宙の中心には人間がおり、両手を左右に大きく開き、手足は激しい大気層に達している。 12-13世紀はギリシャやアラブの哲学テクストが多く流入する時期ー自然学、天文学、医学、錬金術、魔術などースコラ学と大学の学問を変え、世界観念や人間観に影響を与える。 象徴的解釈から存在論的堅固さへの転換だ。 経験主義に道を開いた13世紀のアリストテレス主義者たちにより、プラント主義的宇宙観の超越的な普遍の実在の影を潜め、プトレマイオス的把握を確立する。 概念的用語で厳密な推論と証明に重心を移すのだ。観察や実験を重視したのは自然科学者、アルベルトゥス・マグナスである。 アリストテレスの考えは神学にも及び、トマス・アクィナスも例外ではない。また、ダンテの『神曲』も、この潮流に入る。 14世紀のイタリア商人たちは、自分に関わるものは何でも計算し数えることで、お互いの関係づけをはかった。並行して、絵画空間が合理的構成をとり、遠近法を使い、空間も一貫性のあるものになる。 世界や宇宙のメタファーだけでなく、人間社会、人々の政治的・帰属の原理にそった実体イメージもつくられていった。そして、それらはサイズに関わらず断絶していない。 対象は、世俗世界における「王国」「帝国」、宗教における「教会」「キリスト教世界」だ。ここにおいても、人間の身体が比喩で使われるのである。 世俗と宗教の権力の危機から価値観が揺らぎ、14-5世紀のフランスにおいては国家意識が生れてきた。 他方、ヨーロッパの概念は、それ自体がイマジネールの産物で地理的範囲が確定したことはない。キリスト教とローマ性が重なるところがヨーロッパというわけではない。ローマ帝国、すなわちヨーロッパではなかった。 7世紀以降に地理的概念が宗教的意味を帯びるが、2つが重なるようになるのは西方キリスト教世界の誕生以降である。しかし、15世紀になるとヨーロッパは形容詞(「ヨーロッパの」)とともに頻繁に使われるが、キリスト教世界の概念が不要になっていく。 最後に身分に触れる。 聖職者と俗人の2分法をベースに3身分論が台頭。ローマの「元老院議員」「騎士」「民衆」の3身分をイシドルスが中世に移入する。10世紀には「祈る人」「戦う人」「働く人」が常道になる。 一つの身分が他の2つの身分に役立つと理念上は考えられた。 ヨーロッパ全体として盛期中世以降、4身分制へ移行するが、都市の発展で農民ではない働く人(商人、職人、法曹家など)が増えていったことが、その要因だ。 働く人は、市民と農民に分離された。 ただ、注意すべき点がある。身分論の多くは必ずしも社会変動に沿って整備された概念ではない。変動することで社会の境界線が揺れ動くがゆえに、現状維持を無理にでも保持すべきものとして機能した。 キリスト教世界のすべての信徒が集合的に救われるとするための知恵と工夫だった。 <わかったこと> 一読したとき、4章と5章の連続性がみえなかったが、再読してみて、翼というメタファーが如何に重要であったかを5章で再認識した。 上昇するもの、飛躍するもの、この翼のメタファーがなければ、宇宙も人間社会もおさえきれなかったのだ。ある柔軟な、ある矛盾を吸いこむような、もう一つのメタファーが常に必要だったのではないか。 それにしても、人類は苦労しながら生き抜いてきたのだ、と今さらながらにつくづく思う。 広大な空間をどうつかむか、人の身体的な把握からどこまでの範囲を捉えられるか、それらを実感とメタファーを駆使しながらアプローチをさまざまに重ねていった。 現在、ヨーロッパ文化、あるいはヨーロッパの歴史における功罪がさまざまに議論される。キリスト教の独善的部分、科学技術による先導、植民地政治、いろいろな点を巡って多くの会話がなされる。 だが、中世ヨーロッパにおいても、それぞれに最善を尽くして世界観を確立しようと努めていたのがよくわかる。 21世紀に生きる我々ができるのは、まだまだ不明点が多すぎる中世に生きた人たちの魂を救うことかもしれない。 ーーーーーーーーーーーーー 冒頭の写真©Ken Anzai

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さまざまなデザインのアーカイブです。

2008年1月から書いてきたブログを選択し、アーカイブとしたものです。デザインをテーマとしています。

デザイン原理は「形態は機能に従う」から「インターフェースは認識可能な意味に従う」へ。

20世紀前半のドイツに生まれた美術総合学校であったバウハウス(1919-1933年)や、その系統を汲むとされるウルム造形大学(1953-1968年)は、ドイツのみならず世界のデザインの潮流を作ったと評価が高く、そこから生まれたデザインにはファンも多い。 だが、ウルム造形大学で学んだクラウス・クリッペンドルフは『意味論的転回ーデザインの新しい基礎理論』(オリジナル2006年)の最終章で、下記のように記している。強烈な一発だ。 ウルム造形大学がとってきたデザインアプローチは、はるかに未来を見据えたものであったが、本質的に意味の体系的な思考に対して盲目であったことを提起しておきたい。 (中略) いまや時代遅れのデザインの原理である「形態は機能に従う」をもじって、意味的転回はデザイナーに新たな約束を与える。すなわち、インターフェースは認識可能な意味に従う。 新ラグジュアリーの文脈では、バウハウスやウルム造形大学の潮流を批判的に再考すべきとの意見をぼくはもっている。また、意味のイノベーションで問題解決だけでなくセンスメイキングに目を向ける重要性を説く、ストックホルム経済大学のロベルト・ベルガンティは、クリッペンドルフの「デザインは意味を与える」の意味論を踏まえている。それに最後に述べる理由もある。 したがって、ウルム造形大学批判と意味論の意義を語るクリッペンドルフの本書の最終章はメモをとっておく。特に、初代校長であったマックス・ビルについて触れた部分だ。 米国人建築家のL・H・サリバンの「形態は機能に従う」は、バウハウスからウルム造形大学において、いわば金言であった。それだけではない、今世紀においても、この表現を後生大事に信条のように使う人は少なくない。しかし、明らかにデザインの対象が変化した今、この表現は古すぎる。対象とのインタラクティブが鍵だからだ。クリッペンドルフは2006年、以下のように振り返る。 そこには機能とは何か、機能はどこからくるのか、そして誰が、あるいは何が、その機能を定義づけるのかといった批判的な疑問は存在しなかった。 例えば、テーブルウェアをデザインする際、「食べる」という行為を問わない。椅子をデザインするとき、「座るとは?」と考えない。今どき、どこの新人デザイナーでも考えるようなことが、1950年代、世界のデザインの最先端教育機関で教授も学生も視野に入っていなかったのだ。ウルム造形大学は「機能主義という点において世界最先端」と言い換えた方がよかったほどだ。 私たちのディスコースは、機能を客観的で、科学的探求や、一見合理的に思われる議論に従うものであるように見せた。(中略)マックス・ビルの主たる影響で、機能主義の用語は洗練され、最終的に技術的機能、素材的機能、生産的機能、美的機能の四つの機能が認知された。 さて、注目すべきは、上記の4つの機能の最後、美的機能を否定的に位置付けていることだ。美がマイナスなものということではない。前者の3つの機能の「残り物のカテゴリー」として美的機能を定義づけているのである。これは、曖昧で直観に依存する美的機能が理論的に説明しきれないがゆえにー合理性が歓迎された風潮のなかでー、ビルは数学的正当性に頼った。 視覚芸術の推進力は幾何学である。 例えば、ビルの1956年にデザインした壁時計をみてみよう。実にスッキリしている。 max bill by JUNGHANS Wall Clockこのデザインに対してクリッペンドルフは、次のように述べる。 明らかに、ウルム造形大学において開発された多くのものと同様に、このデザインは、その美学が数学的正当化の背後に隠された形態を呈示しているが、新たな使われ方は考えられていない。 つまり、形式的な美的原理といった数学的形態を賛美することにおいて、それらは非コンテクスト的であると指摘しているのだ。つまり、意味領域を除外している、と。そして、機能が社会的あるいは文化的な文脈の解釈を伴うものとはされなかったのだ。これが後になって批判や反省のテーマになってくるのである。 しかし、上記のウルム造形大学におけるビルが描いた指針は、ビル個人の問題というよりも、文化的中立である技術を賞賛することは、戦後の産業の必要性に呼応するものでもあったのだ。ドイツでつくられた流れは国際的にも広がった。クリッペンドルフは、これを「過ちだった」と表現している。 科学技術の名の下に議論することで、特定の美学を追究することを明確に拒否した。これにより、自らの伝統を固守する文化、あるいは工業化された西洋の文化的に中立とされる機能主義に対抗する文化、これらを「遅れた」もしくは「発展途上にある」と見なす結果を招いてしまった。 これが上述したような、ぼくがバウハウスからウルム造形大学にいたる潮流が新ラグジュアリーからすると「ずれている」と思う反証になる。新ラグジュアリーは、「19世紀のアーツアンドクラフツを失敗とみなし、バウハウスを賞賛する潮流」に異を唱えるものだ。クリッペンドルフの次の記述には膝を打つ。 ウルム造形大学の美学の成功は、異なる意見に対して私たちを鈍感にした。私たちはエルゴノミクス、ゲシュタルト心理学の知覚の原理、タイポグラフィーのルール、そして色彩理論に関するテキストを通してのみ工業製品のユーザーを理解した。そのうちのいくつかは、バウハウスにおいて展開されたものであった。 1950-1960年代、コンピューターインターフェースは存在せず、多くの専門家が協業するプロジェクトは議論のネタになっても実行されず、地球環境が真剣に心配すべき対象にもなっていなかった。言語を自省的に使うこともなかったので、デザインディスコースが再考されることもなかったのだ。 クリッペンドルフはデザインの対象が変化したことで、デザインディスコースの再デザインを提起したわけだが、その対象の目玉はコンピューターインターフェースだった。エンジニアが設計した意図とまったく異なる使われ方をされることに意味があるのだ。コンテクストが極めて重要な要素になった。それがタイトルの言葉になっている。 ぼく自身、2000年代、カーナビゲーションシステムのインターフェースのユーザビリティに関わることで、異文化理解の仕方やデザインの意味の変化に気づき、ローカリゼーションマップという活動をはじめたので、クリッペンドルフの論点が実に身近に感じられる。その経緯については、下記のインタビュー記事に詳しい。 HIROYUKI ANZAI安西 洋之 – TRANSCREATION®Lab.|トランスクリエーション・ラボ INTERVIEWINTERVIEW vol.7 安西 洋之:ビジネスに「異文化との遭遇」を– 必須科目としての「異文化理解」 ──いちばんtranscreationlab.com そしてマックス・ビルの部分をとりあげた理由であるが、以下、マックス・ビルのポスターを複製するプロジェクトに至る経緯が書いてある。2006年、ミラノ王宮でマックス・ビルの展覧会があり、そこで彼の彫刻作品をみた。これを小さくしてコピー版ができないか?と思ったのがきっかけである。例えば、アクセサリーとか。 ぼくがコンサルタントをやっている東京のメトロクス社長、下坪さんは、まず「二次元で検討しましょう」と言い、その翌年か、一緒にスイスに住んでいるマックス・ビルの息子夫妻を訪ねた。 その話を以下のブログで紹介した。実際、ポスターは完成し、その後、メトロクスはビルのデザイン柄のラグ、スツール、時計などなど扱っている。ウルム造形大学で学び、クリッペンドルフの本書の日本語版に序文を寄せている向井周太郎さんのトークショーも確か、ポスター完成後に行われた。 ぼく自身、マックス・ビルの評価が数学的美のところに集中しているところが当時プラスに思えた。ポストモダンの流れからすると、逆張りであるし、バウハウスには関心があった。そもそもマックス・ビルの彫刻を美しいと思ったぼくがいたのだ。そんな、「残りものとしての美的機能」とは思わず。 それがベルガンティを経由してクリッペンドルフの本を読み、そこでマックス・ビルの批判に接したというのが流れだ。大きな時代の流れは、水の流れのようなもので、マックス・ビルもその流れに大きく逆らわずに入った1人だったのだとつくづく思う。 クリッペンドルフが本書で触れているように、ウルム造形大学で意味論を研究する人はいなかったが、数々の卒業生が意味論の領域で実績をあげたのである。教育のあり方を考えるにも、良い事例だ。 写真はすべてメトロクスのサイトからとっています。 “バウハウス最後の巨匠” マックス・ビルのプロダクト | METROCS“バウハウス最後の巨匠” マックス・ビルのプロダクト特集ページです。ウルムスツールをはじめとする、バウハウスならではの徹底metrocs.jp

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デザイナー・伊藤節さんと語る(2009年4月の記録)

2009/4/7 先週の金曜日、イタリアのある会社のマーケティング担当と雑談しているとき、突如、「MADE IN ITALYって、何だと思う?」と聞かれました。その会社はMADE IN ITALY のブランドをキープすべく、全ての製品に品質検査の人間のサインを入れるなど徹底したプロセス管理をしています。 ぼくはすぐさま「イタリアの全てで使ったもの。たとえ、イタリア人の職人を連れて、イタリアの機械と素材をもって中国で作ったとしても、MADE IN ITALY とは言わない。そこにはイタリアの文化全てが揃っていない」と答えました。ぼくは、イタリア文化の全てを肯定的に捉えているわけではありません。マイナス要素もプラス要素を成立させる要件である。そのことを言いたいのです。どの部分が良くて、どの部分が悪いとは分類できない、その総体がブランドを作っている限りにおいて、スケッチがよく、プロトが駄目とか分析していてもあまり意味がありません。 その前日の木曜日、ミラノで約20年、建築家と工業デザイナーとして活躍してこられた伊藤節さんと、ミラノサローネを中心テーマにして色々と雑談をしました。いわば放談です。「結局のところ、ミラノサローネのために実質的に動いているのは3ヶ月くらいなんですよね」と彼は語ります。4月にサローネが終わり、うかうかしていると6月末で、すぐ夏休みの季節。9月になって「さぁ!」と言っているうちに11月。クリスマス休暇をはさみ、11月から4月の初めの期間の、実質3ヶ月が勝負時で、全てが決まるというのです。 「それでいいのか?」というわけですが、伊藤さんもそれを駄目と言っているわけでもなさそうで、ぼくも「何かをやる集中力って、そのくらいでちょうどいいんじゃないですか」と半ば茶化しながら肯定します。1年間、ずっと目を吊り上げていれば何かできるわけでもなく、緩急ある時間の進み具合に身を委ねたときの身体感覚が、アウトプットにある深さと意味を込めるに必要なのだと思います。 その時間感覚ですすむミラノにいて、伊藤さんは現在のミラノサローネを積極的に肯定しているわけではなく、かといって否定的にあからさまに攻撃するわけでもありません。アルキミアにいた彼はメンディーニのエピソードを出しながら、こう語ります。「メンディーにくらいの巨匠でも、サローネは嫌なんです。できれば、その間、海外出張でもあれば願ったりみたいですよ。要するに、自分が祭りあげられるのも含め、もろもろのデザイナー達と競争させられているのが眼前に繰り広げられるのが苦痛なんです」 <ガラスのテーブルはFIAMから出品するSHINTO。エクステンションダイニングテーブルです> プロである限り仕方のない運命ですが、その辛さがぼくにも想像できないわけでもありません。特に、全てがカタログ的にみせられ、しかもサローネが企業ブランド戦略としての性格が強くなれば、巨匠たちの声はかつてより相対的に小さく聞こえがちです。そう、昨今のサローネです。彼は1998年の思い出を話してくれます。イタリアのメルセデスベンツが、自分のショールームで伊藤さんの個展を開いてくれたときのこと。 メルセデスベンツミラノの社長が、伊藤さんを伴って雑誌インテルニまで出かけ、フオーリ・ディ・サローネのカタログに、この個展を掲載してくれと頭を下げに行ってくれたのです。インテルニがフオーリ・ディ・サローネを年々規模拡大していったのですが、1998年、掲載の選択権は当然ながらインテルニにありました。そのお目にかなうかどうかが問題だったのです。掲載料を払って掲載する現在と比較し、カタログの厚さは薄っぺらいものでした。 ぼくも覚えていますが、あの頃は、カタログ掲載イベントの80%制覇はさほど難しいことではありませんでした。去年、約500のイベントと言われましたが、10年前はその5分1くらいだったのでは・・・というのがぼくの記憶です。 2009/4/7 前回書いたように、この10年くらいでミラノサローネを巡る風景は大きく変わりました。分野、規模、それぞれに大きくなり、デザインウィークとしては圧倒的な力を持つに至りました。パリやケルンあるいはロンドンにはない集客力を誇っています。しかし、それと同時に、独特のテイストとでも呼ぶべきものが喪失していく過程でもあったかもしれません。伊藤節さんは、「それこそ文字通り、サロン的なよさみたいなのが消え、サローネはただひたすらに忙しい日々という感じになってしまいましたね」と話します。このイベントをミラノという場所でやる意味がどこにあるのか?NYでもいいのではないか? ということを自問せざるをえない気持ちになるようです。 巨匠も含め久しぶりに会う人達との年1回の大切なひと時ではなくなり、デザイナーはそれぞれ自分の発信に大忙しで、友人や仲間の作品を見るために各所に足を運ぶということが至難の業になったといいます。伊藤さんも、去年は最後の日に駆け足で見学したとのこと。アルキミア、マンジャロッティと経験して独立した伊藤さんからすると、20年前のキラ星のごとくいた巨匠たち、それこそ若いとき胸がわくわくしてたまらないデザイナー達がこの世からいなくなってきた最近は、「どうしても見ておきたい」というモチベーションが下がっているのかもしれません。 <写真はEURO3PLUSTのGOEN+ENTAです> 世界中のデザイナーから熱心なアプローチをうけ、スタジオに呼んで会って話してみると、ソットサスを知らなかったりする。すると伊藤さんはがっかりしてしまいます。「ソットサスより、ぼくが有名だなんて・・・」「ネットで沢山名前が出てくれば、それで評価の高いデザイナーと思ってしまう風潮があるようで・・・」 と。確かにそういう傾向はあるでしょう。しかし、どの時代に共通の「時代の変遷」としかいいようがない現象の一つでもあります。 こういうなかで、サローネ時期に数多出品されるプロトタイプの作品をどう思うか聞いてみました。新作出品の8割がたはプロトとも言われます。サローネでの評判をみて、量産するかどうか決めることが多いのです。 「ぼくの経験では、モノになるのはかなり低い確率です。つまり量産に繋がらないってことです。今、ぼくは量産になると決まった作品しかやりません。プロトにはヘキヘキです。先行投資にしては効率が悪すぎるのです」「量産になる作品というのは、世の中に以前見せたデザインではだめで、かつメーカーの商品戦略に沿っていないといけないわけですね」 そういう意味でいうと、見本市会場の横で実施されるサテリテはデザイナー自身の戦略を含めた「感性」のプレゼンテーションの場であり、それに対するフィードバックから何かが生まれることを期待する場所だ、と伊藤さんは説明します。そこに発表した作品にメーカーの人が来て、そこで本当にビジネスが生まれるか?といえば、それは期待薄と言うべきだ、と。ビジネスは、そこで生まれるかもしれない人間関係の「次」にくるものだからです。 2009/4/7 前々回の冒頭でMADE IN ITALY のエピソードを持ち出し、MADE IN ITALYとは地理的な問題ではなく、イタリア文化の全てが表現されたものと書きました。これはフォルムやカラーあるいは製品コンセプトだけでなく、経営判断のレベルをも当然包括することになります。伊藤さんはNAVAとのプロジェクトを例に出しながら、金型を作るかどうかの判断基準が、日本とイタリアでは大幅に違うという話をします。 ただ、この話を進める前にまず、「手作り」と「量産」という二つの言葉が指し示す範囲と意味が違うことを説明しておきましょう。日本で「量産」といった場合、そこでは手作業を伴うプロセスを排除しがちであり、機械で連続的にアウトプットされる生産方式というイメージが第一優先します。しかし、イタリアにおいては、プロト生産ではないものを、(特に家具や雑貨の分野では)量産と一括して呼ぶ傾向にあります。つまり「商品化」は「量産」と同義ではないですが、極めて近接したところに位置します。日本では「それを量産とは呼ばない」というものが、イタリアでは量産の範疇になります。 これは、ターゲット市場ボリュームのおさえ方の違いが原因にもなるのですが、もっと言えば、商品世界観の相違とも言えます。あるターゲット市場で狙ったシェアをとり、利益がとれることを第一目標にした場合、あらゆる市場の存在がアリとなるわけですが、イタリアではそのアリとする敷居がある意味低い、逆の表現すれば、市場の潜在性を多様にみていると言えます。たとえでいえば、クルマの世界でフェラーリという企業が成立するのは、あのような高級車市場のユーザーの顔を個々に見えているからだとぼくは考えています。したがって、イタリアの社会のもつ多様性が、市場のバリエーションを「作りこむ」のだと思います。そして、もう一つの鍵は、利幅の取りかたが違うことです。利幅を(日本と比べると)大きくとることを当然とする文化的土壌が、そのバリエーションの成立を許容することになります。 少々解説が長くなりましたが、伊藤さんは、いわゆる伝統的職人芸ではないプラスチック成型で、「絶対見たことがない」価値をコアに、独自性を主張する人達に感銘をうけ、またバックアップされています。いわゆる本格的量産には不向きとみられるロテーショナルモールディングに積極的な意義を見出し、あるいは日本であれば「こんなところに金型投資するの!?」と驚かれるような部分に金をかけるのがイタリア式経営判断なのです。 伊藤さんは、「技術の伝承」という表現を使った場合、日本では伝統技術をそのまま世代を継いで維持するというニュアンスで語られがちですが、イタリアでは過去の技術を今の時代にどう生かすか?ということにもっと重点がおかれる傾向があると語ります。 ぼくも同感で、だからこそ、過去の集積が現代に目に見える形で残るのだと思います。 <写真はNAVAのSLYというシリーズです> 2009/4/8 「いや、ほんとうにイタリア人は色々と新しいアイデアを出してきますよね。先日も、今、イタリア料理のシェフでは大人気のカルロ・クラッコの料理教室に招かれたんですよ。建築家としてね。どういうことかというと、キッチンメーカーが自社製品のプロモーションに建築家8人を呼び、そこでクラッコがスタッフも従えて料理を教えるんです。キッチンメーカーはそれで、建築家が製品に馴染みをもってもらえ、図面に入れてくれればと思うわけですが、こんなの初めての経験でした。いや、実際、クラッコも初めて使うキッチンだったので、随分戸惑ってましたけど・・・」と伊藤さんは笑いながら話します。実は、先週木曜日の放談は、これがスタートでした。 そして、放談の後半で彼はこう言います。「ぼくもイタリアで20年近くやっているから、日本の人から、『伊藤はイタリアかぶれ』という批評のされることがあるんですね。確かに造形はイタリア的かもしれないけど、コンセプトはそうとうに日本的だと思っています」 ぼくが、その割合は7-3くらいですか?と質問すると、「いや、イタリアと日本のポーションは5-5でしょうね。そして、イタリア人は、ぼくのコンセプトにある日本的エッセンスを的確に嗅ぎ取ってくれることが多いのです」と語るのを聞き、ぼくは昨年「ミラノサローネ2008」で書いたことを思い出します。 ぼくはヨーロッパ人は、美術館や展覧会の入り口で言語化された趣旨を読んで理解する習慣が強いことを書きました。一方、日本ではそういった趣旨の書かれた前にあまり人が集まらず、足は直線的に作品に向いがちです。直観的判断を優先するともいえます。さて、伊藤さんの作品の見られ方(あるいは読まれ方)を聞くと、イタリア人が異文化の本質に敏感であるというより、隠しようのない異文化に「気づく」のではないかとぼくは想像します。そこに民族性や国民性の差異はあまり出ないと思います。しかし、「コンセプトは何なのか?」ということを考える訓練の違いが、ここには出ているように思えます。作家本人と同じように5-5と判断することを目指す必要はまったくありませんが、やはりコンセプトを読む(あるいは読みきる)努力をすることは必要だと思います。直感判断のみに留まるのは、一種の思考停止であると思うべきでしょう。 放談も最後にかかります。伊藤さんが数週間前にメールで「今は新たなヒューマニズム構築のときだと思います」と書かれていたことに対する質問です。 大学でバウハウスなどのモダニズムを勉強してきたが、日本文化の根底にある自然主義が身についていた人間にとって、イタリアでアルキミアに出会ったポストモダンで表現される西洋ヒューマニズムのあり方は、揺さぶられるような衝撃だったと言います。生産効率を度外視した詩的世界がそこにはありました。何より、そのエネルギーが凄かったと。そして、モダニズムの旗手であり「自然から形をみつけてくる」マンジャロッティのもとで、いわば正統派ヒューマニズムに接してきた彼が、東洋と西洋の新たな協調を主張しています。 ぼく自身は、西洋のヒューマニズムあるいは人間中心主義への疑問が世の中で盛んに語られていることが実際的に大きな局面をもつのは、エコロジー問題を並行して、アムネスティなどの人権活動と政治経済の折り合いや、表現の自由に宗教的侮蔑は含まれるかどうかが、実際の西欧圏とイスラム圏の衝突事件でどう発展していくか等によると思います。 いずれにせよ、伊藤さんの考えている方向には賛成です。東洋主義は新しいものを生み出しにくく、いわば下方向にベクトルがいきがちなところに弱点を見、新しいことを生む西洋の力と合致することが必要だと語る伊藤さんには、この文脈での全く新しい視点のデザイン(例えば、MADE IN ITALYやMADE IN JAPAN の新しい価値観)を提案されていくことを期待したいと思います。 <写真はRICHARD GINORIのZEN GARDENです> *この連載でご紹介したデザインは、すべて今月(2009年4月)のミラノサローネで発表される作品です。

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クラフツマンシップを基調とした小売りとは?- 2009年3月のブログ

2009/3/17 ぼくはイタリアに来てから、ワイシャツはトリノの決まった店で買ってきました。中心街にあるその店は裏に工房があり、全てオリジナルブランドです。色も生地もよいだけでなく、痛んだ襟や袖を交換してくれるのです。およそシャツは、襟や袖が傷んでも他の部分は全く問題ないことが普通ですから、この方法はすごく合理的で気に入っていました。ですから14年前にトリノからミラノに引っ越しても、トリノに行く機会がある時、新しいシャツを購入し、痛んだシャツの修理を依頼してきました。そして、出来上がると宅急便で送ってもらいました。 しかし、トリノとミラノは120キロは離れています。そう用事もないと、シャツだけのためにトリノに出かける正当性は得にくいということになります。それで3-4年前から、ミラノでシャツを買うようになりました。しかし、未だオリジナルでも、襟を交換してくれるところはありません。正確に言うとないわけではないのですが、「襟を作って直すと、新しいシャツを買うのと同じくらいコストがかかるから、そんなのやめなよ」と言うシャツ屋が多く、仕方無しに、使い捨て文化に染まることになりました。 が、シャツをたたんだときの皺のより方などをみると、やはりトリノのお店のもののほうが良いのです。無駄な皺がよりません。もちろんミラノにも沢山シャツ屋はありますから、トリノと同じレベルの同じ方式の店もあるのでしょうが、それを探し歩くほどの暇もないし、人に聞き歩くほどシャツに熱心になりません。そうして、この3-4年が過ぎました。しかしながら、ミラノのモンテナポレオーネ通りにある刃物専門店ロレンツィのマウロ・ロレンツィ氏から彼の店の哲学を聞くうちに、ぼくのシャツに対する妥協が恥ずかしくなってきました。ある有名なファッションデザイナーが「ぼくのシャツを襟を交換しながら長く着てくれているのを見るのは、とても幸せだ」と語っていたことが思い出されました。 ロレンツィのお店については、「下坪裕司さんとのおしゃべり」で話題にしました。 見た目のインパクトが強くなくても、それぞれがとっても高品質。決して安くはないけど、がんばれば手が届かないわけじゃない、そういうモノが揃っている 店がいいですね。世界中のいいものがあり、でもオリジナルがある・・・ミラノのモンテナポレオーネ通りにある刃物のロレンツィが理想の商売ですね。どの店員も質が高く深い知識があってね。それで、コレというものを、世界中の人がそれを目指して買いに来る。 そこで、ぼくはロレンツィの経営者と雑談してきたわけです。実に堅実な考え方をしており、それが逆に刺激的でした。今年1月に80周年の記念パーティを開催したようですが、その彼にぼくは「貴方の現状に対する不満は何ですか?」と聞きました。「えっ、そんな質問をのっけからしてくるなんて初めての経験だなぁ。私的なレベル?それともビジネス?」と聞き返してきたので、ぼくは「両方」と答え、約2時間に及ぶ雑談がはじまりました。 何回かに渡って、このことについて書いていきます。 2009/3/18 1929年、モンテナポレーオネ通りに初代ロレンツィが自分の店を持ちました。最初は刃物を研ぐことがメインの稼ぎでしたが、顧客の要望を聞いて、自分たちでデザインし、職人が作るというサイクルを続けているうちに、自分たちのオリジナル製品が増えていきました。1959年、三人の子供が店を継ぎ、そのうちの一人は後に独立します。1960年代、葉巻やパイプブームがあり、葉巻やパイプを扱うようになります。これも葉巻のカッティング等で刃物が必要ですから、あくまでも刃物の延長線です。今回お会いしたのは、三代目のマウロ・ロレンツィ氏ですが、伯父さんにあたる二代目アルド・ロレンツィ氏も現役です。 ここの従業員は全て男性で、店でお客さんの対応する人達は皆30代後半以上です。最低5-6年、倉庫でモノをよく知ってから初めて客の前に立たせてもらえるのです。自分で商品に触り、知識を仕入れ、扱い商品に愛情を感じないで、どうしてお客さんの前に立てるのだ?というのです。刃物のよさを説明するのは難しく、それこそスペック表があるわけではない。それでメッセージを伝えるには、長期間の下積み生活が必要です。5-6年というのは、やっと店に立てるときであり、それなりの仕事ができるようになるのが15年程度。20年で一人前という世界です。 つまり、製品そのものの理解に時間がかかり、かついわば抽象性の高い製品であるということですが、それだけでなく、彼らの扱い商品点数はなんと1万5千点にものぼるということもあるでしょう。セレクトショップとしては膨大な点数です。これを全てPC管理しているわけではなく、約半分しかデジタルデータ化していません。後は手書きです。それが「商品知識が身につく」コツだといいます。お客さんの要望を聞いて、ピンとくるには、商品と触れる絶対的な時間量が要求されるのです。どの店員も一流ホテルのコンシェルジュのようなムードがあります。そして、お客さんもそれなりの年齢以上。「どうして、人生経験の乏しい30代以下で良いモノを見極めることができるのか?」と言われたとき、ぼくもハッとしました。 ユーザーインターフェースの仕事をしていると、新しい感覚や考え方の担い手として、10-20代の人たちの動向をぼくもよく見ています。そのときは、それでいいのですが、ある重みと深みのある領域では、それなりの人生経験をお客さんに要望して当然なのだということを、「大人の文化」のあり方として再認識しました。それは、ロレンツィの店の方針を聞けば分かりますが、彼らは「お客様のいうことは全て正しい」という考え方をしません。お客さんはもちろん大事ですが、お客さん、作り人、売る人、これらの全ての関係が良好でそれぞれがハッピーであることを目指すのです。そのためロレンツィは、「その部分が壊れたら、新しいモノを買ったほうがいいですよ」とは決して言いません。修理をして使えるようにし、それを何度も繰り返し、そのモノが次世代に継がれることが、彼らの希望なのです。 かつて英国の紳士は、新しい靴は執事に履き慣らしてもらい、その後に自分で履きました。常にメンテナンスを怠らず、靴底やかかとを修理し、できるだけ長い間使用する。それが紳士のスピリットとして評価されました。「まさしく、これと同じ考え方を我々はするのです。良いモノを長く使う。それによってそのモノがより磨かれる」と、マウロ・ロレンツィ氏は語ります。 「ブランドで売るということはしない。我々はモノを売るのです。それを気に入ってもらい、それがロレンツィの商品だと後で分かればいいのです。ですから、商品のなかで、我々のブランド名はできるだけ小さく隠れるような存在になっています」と言うので、「じゃあ、この隣近所のファッションブランド店とは”戦っている”わけですね」と質問すると、「ある意味ね・・・」という答えが返ってきました。 2009/3/18 モノを大切にしないのは、モノをつくった人に対して失礼であるという考え方があるのですが、ファッションあるいは流行志向は、この考え方に反するわけです。マウロ・ロレンツィ氏が店の周りを遊び歩いていた1960年代のモンテナポレオーネ通りは、いわゆるブランド街ではありませんでした。貴族が多く住む高級住宅地ではありましたが、通りには普通の店が構え、それが徐々に70年代になるに従いファッションストリートに変貌していきました。ですから、ブランドの権化のような空気のなかで、「我々は流行に左右されない」と言い通すのは、実にシビアな戦いです。 世界中の政財界のVIPがこの店を訪れ、ロシアの大金持ちには、従業員も含め店ごと言い値で買取、モスクワに店を開きたいとオファーを受けても、それは精神的な目標が違うと言って断ります。実は、このエピソードは伯父さんのアルド・ロレンツィ氏が書いた著書のなかで読んだのですが、マウロ・ロレンツィ氏に「お客さんで特筆するような要望を出した人はいますか?」と聞いたとき、「我々はクラシック商品を扱っている。私は紺のスーツが好きだ。あなたは今グレーのスーツを着ている。グレーも好きだ。それが我々の世界なんだ。黄色いジャケットを着る人は、我々の普段目指す世界にはいない。そういう例を挙げても意味がない。私はビジネスの哲学を話すのが好きなのです」という台詞が返ってきて、ぼくは「お見事!」と思わず感嘆しました。 彼は世界中を旅しています。刃物の生産国は、主要なところでは、イタリアのほかに、ドイツ、フランス、米国そして日本です。日本にも毎秋出かけ、岐阜の関や新潟の三条のメーカーを訪ねます。ここで刃物に関する今まで抱いていた素人の疑問をぼくはぶつけてみました。「どうして、ヨーロッパのナイフは日本の包丁のような切れ味がないのか?どこに違いの原因があるのか?」と。 彼はこう答えてくれました。「まず、日本の包丁は片方の手でしか使えないアンシメトリーになっている。そして、刃を直立させて切る時と、刃を寝かせて薄く切ることがある。まず、これがヨーロッパの使い方と違う。そして、日本では食卓でナイフは使わないように、厨房で全てカットする。しかし、ヨーロッパでは、食卓でカットするから、日本ほど前段階で丁寧に切る必要がないんだ。そしてタイプでいえば、ヨーロッパのナイフは用途別に沢山種類がある。しかし、日本は一つで色々な用途に使うようになっている」 「まあ、こういう背景はあるが、結局のところ、日本人は刃物の切れ味に多大なこだわりをもったからとしか言いようがないと思う。これはヨーロッパがもちきれなかったこだわりだったのだろう。ところで、刃物というのは、どれが調理用でどれで武器になるか、定義が極めて難しいものだ」 「上の写真のようにもてば、縦にトントンと切る料理用ということになる。しかし、下の写真のように持つとどうなのか? これには人を刺すイメージがあるだろう。同じモノでも、もち方によって、こんなにもイメージが変わるものなんだ」 この指摘は面白いです。とても暗喩的でもあります。 <上の握り方を説明する写真は、後でぼくが自宅で撮ったものです。包丁はロレンツィで買ったものではありません) 2009/3/18 お店はモンテナポレオーネ通りに面していますが、実は奥に普通一般には公開していない博物館があります。それは髭を剃る安全剃刀のコレクションです。刃物は男の文化だとマウロ・ロレンツィ氏語り、そこに何らかの攻撃的な暴力的な匂いを感じるからではないかと想像します。実際、子供が店にきて喜ぶのは男の子が多く、女の子はあまり関心を示さず、示したとしても鋏だといいます。しかし、髭剃りとなれば、これは完全に男の世界です。この連載の初回で紹介した写真も、この博物館のものです。18世紀なかば、フランスで初めて生まれた髭用の安全剃刀で、その使用法がスケッチで描かれています。皮膚を間違って切っても、深くいかないようなシステムが、この時代に開発されたわけです。 ここには紀元前のエトルスク時代の剃刀も保有しており、約4千点のコレクションがあります。安全剃刀は19世紀半ばの産業革命後、大きく発展したようで、驚くのは1900年代前半に既に5枚刃の剃刀があったことです。しかしながら、ものすごく高価で一般に普及するような代物ではなかったのです。いや、5枚刃に限らず、この安全剃刀は一部の階級に限られて使用されていたようです。実際の剃刀だけではなく、ポスターや剃刀の商品箱もガラスケースの上に見られます。 刃物を如何に愛しているか、これらのコレクションの数々をみてもよく感じることができます。刃物の経験、レベルの高いお客さん、優れた職人、これらの組み合わせが、一つの確固とした世界を築き上げ、それがビジネスとして回っていくのです。イタリア人は哲学を語るのがおおむね好きですが、その哲学と実践に乖離があることも当然よくあることです。しかし、このマウロ・ロレンツィ氏と話していて、「このメッセージ力があれば、必ず商品も売れるだろう」という気持ちになります。メッセージをどう伝えるか、このお店でヒントを得ることは多いでしょう。一言でいえば、ここには全てがあります。全てがコンパクトに小気味良くまとまっています。ミラノサローネのとき、少し時間をあけて、「実践的クラシックの世界」を味わうことをお勧めします。

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デザインや言葉について考えるー2009年2月のブログ

2009/2/13 小説家の水村美苗氏『日本語が滅びるときー英語の世紀の中で』(筑摩書房)は、ネットの世界でも大いに話題になりました。シリコンバレーにいる梅田望夫氏の2008年11月7日のブログが口火を切ったようで、小飼弾氏も梅田氏のブログの紹介で、この本を読んだと11月9日に書いています。ぼくも遅まきながら、今週、読了しました。本書はデザインにおける文化距離感を考えるにも参考になるので、複数回にわたって、これを取り上げます。 実際、すでに<叡智を求める人>は、今の日本文学について真剣に語ろうと思わなくなってきている。今の日本文学について真剣に考察しようと思わなくなってきている。だからこそ、今の日本では、ある種の日本文学が「西洋で評価を受けている」などということの無意味を指摘する人さえいない。 ここで書いている「西洋で評価を受けている」本が何を指すか、具体的な名前を挙げずとも、分かるでしょう。そして、これは文学に限らず、アートやスポーツの世界にもあることだと思い浮かべられると思います。 言葉について真剣に考察しなくなるうちに、日本語が西洋語に翻訳されることの困難さえ忘れられてしまったのである。近代に入り、日本語は西洋語からの翻訳が可能な言葉に変化していく必然性があった。日本語で読んでも西洋語の善し悪しがある程度分かるのはそのせいである。 日本は雑種文化とも定義づけられてきましたが、この雑種であるがために、日本文化は輸入文化をローカライズする術に長けてきたといえます。したがって、ヨーロッパのデザインについても、「ある程度」分かるわけです。しかし、それが西洋においては違うというのが以下の部分です。 ところが、西洋語は、そのような変化を遂げる必然性がなかった。西洋語に訳された日本文学を読んでいて、その文学の真の善し悪しがわかることなど、ほとんどありえないのである。わかるのは主にあらすじの妙であり、あらすじの妙は、文学を文学たらしめる要素の一つでしかない。 それは漱石の文章がうまく西洋語に訳されない事実一つでもって、あまさず示されている。実際、西洋語に訳された漱石はたとえ優れた訳でも漱石ではない。日本語を読める外国人のあいだでの漱石の評価は高い。よく日本語を読める人のあいだではほど高い。だが、日本語を読めない外国人のあいだで漱石は全く評価されていない。 以前『ニューヨーカー』の書評で、ジョン・アップダイクが、英語で読んでいる限り、漱石がなぜ日本で偉大な作家だとされているのかさっぱりわからないと書いているのを読んだときの怒りと悲しみ。そして諦念。常に思い出すことの一つである。 拙著『ヨーロッパの目 日本の目』で、東洋文化に関心の高い欧州人は、その文化体系に評価のポイントをおいているので、日本の雑貨や家具デザインを前にして、「とりあえず褒めておこう」という傾向が強い旨を指摘しました。この漱石に対する評価が真っ二つに分かれる現象は、欧州人の日本デザイン評価と非常に近いものがあります。日本人の欧州デザイン評価、欧州人の日本デザイン評価、この二つを比較したとき、前者のほうが「ある程度分かる」率が高いのです。ただ、話はあくまでも「ある程度」です。 2009/2/14 昨日に引き続き、水村美苗氏『日本語が滅びるときー英語の世紀の中で』(筑摩書房)からの引用を続けましょう。明治期に生まれた新しい文体に関する記述です。 もちろん、言語一致体がめざしたリアリズムに刺激され、和歌も俳句もルネッサンスというべき黄金期を迎える。新体詩も現れる。カタカナという表音文字も西洋語の音を表す文字として生まれ変わり、日本語の表記もさらに複雑にする。同時に、西洋語からの翻訳文という新しい文体も加わる。 「親愛なるあしながおじさん」などという日本語ではありえない文章も、西洋語の翻訳文として何の違和感もなく日本語の一部となって流通するようになる。日本人は、あたかも車のギアをシフトするごとく、西洋語の翻訳文を読むときは、読みのモードをシフトして読むようになったのである。これほど多様な文字と文学の伝統をまぜこぜにし、しかもそれぞれの歴史の跡をくっきりと残した文学ーそのような文学は私が知っている西洋文学には見当たらない。 「日本人は、あたかも車のギアをシフトするごとく、西洋語の翻訳文を読むときは、読みのモードをシフトして読むようになったのである」とあります。日本人はなんと器用なのでしょう。まさしく、この翻訳能力が、日本の近代の力であり、その能力こそが日本の強みであり続けてきたのです。だからこそ、西洋文化と日本文化の二本立ての教養は、日本が欧州に何かを売り込むとき、何かをコラボレーションするとき、優位性をもつ鍵になりうるのです。つまり、デザインについて言えば、欧州のデザイン文脈の読み込みをして戦略を立てるに際し、最初の土台がそれなりにあるので、より迅速かつ柔軟にできるというアドバンテージがあるのです。 日本の小説は、西洋の小説とちがい、小説内で自己完結した小宇宙を構築するのには長けておらず、いわゆる西洋の小説の長さをした作品で傑作と呼ばれるものの数は多くはない。だが、短編はもとより、この小説のあの部分、あの小説のこの部分、あの随筆、さらにはあの自伝と、当時の日本の<現実>が匂い立つと同時に日本語を通してのみ見える<真実>がちりばめられた文章が、きら星のごとく溢れている。それらの文章は、時を隔てても、私たち日本語を読めるものの心を打つ。しかも、そういうところに限って、まさに翻訳不可能なのである。 ディテールから積み上げていく日本文化、大きな枠組みでコンセプトを構築してからブレイクダウンしていく西洋文化、この文化の違いが、小説において語っていることが、そのまま他の分野にも適応できます。そして、その「心を打つ」部分が翻訳不可能であるというのも、日本文化を知らない人達にジャパンデザインをアピールするとき、考慮にいれないといけないことです。 2009/2/14 Design it! w/LOVE というブログを書いている棚橋さんという方が、「知る力より観る力」というエントリーで、柳宋悦の『手仕事の日本』を引用しながら、次のようなことを書いていらっしゃいます。 すこし前に「自分の好みを知るということが結局自分を知ることなんだと思う」というエントリーも書きましたが、物の好みを知ることが自分自身を知ることであるように、物を見ることそのものが日本の文化の有り様を理解することになるのでしょう。 けれど、実際はこれほど多くの物が生活のなかにあふれているにも関わらず、ほとんどの人が自分の生活を取り囲む物にちゃんと目を向けていないのではないかと感じます。 物をじかに見る目を持たず、他人の評価やマーケティング情報を介してしか物を知ることができなくなっている。自分の眼で見て、自分で使って評価するということができなくなっている。知識ばかりに頼って、自分自身の生活そのものを織り成す物にきちんと目を向け、そこから何かを感じとろうとしていません。 真摯な良い指摘だと思います。ブランドというのは、「知識」「愛情」「信頼」などの複合要素によって成立するものですが、それを構造体として裸にしすぎたブランドビジネスは弱体化の道を歩みます。直接「観て、触って、使う」というプロセスを待たないで、即ち時間をかけて熟成しきっていない段階で急いでブランドを形成しようとすると、いわば化けの皮が剥がれるわけです。 ぼくの別のブログ「ヨーロッパ文化部ノート」において、「ヨーロッパにおけるカトリックとは何か」というエントリーで、西洋紋章デザイナーの山下一根さんの文章を紹介したことがあります。ヨーロッパでカトリックが、(大きな凋落傾向が見えようが)長い年月を経て生き残っているのは、カトリックは知恵の結晶であるからだと彼は語っています。それに対して、日本のカトリックは知識として受け止められている傾向があるといいます。彼が欧州で学んだカトリックによれば、以下のような表現が出てきます。 人が壁にぶつかったときに、どのように耐えるか、、例えばローマの父親代わりの多くの枢機卿は、僕の日本への出発前に口を大にしてこのように「あえて」いいました。『ぶち当たったら希望を持つな、現実をみてカトリシズムに基づいて歩め!』。これは、一見聖書の言葉とあい矛盾するように見えます。しかし、人間は現実と向き合って、どんな困難にあってもそれを一度受け入れ『なにくそ~』という力を育てたいということからなのです。 優れて現実主義であることが、最高の解決策であり知恵であるわけです。ミラノサローネにおいて文化リアリティをつかむとはどういうことかを考えるのあたり、一つのヒントになります。 2009/2/16 先週の月曜日にアーサー・D・リトルの川口盛之助さんが日経BPオンラインに書いた、光岡自動車を「クルマを愛せないのは誰のせい?」を時間感覚への問いかけかもしれないと記しました。今日、その続き「市場に任せる「ケーレツ2.0」を作れ  愛情喪失とは無縁の光岡自動車(2)」がアップされたので、この記事のポイントを紹介しておきます。 ポイントは「市場と協力して完成させる自動車」です。完全無欠な完成度の高い車両を少しの車種だけ出すのではなく、寸止めした冗長なクルマを市場というまな板の上に素材として差し出すという謙虚な姿勢です。 この例として、オタクの「痛車」を挙げています。外装にキャラクターを描いたクルマが、今、カスタムカーとして市場を作りつつあることを以前、紹介しています。 どこまでいじらせるのかというのはもちろん重要な話です。安全性抜きに自動車の話はできませんから、ここを供給側が担保する仕組みは不可欠です。エ ンジンだけもらってきて自己責任で型式認定まで行う光岡のような臓器移植の執刀医レベルから、痛車のように表皮だけいじるネイルショップのような美容サロ ンまでの間に、様々な階層の「いじる専門医たち」がひしめき合っている状態が理想的です。 今はそこがバサッと抜けています。がゆえに、この手のカスタム化の論陣を展開すると、「そんな小規模経営の理論を大メーカーに持ち込むのはナンセ ンス」という読者のお叱りを必ず頂きます。しかし高付加価値化でしか豊かさを維持できない我が国のモノづくりの未来に、他に選択肢はあまり潤沢には残され ていません。大きな発想転換が求められているのです。 ぼくの別のブログ「ヨーロッパ文化部ノート」でも、高価格・高品質に「逃げ込む」形は決してMADE IN JAPANが長期戦に勝つ方向ではないと書きました。 いろいろ食い散らかすように話をしてきましたが、要は既存の大自動車メーカーを頂上に頂くヒエラルキー構造に自己否定の視線を持つ度量が求められて います。痛みを伴う構造改革。自己否定なきところに前進はありません。大局に立って新時代の「ケーレツ2.0」の構造を先に打ち立てた者が、変極点を超え た次の時代の勝者となるのです。日本のトラフィックの風景を変えるくらいの処方が必要な転機かもしれません。 自動車メーカーは儲からなくなるよという声が聞こえてきそうですが、ヒントは中身のブランド化とエレベーターのようなメンテビジネスです。中身の部品であっても、「インテル入ってる」から、カール・ツァイスレンズ、ゴアテックスやドルビーのように差別化は可能です。要は「プリウス入ってる」になればいいのでしょう。 日本にはイタリアのカロッツェリアや英国のバックヤードコーチビルダーのような文化がないので、クルマは大企業領域という固定観念がメーカーとユーザーの両方に強く、中間領域の存在を認めたがらない傾向にあると思います。川口さんは、まさしくその文化の欠如が、大メーカーの首を絞めていく大きな原因となっているので、その文化を創る方向を指し示しているのだとぼくは考えました。また、それぞれの分野の敷居を低くしておくというのは、ヨーロッパ文化一般のありようでもあります。 2009/2/25 トマス・マルドナードは耳にしたことのある名前だけど、誰だっけ?と思いながら、ミラノのトリエンナーレに入りました。マルドナードの展覧会入り口で履歴をみて「あっ!」と気づきました。90年代半ば、ミラノ工科大学に工業デザインのコースを作った人でもありますが、ぼくの記憶にあったのはウルム造形大学のマルドナードでした。1953年、ウルム造形大学はマックス・ビルを初代学長として招きスタートしましたが、1956年以降、マルドナルドが主導権が握っていた話を、プリアチェアをデザインしたジャンカルロ・ピレッティから聞いていたことを思い出しました。以下がピレッティの言葉です。 「わたしはね、マックス・ビルが はじめたウルム造形大学に行きたかったんだよ。準備もしていたんだ。でも閉まってしまったからね、いやあ残念だった。けれど後になって、ディレクターだっ たトマス・マルドナードがボローニャに教えに来ていたとき、わたしは彼の生徒だったんだ。いい仕事をした人だと思うけど、わたしを夢中にはさせてくれな かったなぁ。」 ピレッティというのはとても熱い人ですが、彼が惹かれなかったというのが、どうにも心のなかで引っかかっていました。マックス・ビルをウルム造形大学から追い出したようなイメージがついて回っていました。彼は1922年にブエノスアイレスに生まれ、最初はアーティストとして活動をはじめます。マックス・ビルとは1940年代後半にヨーロッパで出会い、その後、マックス・ビルもアルゼンチンに出向き、ウルム造形大学にはマックス・ビルがマルドナードを招聘したのでした。 この展覧会を見ていて、「なるほど、ピレッティとはケミストリーが合わないだろうな」と思いました。マルドナードのアート作品やデザイン、特にデパートのリナシェンテのデザインマニュアル製作やオリヴェッティの電動タイプライターのインターフェースやアイコン開発の数々を見ていて、彫刻的な作品に没入してきたピレッティとは正反対かもしれないと感じました。 この展覧会の真ん中に位置していたのは、まさしくウルム造形大学にいた頃のマルドナードです。1950年代半ば、哲学者のマルティン・ハイデッガーがウルム造形大学を訪問した際、マルドナードと言葉を交わしている写真が展示されていましたが、これはマルドナードが知識人としての階段を上がるに絶好の場面だったのだろうな・・・と、そんなことを考えました。また、1950年代、マックス・ビルは新しい時代の変化についていけなかったのだろうか・・・とも思いました。 2009/2/27 昨年6月「ぼく自身の歴史を話します」というタイトルで20数回にわたって、イタリアに来る前あたりからのヒストリーを書きました。カーデザインの巨匠であるジュージャロと一緒にイタルデザインを作った宮川秀之さんのもとで修行するのが、ぼくが日本を出る契機でした。 今日、その宮川さんと久しぶりに電話で話しました。その時に友人であった映画監督の故黒澤明氏のことが話題になりました。数年前に出された本、『黒澤明 VS。ハリウッド』のことです。1960年代後半の真珠湾攻撃を扱った映画『トラ・トラ・トラ』で黒澤明が監督をつとめていたところ、途中で解任された謎を探るという内容のようです。宮川さんが言うには、この本は米国と日本の文化論を語るに非常に貴重な内容を含んでいるのにも関わらず、黒澤明の個人的なレベルのエピソードとして読まれていることが多いのは非常に残念だということでした。 「日本の文化も、日本を離れて外国で実際に生活してみないと見えてこないよね」ということも語っていましたが、どれが文化論として摘出できるかどうかは、外国文化のなかで自国文化を相対化した経験をもたないと、その摘出すべき部分が目に飛び込んでこないのかなとは、ぼくも思います。ぼくもネットでの書評を読む限り、水村美苗氏『日本語が滅びるときー英語の世紀の中で』(筑摩書房)を言葉論としてしか読んでいない人が多く、これを文化論として読めば良いのにという感想を言いました。 日常の細かいエピソードを如何に一般性のある話に持ち上げるか?というのが、極めて重要なことだと思います。米国の大統領といえど、40数年の人生をその細かい日常生活のなかで生きてきており、その経験に基づいて世界の動向を揺るがすような重大は判断を日々行っているわけです。最初から帝王学を学んだわけではないのです。元NTTドコモの夏野氏がダボス会議でのリーダー達の発言にショックをうけたことをコラムに書いていたが、これは、「一般性への昇華の仕方」に彼我の差があるのではないか、自分ひとりで全体をみて判断するという習慣のあるなしに関わっているのではないか、そういうことをぼくは考えています。 2009/3/5 今年はバウハウス誕生90周年ということで、東京も含め世界各地で色々とイベントが予定されていることを、独シュピーゲル誌で知ったので、これについて書こうかなと思っていたのですが、いや、ここにある関連記事について書くべきでは?と思い直しました。それはシュピーゲルオンライン・インターナショナルの2月27日に掲載されているインタビュー記事です。 http://www.spiegel.de/international/zeitgeist/0,1518,610306,00.html Philipp Oswaltという44歳の建築家がバウハウス財団のディレクターに3月1日付けで就任するにあたり受けたインタビューですが、この記事のタイトルは「ユートピアでは十分ではない」というものです。インタビューとは読者の平均的イメージを想定したところから、相手に迫っていくことが定石でもあり、記者はグロピウスと新ディクレターをダブらせようとします。対してOswaltは、「教師と学生が違った意見をぶつけ合うのはバウハウスの伝統であり、順応はバウハウスの伝統ではないが、しかしながら私を輝かしい歴史の中にはめ込むほどおこがましいことをするつもりはない」とけん制します。 1925年から32年のバウハウスは、シリコンバレーの初期のようであったと形容でき、そこはハイテク地域の中心地にあたり、化学産業のメインプレイヤー、航空機メーカーなどがあるだけでなく改革スピリット溢れ、労働力が集まっていた。しかし、現在はまったく逆の状況であると語ります。産業とは縁遠く、失業率が高い。そして移民も多いのです。だから記者が「カンディンスキーも、ここには来ない?」という質問をすると、「たぶん、来ないでしょう」と考えます。 カンディンスキーは、まさしくその時代のコアそのものを目指して外国から来たわけですが、今、バウハウスがすべきなのは、世界各地からさらに若い研究者たちが集まってくる教育センターにすべくがんばらないといけないというのです。つまり、新しい世界をつくろうというナイーブなユートピア思想では不十分であることを、今のバウハウスが認識していることのようです。「何か新しい」だけでは結局は不要なものになるだけで、何が都市の現状にとってキーエレメントとなっていくかを良く精査していく必要があると、極めてクールな発言を繰り返します。 これは非常に示唆的な内容ではないかと思います。旧東欧圏にあった熱気ある新しいムーブメントが、今は実質的結果を求めだしている、それに如何にバウハウスが答えていくかということです。そして、ここでは触れていませんが、現在の東欧圏の更なる経済苦境をみると、ドイツとしては「回顧趣味に浸っている時ではない」わけで、90周年記念イベントに対する考え方も、その意図をよく読みこまないといけないなと思いました。 2009/3/11 茂木健一郎氏の「伝えたい日本」というトークの記録を読んでいて、意図することを心情的には分かるけど、これには解説を加えないといけないのではないかと思いました。少々引用しながら、ぼくのコメントを書いていきます。注意いただきたいのは、これは茂木氏への批判ではありません。効率よく日本文化を発信するための共同作業です。 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/127 要するに、ある何かについての情報をいくら集めても、誰かが生きているという生き生きとした感じというのは絶対に再現できないんですよ。 私は従来の日本論というのはそのようになっていたという感じがするんです。雑誌などで行われてきた従来の日本の特集というのは、何か残骸となった ような日本です。日本を語ることは、海外向けのお土産みたいに、富士山や芸者をカタログ化することではないって言いたくなります。 リアリティが重要であることを語っています。いくら勉強しても、ちっともヨーロッパ文化が抽象的にしか見えない。そういう経験を積んだ人なら、よく分かる話です。ただ、ここで一つ指摘しておきたいのは、この残骸は「ステレオタイプ」という言葉に置き換えられると思いますが、ある理解の出発点として、そのステレオタイプから行くしかなく、それはそれでステレオタイプである何らかの理由があったのであると考えるのが妥当だと思います。しかし、その理由を深く考える必要はありません。時間の無駄です。そのステレオタイプを自分なりに修正していくことがより大事です。 たとえば、食文化のひとつである「おまかせ」。これはすばらしい文化です。飲み屋さんに入って、お客さんが「まかせるよ」と主人にひとこと言えば、 主人はその客の年齢や好みなどを考慮しつつ、料理を出していくわけです。こうしたサービスは、日本独特のものであると思います。 これが欧米であれば、イニシアティブは客にある。ホテルもレストランも、客が何かを要求しないと何もサービスは受けられません。ところが日本の場 合には、客が望んでいるであろうことを想像し、先回りしてサービスを提供する文化をもっているのです。これは、日本流「おもてなし」の美学であると言ってもよいでしょう。 また店の側に立ってみても、「おまかせ」文化は非常に合理的なものです。メニュー方式であれば、メニューに掲載されている料理はすべて出せるように準備し ておかなくてはなりません。そうすれば、食材を無駄にすることになるかもしれない。しかしこれが「おまかせ」料理であれば、無駄がなくなります。 最近、盛んに「おもてなし」という表現で流通しています。日本料理屋の「おまかせ」に関する上記の説明は、日本のホスピタリティを表現したいのでしょうが、通じにくい内容です。まず、前提を述べれば、これは日本独自ではなく、イタリアにもある方法です。これは店側にとって合理的ですが、お客さんの年齢や好みをより尊重するならば、このような合理性は成立しません。「おまかせ」は言ってみれば店側の押し付けになるのです。客サイドに立つならば、多くの選択肢が食材として用意されていたほうが良いはずです。こういうような、なんとなく日本風の美として紹介されがちなエピソードやテーマはよく吟味するべきです。 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/265 もちろんこの「和」の精神がオールマイティーになるわけではありません。どんな文化にもいい面と悪い側面があるものです。日本人の「和」の文化にしても、 逆に言えば突出した「個」が出にくいというネガティブな側面もありますし、意見集約に時間がかかるという欠点もある。しかし、自分たちの文化を眺める場合 には、そのいい面と悪い面を冷静に把握する必要がありますから、それを踏まえた上で、世界に自国の文化を発信していくことが大事です。日本文化の欠点を冷 静に把握しつつ、いい面を積極的にアピールしていくこと。それがこれからの社会には必要だと考えます。 文化の良い側面と悪い側面、これはあくまでも他の文化との相対的関係あるいは相性によって浮き彫りにされてくるものでしょう。ですから、上記は順序が逆です。冷静に自文化を眺めても、その悪い良いは閉じた世界の話です。発信する相手の文化を知って、自分の文化の良い側面あるいは売りの項目が自ずと見えてくるのです。これは、日本が雑種文化であり、多くの外来文化を受容してきたという点がアドバンテージになります。 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/268 この小さな国のなかには沖縄のような南国があり、北海道のような、広大な大自然に恵まれたところがある。これほどバラエティーに富んだ環境をもつ国は他に はなかなかないでしょう。そして京都や奈良には古の景観が残されている。そういう日本の素晴らしさを再認識することが大事です。日本国内に目を向けて、 「日本とはこんなにも素晴らしい国なんだ」と国民一人一人が本気で感じること。そしてそれを世界の人たちに向けて発信することができれば、「日本ブラン ド」が世界のなかで確立できるでしょう。 日本の良さや強さを認識するのは大事です。それがブランドの力になるでしょう。自信をもつことも大切です。ただ、発信は、相手があっての発信です。空に向って叫ぶわけじゃないのです。「思い」も重要ですが、「思い」だけでブランドを作れません。双方向のコミュニケーションあってのブランドです。どういう表現言語を使用するか。これをよく検討しないといけません。 2009/3/14 ぼくは今年に入ってから、毎朝、自分に課していることがあります。それはヨーロッパ各国の新聞・雑誌オンラインを読むことです。対象国は10カ国で14-5のオンラインをチェックします。全て丁寧に読むわけにもいかないので、トップページの見出しをみて、興味のもてる記事をざっと読んでいきます。30分から1時間です。一人の視点でヨーロッパのことを理解するための訓練と考えています。 当然のことながら、全てその国の言葉でのオンラインを読めません。国によって英語のダイジェスト版を読まざるを得ないのはいたし方ないです。その場合、かなりのバイアスがかかっているのが明らかに分かることもあります。しかし、例えば英国の新聞でリトアニアの記事を読むだけでなく、リトアニアの英語の新聞を読むことで、若干の多元性は獲得できるのではないか。そう考えるのです。 ぼくは英語圏に住んでいないので、世の中全て英語で情報がとれるという考え方を幸いながらもつことはありません。イタリアの新聞が書いているイタリアの事件が、英国紙で報道される内容とギャップがあるのを感覚として知っていれば、英語で分かることは限定されたことである、という注意を払います。英語の雑誌が書いている日本記事に違和感をもつのと同様です。これが英語国民ではない人間の強みだと思います。 拙著『ヨーロッパの目 日本の目』で言いたかったのは、こういうことです。一人の目でヨーロッパを見て総括的に語ることを恐れてはいけないということです。それぞれの国の言葉や文化を知る、それぞれの人間を担当とし、それらを統括しないといけないのではないか?という思いに多くの人がとりつかれている。これはよくない。そう考えたのです。そういう恐怖心を無意識にでももっていると、いつまでたっても、自分で行動することができません。 書斎で思索に耽るためではなく、実際にコトをおこすためのヨーロッパ文化の理解が必要だとぼくは考えました。そのためには、いちいち人に頼るのではなく、自分で「これだ!」という分かり方をしないといけないのです。これはミラノサローネの見方もそうです。誰かエキスパートのトレンドリサーチや総括を聞かないと、自分の意見や感想を述べられないということではいけません。どんどん発信すべきです。去年、ミラノサローネ2008でブログ検索をしても、そういったエントリーが思いのほか少なかったです。ただ、他人の感想も注意深く聞くことを忘れてはいけないのでしょう。 2009/3/15 昨日、「一人で全体をみる」ことの重要性を書きました。そのために、ぼくはヨーロッパ各国の新聞オンラインを毎日読むトレーニングをしているわけですが、「どこかの誰かが正解をもっているのではないか?」という思い込みから解放されることが第一歩だと思います。その思い込みがあると、ひたすらリサーチの繰り返しになります。サッカースタジアムを設計する・・・じゃあ、イタリアや英国のスタジアムを片っ端から視察してみようということになります。そういうリサーチが全面的に悪いというわけではなく、必要ではあるのですが、リサーチからだけではコンセプトは出てきません。リサーチのやりすぎはマイナスでさえあります。 『ヨーロッパ学入門』(朝日出版社)という本はヨーロッパ文化をコンパクトにまとめています。言語学、思想史、美術史、音楽史とさまざまな分野の専門家が解説をしています。ぼくは、これはこれでいいのだが、ビジネスには一人で分かるヨーロッパ文化の見方が必要なのだと思いました。こういうことを考えながら、昨晩、小学校の子供たちの8歳の誕生会に出かけました。教会の付属施設で開催されたのですが、子供たちの破裂するエネルギーに圧倒されました。まったくストレートに感情が出てきます。カオス状態です。 サッカーはカオスのなかでどこにボールを瞬時に出すか、これが重要です。このイタリアで育つ子供たちは、このカオスに慣れています。誰に意見を聞くでもなく、自分で判断を下さざるを得ない状況に頻繁に放り出されます。ぼくの他のブログ、「ヨーロッパ文化部ノート」で最近話題になったことで、考え方の道筋に独創性がある子供に高い評点を与えるという、という内容がありますが、このような教育方針が、カオスに強くなる子供たちをつくっていきます。 昨晩は6人の子供の誕生日を一緒にやったので、ケーキのろうそくも、皆で一斉に消します。でも、それぞれお互いを気にせず、一生懸命です。 そして、こういう誕生会は、アニマトーレと呼ばれる専門の人間にお金を払い、子供たちに多様なゲームをやらせて楽しませるのが、かなり一般的です。こういう人達も、子供たちに綺麗に列を作るようには言いません。全体の盛り上がりを重視します。こういう環境で育って、「人の意見を聞かないと落ち着かない」という子供が育つだろうか・・・いや、そうならないだろう、と考えながここを後にしました。

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2019年現在進行中です。

2019年に「現在進行中」のことを書きます。

10月の日本滞在の予定

来月はまるまる一カ月、日本滞在なので何かご縁があればと願い、表に出している予定を記しておきます・・・と書きながら、最初の1日目は、実は表に出していないけど、ちょっと意外なことから始めるので、言っておきます。世界のポチョムキン村(モックアップタウン)を撮り歩いてきたオーストリア人の写真家が、次は日本の高齢化社会を背景にした孤独死を写真に収めたいというので、彼のために下準備を7月からボランティアでやってきました。受け入れ準備が整ったので、彼が初来日して最初の打合せです。実際の撮影も行える予定ですが、これから数年、彼はこのために日本に頻繁に出かけることになりそうです。 6日から12日までは、ミラノ工科大学ビジネススクール主宰で、10数人のイタリア人(エンジニアが主体)を引き連れて日本の製造業からサービス業まで、いろいろな企業を訪問します。名古屋・浜松・掛川・東京と動きます。主に製品開発プロセスをテーマにしており、今年は3回目になるので、各企業で議論するテーマも焦点が絞られてきており、かなり面白くなってきました。双方向で有益な議論が展開できそうです。下記はツアーリーダーのモニカ・ロッシさんが昨年書いた文章です。 Learning a different way of thinking in Japan - Planet LeanA study tour in Japan is a great way to grasp lean thinking,planet-lean.com16日は早稲田大学・日本橋キャンパスで「意味を探索するイノベーションとは?」というテーマでの講演です。アート&ロジックの増村岳史さんとの共演です。この2年間、2人で相当な回数、草の根的な講演をやってきましたが、ロジックの相対化や意味の重視は、それなりの理解が得られてきたと思います。だが、それでもまだまだです。「で、前例は?」「ロジックに穴があるからダメ」「問題解決がすべての源泉」という言い草が主流なのは変わりません。これからも、どんどんと突っ込んでいきます。 意味を探索するイノベーションとは?イノベーションを生み出すためには、ロジックと感性の両輪が必要です。しかし、私たちは今までロジックに偏重しすぎた思考法をしてwasedaneo.jp20日は大阪ばらきの立命館大学キャンパスで、ソーシャルイノベーションをテーマにしたシンポジウムが開催されます。ぼくは、オーガナイズ側の人間ですが、ニューヨークのペプシコ本社CDOのマウロ・ポルチーニさん、サービスデザインでも第一人者のエレナ・パチェンティさん、元国境なき医師団の国際部門のトップだったウンニ・カウナカラさん、石巻工房の芦沢啓治さん、それぞれに講演してもらいます。そしてパネルディスカッションはリトアニアのカウナス工科大学のルータ・ヴァルサイティにモデレータをやってもらいます。 4D Conference 2019 オープニングイベント2019年10月21日 - 23日の3日間、大阪府立国際会議場でデザインの意味を探る学術会議 4D Conference4d-conference2019.peatix.comそして21日から23日が大阪・中之島の会議場を使った国際デザイン学会です。カウナス工科大学とミラノ工科大学が2017年にカウナスで開催し、今回は2回目です。ぼくはジェネラル・チェアの1人ですから雑用も多いと思いますが、なるべく多くの発表を聞こうと考えています。それぞれのテーマで議論する場はあるでしょうが、これほど多角的にデザインを論議する場もあまりないと思われます。だから、米国シリコンバレーの某企業のデザイナーたちも大挙してやってきてくれるようです。 Designing Development, Developing DesignInterdisciplinary Research Perspectives on the Role of Design4d-conference.comこれが終わってから京都で一仕事をして、25日は六本木のデザインハブでXデザイン学校の公開講座に登壇します。表題は「文化とコンテクストとデザインを考える」です。カウナス工科大のルータ、武蔵野美大の山崎和彦さん、静岡大の本條晴一郎さんらと一緒です。文化とコンテクストは、ぼくも10数年間取り組んできたテーマなので、楽しみです。 Xデザイン学校公開講座「文化とコンテキストとデザインを考える」■概要:デザインのビジョンや戦略、サービスデザインやUXデザインを考慮する上で「コンテキスト」を考慮することが重要です。まpeatix.comこれら以外は残念ながら非公開や社内のトークセッションになります。 さて、準備にとりかかります。

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文化は一人称である。

ぼくが2008年に最初の本『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』を出したとき、大新聞の論説委員が「この本で語る文化には客観性が欠ける」と評したと間接的に聞きました。 それから1年ほど経ったとき、大学の文化研究の教授が「文化を語るには一人称でいいのですね!」と言ってくれました。 ぼくはオーソライズされた文化論に「客観的で正解がある」と見るのは適当ではなく、それはそれで知識としてもっていることはいいが、ビジネスパーソンにとって必要なのは「自分が前進できる文化理解である」とぼくは主張したわけです。 歴史を知るのは文化を把握するうえで大切でありますが、どこまで知っていくのが良いのか、それは「必要によって異なる」のです。最近はあまり聞かなくなりましたが、「欧州は狩猟民族で日本は農耕民族だから・・・」という表現で分かることは、すなわちこの知識を適用できる日常シーンは極めて少ないのではないかと思います。 さて、「文化をつくろう」「エコシステムをつくる」という表現がよく使われ、ぼく自身も多用するタイプですが、文化とエコシステムはどう違うのか?というところから、今回のポッドキャストはスタートしています。 2019年6月28日のデザイン by Design! Design! • A podcast on Anchor文化やエコシステムについて話しています。anchor.fmいつものミラノのカフェは、40度近い酷暑でベランダには人が殆どおらず、屋内に人が集中していたので、かなり周囲の会話が録音されています(そっちを聞いた方が面白い??)。 そういうところで百年前くらいの歴史なら自分の言葉で語れるかもしれないですが、それ以上になると、とんと自信がない。だから何百年の歴史を語れる人間が「上手くやる」という面がないわけではない・・・ということも話します。 実は、ぼくがこのごろ思うのは、以下のコラムに書いたことです。"preserve"という言葉は、個人の記憶を自分の意思で選択していき、それを自分のなかで保存していくとのニュアンスがあり、コミュニティ維持のための保存とは方向が違います。本来、プリザーブの集合がコミュニティの文化であるはずではないか、それが動的な文化ー即ち、保守的な静的状況に陥らないーとの確信をもつようになりました。 【ローカリゼーションマップ】「締めるべき扉」と「プリザーブ」の関係 文化は個人の意思で作られるスウェーデン人がホストのポッドキャストを聴いていると、対談相手のこんなフレーズがあった。「これまで、扉という扉をどこも開けwww.sankeibiz.jp言ってみれば、ぼくがおよそ10年前に書いた「一人称の文化」をよりバックアップするとの主張を補強してくれる言葉を見つけた、との感慨をもつのです。 こういう地点に到達してはじめて、例えば下記のコラムで紹介したマンズィーニのデザインモードのチャートにある4象限での「文化をつくっていく」との言葉が違和感を持たなくなってきます。「文化を語る」と「文化をつくる」の間にある意識の乖離を探ると、いろいろなことが見えてきます。 実は、この話、来月日本の下記のイベントで話す内容と絡んできます。

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意味について語りつくせる?

来月、日本で話す機会がクロースドな空間を含めていろいろとありますが、今の時点で告知されている公開イベントだけを紹介しておきます。以下に列挙していますが、これまで「意味のイノベーションとは何か?」を話すことが多かったのですが、今回から、「意味のイノベーションで何をやるか?」に重心をすこし移しはじめます。 まだまだ「意味って何のことを言っているの?」という質問は多いですが、一方で「意味のイノベーションの実践編」に関心を抱かれる人も増えてきました。それは単に意味のイノベーションのワークショップをやるとのレベルだけではなく、ご自分のビジネスを意味のイノベーションで次のステップにもっていきたい、とのご相談もうけることが多くなってきたということです。 そこで「意味と質」「意味とラグジュアリーブランド」といった言葉がでてくることになります。このあたりは、世界のなかでおよそリードしている論がなく、みなさん試行錯誤の状況です。それでぼくも、足を踏み入れていきます。 他方、意味のイノベーションをビジネス的テクニックに捉える方もいらっしゃるので、そのためにソーシャルイノベーションと意味のイノベーションの関係にも触れていくことも多くなります。 下記、3日と4日は京都ですが、それ以外は東京です。ただ、10日のイベントは既に満員御礼のようです。 7月3日 「ラグジュアリーブランドの意味と意義を考える」 \行政・金融等サポート関係者対象/特別セミナー「ラグジュアリーブランドの意味と意義を考える」芸術・技術 event in 京都市 by COS KYOTO on 水曜日, 7月 3 2019www.facebook.com7月4日 「質と意味が問われる時代におけるモノづくりの考え方」 7月4日開催特別セミナー 「質と意味が問われる時代における モノづくりの考え方」芸術・技術 event in 京都市 by COS KYOTO on 木曜日, 7月 4 2019 with 130 pewww.facebook.com7月10日 「ソーシャルとイノベーション」 Xデザイン学校公開講座+第6回フューチャー・エクスペリエンスフォーラム 「ソーシャルとイノベーション」■概要:イノベーションを生み出すアプローチの1つとして、「意味のイノベーション」という注目されている考え方があります。「革peatix.com7月24日 「意味を探索するデザイン」 DMN特別企画DMN特別企画『意味を探索するデザイン』を開催致します。イタリア・ミラノより安西洋之氏をお招きし講演を開催いい致します。海media.mctinc.jp7月26日 「意味を問うデザインとは?」~イノベーションを生み出すための新たなアプローチを学ぶ~ TIP*Stips.smrj.go.jp尚、冒頭の写真は、先日、先日ミラノ工科大学のキャンパスで行われていたワークショップの様子です。目が不自由な人をどう案内していくか?という2人一組での経験です。これを交互にやるわけですが、やはり一度目隠しを味わった人の方が、圧倒的に上手いガイドをしていました。

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アーティストとデザイナーの違いを考える

6回目のポッドキャストは、アーティストとデザイナーの違いについて話しました。 2019年6月14日のデザイン by Design! Design! • A podcast on Anchorアーティストとデザイナーの違いについて話しています。anchor.fmアートとデザインの2つを比較すると、アートの方が「大人の振る舞い」をしているとの印象をうけます。なにせ、歴史と伝統が違います。どうも、アーティストとデザイナーの間でも似たようなところがないだろうか、ということが話題の発端です。 アーティストは素を出すことが多い一方、デザイナーは用意した言葉で喋ることが少なくない。用意した言葉を喋る人はビジネスパーソンなら(まだ)よいですが、クリエイターの範疇に入るデザイナーはもう少し言葉を自由に扱っていいのではないか。そんなことをさまざまなクリエーターと話していて、ぼくは思うのですね。 さて、このポッドキャストは何度も書いているように、シナリオなしに話しています。カフェで話しているので、周囲の雑音も聞こえます。会話の途中で、お互い黙ることもあります。 昨晩、ミラノに来た発酵デザイナーの小倉ヒラクさんと夕食をとりながら話していて、似たような趣向を凝らしているなと思ったことがあります。彼は今、渋谷のヒカリエで「発酵から再発見する日本の旅」という展覧会をやっています。 8/04/d47 MUSEUM/D&DEPARTMENT PROJECT/Fermentation Tourism Nippon 〜発酵から再発見する日本の旅〜supported by カルピス Fermentation Tourism Nippon -A journey to rwww.hikarie8.comそこでトークセッションも実施しているのですが、登壇していただく方との事前打合せを一切なし、スライドの用意はなし(必要なら2-3枚、事前にヒラクさんに渡しておく)などのルールを決めているそうです。 彼はこう話していました。 「結局、みなさんが事前の準備に一生懸命になるのは、セッションの途中で沈黙の時間ができるのが怖いわけですよね。本人からすればそうでしょう。でも聴衆の立場からすると、登壇者が黙ったシーンが印象に残ったり、考えさせられたりするのです」 かなりいい狙いですよね? 追記。ヒラクさんがTwitterで下記のコメントをしていたので、ここにコピペ。 戸惑いや言いよどみから予期せぬ流れが生まれるし、その瞬間に立ち会うために僕たちは人の集まりに顔を出すんだと思っていて。「予期できない」ということは「価値づけ(スコアリング)が追いつかない」ということ。僕は既存の価値づけからスルッと抜け出る一瞬を愛しています

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日本にいます記 2018年初夏編

普段いるミラノを離れて日本にいる間にお会いした方、考えたことのメモです。

あらっ、日本滞在最終日だよ。

日本滞在47日目メモ。しばらく日があいてしまった。 先週、名古屋で輸入紳士服の店をやっている林啓成さんと話していて、「青木とか、単なる安物の店という評価しかしない人が多いですが、品物は悪くないし、決して安くないです。青木が安さでプロモーションをしたので、皆、そう思っているだけです」とのセリフを聞いて、ああ、やられたと思った。 そう、見る人が見ると、そういうことが言える。サイゼリヤを高校生の行く店と馬鹿にする人が多いが、コスパは最高だ。都内のいい加減なイタリア料理屋より、料理の味やワインもコスパの点でマシだったり。 そういえばイケアの家具も、イタリアの高級家具と同じ工場で生産しているものがあり、「イケアを下にみる人が多いが、品質はそこまで悪くない」とその道の専門家に言われたことがある。 そうなんだ。素人はいつも高いモノも安いモノも、自分の目ではなく、ブランド側にいいように振り回されている。だから、そこそこ目のある人は、またはそのブランド構造に気づいた人は、低価格のモノに正当性を見出し、かつ中レベルの適当なモノに注目するわけだ。 先月、三宅秀道さんに紹介いただいた合田真さんの『20億人の未来銀行 ニッポンの起業家、電気のないアフリカの村で「電子マネー経済圏」を作る』を読んだが、この本にある「現実」と「ものがたり」の関係の説明はとても分かりやすい。安物が世の中を制覇していると嘆く前に、ぼくたちが目を向けるべき点はもっと他にたくさんあるのかもね。 今日で1か月半の日本滞在も終わり。 この2週間少々、高校生の息子と多くの時間を過ごし「社会経験」を共にした。この1年間、週1でImpact HUB Milanoに修行させてきたが、それが思いのほか、「活きている」のが分かった。もちろん凸凹でちぐはぐなところがあるのは仕方がない。 ただ、さまざまなシーンで彼の言葉に耳を向けると、とても適切だ。社会的な意味・価値をつくる側に立たないと、自分の強みが発揮できないことも承知している。客観的にみると(あるいは平均的にみて)イタリアの学校教育に辛い点がつくのは百も承知のうえで、「日本の教育よりはマシな結果を得られるはず」と10数年間確信してきたことが、あながち間違っていなかったと実感している。 (自分自身を省みても、子どもの教育には終わりがないことは自覚していることを踏まえ・・・) 言うまでもないが、あくまでもぼくたちの子の場合だ。やはり親はその国の文化・生活経験を積んでいないと、そういう確信をもちにくいし、さまざまな選択肢を子どもに提示できないとの判断ミスをするので、そうした条件も加味する必要がある。 今晩、息子と野毛、みなとみらい、中華街、元町を歩き、「ロマンティックだけど、フォトジェニックじゃないね」との彼の感想。横浜の中途半端さは、ぼくがずっと感じてきたところなので、「あらまあ、言われちゃったね」と返す。

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「体系的に学びたい」と思う瞬間

日本滞在41日目のメモ。 土曜日は慶應SFCの学生とイタリアについて息子を交えて雑談し、それから、いすゞのデザインの仙波徹也さん親子と食事をした後、カラオケへ。そうそう、仙波さんお得意のおしぼりの「アヒル化」はアップしておかねば。 昨日の月曜日は東大で経営史を教える山本浩司さんのクラスで話す。『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?』最終章、『突破するデザイン』の冒頭の文章を学生に事前に読んでおいてもらい、授業でぼくが彼らの質問などにコメントを返す、というカタチだ。 ビジネスを前進させるための「一人称で確信をもつ異文化理解」との態度は、問題解決型ではないギフト型イノベーションの「1人でビジョンを築き上げる」とのアプローチとまったく同じだなあ、と思いながら話す。 午後はある会社で、今回どこでも強調しまくっている1人が自由に考える大切さについて語りあう。それなりの数の人たちが同じ印象を抱いていながら、その部分にスポットがあたっていなかった感をうける。 その後、小山はるかさんとさまざまなことを話すなかで、人生のさまざまな局面で生じる学びへの動機を考える。どこかの場面で、「これをもっと体系的に知りたい」と思う瞬間の心の持ちようって何だろうって。 夜、山崎和彦さん、本條晴一郎さん、増村岳史さんと話し合い、ローカリゼーションと美意識の関係、意味を生み出すローカリゼーションという話題になる。ローカリゼーションマップは問題解決の面があるし、文化を知らないと気づいてもらってからゼロに引き上げる、とのポイントもある。その先にある意味のイノベーションへの連続性の描き方を考えるのが、これからのテーマだなあと思う。

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欧州の位置づけをアップデイト

日本滞在37日目のメモ。 昨日はビデオメーカーの井野英隆さんと雑談。カンヌ映画祭やスローフードにとどまらず、横浜とその周辺に限った食材を使った弁当に話は及び、なかなか痛快だった。息子は、ここぞとばかりIGTVの狙いを聞き、とても満足。 その後、一社で打合せをした後、ベネッセコーポレーションの社内勉強会で「意味のイノベーション」の話、アートアンドロジックの増村岳史さんがアートとデッサンの話。今まで何度も増村さんとこのセットの話をしてきたが、どこに壁があり、どこの壁は突破しやすいか、しかし、それは簡単に突破してつもりになってはいけない・・・というのが少し見えてきた感がする。 今日は日経新聞の桜井陽さんと会う。日本の人は欧州をどういう視野・範囲と視点でみればいいのか(みたいな)ことを、雑駁に話した。また、人生に多くの選択肢をもつようになった(とみえる)状況をどう解釈するといいのか、ということも話題になった。いずれにせよ、拙著『ヨーロッパの目 日本の目』を出して10年になるが、欧州の理解とつきあいの仕方(つまりは、位置づけ)についてもう一度アップデイトしていきたいと考えている。 大手町から皇居周辺を息子と歩きながら日本の風景について語りあう。ロラン・バルトの「空虚」や意味の違いなど。 夜は外苑前のMistletoe へ。1階でエレベーターを待っていると、中からほぼ日の篠田真貴子さんが出てくる。Mistletoeはほぼ日の階下にあるので、このような偶然はありうることだが、偶然というのは嬉しいなあ、と彼女とちょっと立ち話をして思った。 Mistletoeではサロン風の場所でビールを飲みながら、「リトアニアの社会ー意味のイノベーションとは何か?」を話す。ぼくが意味のイノベーションを腹の底から話せるようになったのは、リトアニアの社会つくりにおいて意味のイノベーションが必要だと理解してからだ、というエピソードも披露した。そして、リトアニアの問題は日本の問題でもある、と実感したからでもある。このあたりのことも含め、機会をみつけ、ベルガンティとゆっくりと語りあいたいと思う。 滞在中の人前での語りの最後は、来週月曜日朝、東大本郷で経営学の山本浩司さんの学生たちを相手に、ローカリゼーションと意味のイノベーションの話をする予定。基本、学生の関心度合によって話すテーマの重心を動かすつもり。

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子どもの育て方を考える、熊本な1日

日本滞在35日目のメモ。 熊本の県立美術館に行った。前川國男の建築空間を味わいたいと、16才の息子と出かけたのだが、木々の向こうにある美術館の佇まいが視野にはいった瞬間、思わず2人で「いいねぇ」。 何がいい?と美術館に入って息子に聞くと、「建築がコンテクストにすっぽり嵌っているし、光の使い方がすごくいいよね」とのコメント。こういうことを一緒に語りあいながら旅をできるようになって、ほんとうに嬉しい。 昼食は熊本の建築家・赤星文比古さんと久々に会い、3人で馬刺し定食を食べる。20数年前からの付き合いだ。彼はイタリア政府給費留学生でヴェネツィア大学で建築を学ぶ前、熊本アートポリスなどの仕事をしていた。日本に戻ってから、熊本市の下通アーケードの設計をやったことは聞いていたが、震災後の地元のさまざまな問題にどう直面しているのかを、今日はじめて知った。 今晩、羽田で飛行機を降りてから思ったことがある。 息子が小さい時、フランスやオーストリアで夏を過ごし、イタリアほどに子どもに甘くない国でわざわざバカンスを過ごす必要なんてないと思い、それから毎夏、ウンブリアの田舎のアグリツーリズモで遊ぶことにした。しかし「大きくなった時、いつか記憶として貢献するかもしれない」と願い、パリの美術展覧会に連れて行ったし、東北の震災の年、まだ津波の傷跡深い宮城県の海岸沿いに連れて行ったこともある。 ただ、その後、ぼくは、あまり子どもに「いつか役に立つかもしれない経験」を強いるのをやめた。学校で美術館に頻繁に連れていくし、たまにミラノ市内で日曜日にちょこっとデザインやアートに触れさせるだけで十分だろう、と。面白がる時に付き合ってあげればいい。 「ねぇ、熊本どうだった?」と聞くと「日本の地方都市がそれぞれに違うのを見るのは面白い」と話す。「小さい時、いろいろなところに連れていったけど、そういうのどう思う?」と尋ねると、「子どもの時、親は100%楽しいことを提供してくれればいい。美術館や博物館の見方はローカルで学べば十分」と答える。 昨年からぼくの講演会や大人の付き合いに同行させるようになったが、それは本人がそうしたことに興味を示すようになったからだ。 親が前のめりになってはいけない。

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